(社説)天安門事件と香港 歴史の継承許さぬ弾圧だ
                              毎日新聞  2021年6月5日

 中国当局が民主化運動を弾圧し、多数の死傷者が出た天安門事件から4日で32年となった。
香港中心部の公園では犠牲者を悼む集会が欠かさず開かれてきたが、今年は警官隊が周囲を封鎖し、市民を寄せつけなかった。自主的な追悼を呼びかけた民主活動家は逮捕された。
 関連資料を展示する「天安門事件記念館」も休館した。香港当局から「無許可営業」の疑いをかけられたためだが、「政治的圧力」と指摘されている。

 昨年6月末に施行された香港国家安全維持法(国安法)が、民主化を願う特別な日を一変させた。

 中国本土では、共産党批判に直結する事件の記憶は封印されている。インターネット上の関連情報は独自の規制で遮断され、存在すら知らない若者がいる。
 しかし、一定の自由が認められた香港では、北京から逃れた当事者が体験を語り、真相解明を訴え、一党独裁体制を批判できた。
 事件を語り継ぐ活動は、1997年に英国から返還された後も、香港の高度な自治を保障した「1国2制度」の象徴だった。
 昨年も新型コロナウイルス対策を理由に集会が禁止された。それでも1万人超の市民が集まり、警察は黙認した。
 歴史を継承する自由が、国安法によって奪われようとしている。
 教科書から天安門事件や香港の民主化要求デモに関する記述が消え、教師は授業で政治問題を避けるようになった。
 警察は民主派の中心人物を次々と逮捕し、市民の間で自己規制が広がっている。
 司法機関は警察の弾圧を追認し、議会にあたる立法会は親中派が牛耳る仕組みとなった。政府に批判的なメディア関係者が有罪判決を受け、報道の自由も風前のともしびだ。
 中国政府は、香港の統制強化を「安定と繁栄のため」と強弁している。だが、返還後50年は社会制度を変えないとする約束をほごにしたことに対し、国際的な批判は強まっている。
 習近平指導部は「謙虚で、尊敬される中国」のイメージ確立を目指すという。法の支配や人権、自由の価値に背を向けたままでは、国際社会の不信を招くばかりだ。

 (社説)天安門事件 香港に強いる記憶封印
  
                                           東京新聞  2021年6月4日

 中国が香港から天安門事件の記憶を消し去ろうとしていることを憂慮する。1989年6月4日に民主化デモを武力鎮圧した事件。その追悼集会が香港で初めて中止に追い込まれようとしている。
 事件について中国政府の公式見解は「80年代末の政治風波」というものだ。外国記者の質問に毎年、判で押したように同じ答えを繰り返す態度は、事件の真実を公開し、反省しようとする誠実さとは正反対のものだ。
 「風波」とは中国語で「騒ぎ」を表す。犠牲者数は中国公式発表で319人、英国政府推計では3千人にも上る。人民解放軍が人民に銃を向けた惨劇を「風波」という軽い言葉で総括するのは、事件を矮小(わいしょう)化したいからであろう。
 大陸の人々の間で「6・4」と呼ばれる事件はタブー視されている。学校では教えられず、多くの若者は事件の存在さえ知らない。国民がネット検索しても規制されており、調べることもできない。
 香港では二日、当局が事件の記念館を閉鎖するなど、「封印」を強める姿勢が目に余る。
 毎年、香港では追悼集会が開かれ十万人余が参加してきた。大陸では認められない追悼集会は、国際公約とされる「1国2制度」の下で集会の自由が保障された自由な香港の象徴だったといえる。
 香港政府はコロナ禍を理由に昨年初めて禁止したが、主催者の民主派団体は開催を強行し1万人が参加した。だが、中国が昨年導入した香港国家安全維持法により、民主活動家や民主派団体幹部ら百人余が逮捕され、主催者は今年の追悼集会を中止する方針だ。
 中国の圧政の象徴として事件を糾弾してきた集会を、再び香港で組織的に開催するのは困難であろう。天安門事件に沈黙を強いられる香港は、もはや「高度な自治」が守られた地とはいえない。
 日本に目を向けると、昨年末に公開された外交文書で、人権侵害を理由とする欧米の対中経済制裁に日本が反対したことが明らかになった。事件後も日本は経済的実利を優先する対中政策をとったが、改革開放で経済大国になっても中国は民主化しなかった。
 いたずらに対決姿勢を取るべきではないが、中国の強権政治や人権抑圧に、日本はこれ以上目をつぶるべきではない。重要な隣国だからこそ、厳しい直言と真剣な対話が必要である。

 (主張)天安門事件32年 二重の国家犯罪を許すな
                                 産経新聞  2021年6月4日

 中国の民主化を求める学生ら無辜(むこ)の民を、人民解放軍が無差別に殺傷した天安門事件から4日で32年となる。習近平政権は中国本土や香港で事件の真相究明を求める声を封殺する構えだ。7月に中国共産党の創建100年を迎える今年は弾圧が強まる恐れがある。
 1989年6月3日夜から4日未明にかけて、いったい何人の犠牲者が出たのか。当時、中国政府は死者「319人」と発表したが、数千人から1万人規模との見方がある。戦車が学生らをひき殺し、兵士が無差別発砲を繰り返したことは多くの市民が目撃している。真相究明を求める声が絶えないのは当然だ。
 犠牲者を追悼するとともに忘れてならないのは、天安門事件は過去の悲劇にとどまらない、という点だ。
 中国共産党が犯した罪は一般市民の無差別殺傷だけではない。同党の権力の及ぶところでは、天安門事件はなかったことにされてきた。真相究明の動きを封じようと遺族や民主活動家らを拘束するなど、人権侵害は今も続いている。事件時と事件後の、いわば二重の国家犯罪といえる。許されるものではない。
 香港では4日に追悼集会が予定されていたが、昨年同様、香港警察によって禁止された。天安門事件の資料を展示する香港の「六四記念館」も香港当局によって一時閉館に追い込まれた。
 隣国である民主主義の日本が黙っていていいわけがない。
 日本が想起すべきは天安門事件後の対中外交失敗の教訓だ。事件をめぐって日本政府が「長期的、大局的観点から得策でない」などと、欧米諸国との対中共同制裁に反対する方針を明記した文書を作っていたことが、昨年の外交文書公開で明らかになった。人権軽視の姿勢は恥ずかしい。
 その後も日本政府は、天安門事件を反省しない中国が国際社会に復帰することを手助けした。
 バイデン米政権は、米中対立を「21世紀における民主主義と専制主義の戦い」と位置付け、人権重視の外交姿勢を示している。欧米諸国はウイグル人弾圧をめぐって対中制裁に乗り出したが、日本政府は加わらなかった。
  これではいけない。菅義偉政権や国会は天安門事件の真相究明とともに、現代中国の人権弾圧を阻む行動に乗り出すべきだ。