連載 原発のたたみ方/17 
  専門家に聞く 山名元・NDF理事長 福島第1放射線管理、他施設の参考に

                                       毎日新聞 2021年2月25日

 

 東京電力福島第1原発の事故後、多くの原発の廃炉が決まった。福島第1では廃炉作業が進むが、その経験は他の原発でも活用できるのだろうか。福島第1の廃炉作業を支援する「原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)」の山名元・理事長に聞いた。

 ――原発事故で、電力業界は廃炉作業に急に向き合わざるを得なくなった面があります。
 ◆その通りで、日本の原子力産業は、まさにそこで大失敗した。電力業界は、廃炉まで見据えた計画が遅れていた。原子力とは本来、廃炉作業まで確実にした上で使っていく技術だったので、反省すべき点だ。

 東京電力福島第1原発の(右手前から)1号機、2号機、3号機、4号機=福島県大熊町で2021年2月13日、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
 福島第1では、廃炉作業との「戦い」が突如現れた。これまで不確実な状況と戦い、柔軟に対応しつつ戦略を立ててきた。ポイントは、廃棄物や(核燃料が溶け落ちた)燃料デブリの「基礎研究」、放射線量が高く人が近づけないことに伴う遠隔技術などの「工学開発」、廃炉作業のために開発した工法を現場に合わせる「システム開発」の三つだ。

 



 ――培った知見を、他の原発の廃炉にも役立ててほしいです。

 ◆願望はそうだ。実際は、福島第1での経験が他でもそのまま使える分野、参考になる分野、福島第1に特化しすぎていて他で活用するのに応用が必要な分野がある。
 そのまま使える分野は、例えば廃炉作業のマネジメント手腕だ。電力会社は発電となると原発のメーカーに任せ過ぎていた面があったが、廃炉に必要な知識を東電は自ら得るようになってきた。他社も学んでほしい。参考になる分野で何があるかといえば、放射線の管理や遠隔技術の機器の部分になる。
 既存の廃炉作業に生かすために福島第1の経験で応用が必要な部分は、燃料デブリを壊れた建屋から取り出す作業、放射線量が高い過酷な環境に耐えうる遠隔技術、過酷な環境がゆえの安全上の措置の部分だ。逆も真なりなので、各分野での技術の行ったり来たりに期待したい。

 ●原子炉内の調査進展
 ――廃炉に伴って生じる汚染度の高い放射性廃棄物の処分場をどうすべきか、原子力規制委員会が安全基準作りを進めています。ここでも福島第1の経験は役立ちますか。
 ◆機構は基準のあり方について言う立場にはない。それを前提にして言うと、世界的に見ると規制で大事なことは、現場目線だ。個人的な思いとして、前例のない福島第1の廃炉の現状を踏まえ、規制委には現実的かつ合理的に安全を確保するための基準を考えてほしい。その過程で、蓄積されるさまざまな経験は、放射性廃棄物を巡る今後の議論においても役立つのではないか。そのためにも、福島第1の現場の情報を規制委にしっかりと示さなければと思っている。情報提供の道を確保していきたい。

 ――福島第1の廃炉作業の最難関は燃料デブリです。この10年間で分かってきたことは何ですか。
 ◆2011年12月に政府と東電が長期的な廃炉工程表の方針を立てたころ、原子炉内の状況はほぼ分からなかった。そのため(1979年に米国で起きた)スリーマイル島原発事故の事例だけを頼りに廃炉計画が立てられた。まさに暗中模索しているようだった。
 この10年では、原子炉内を実際にカメラを通して見て調査できたことが、かなり大きい。核心部分は実際に燃料デブリを取ってみないと分からないが、全体像や取り出す際に注意すべき点、重要な指標が分かってきた。(月面へ宇宙飛行士を送った米国の)アポロ計画で言えば、月の周回軌道が見えるところまで来たという感じ。扉を開けたところで、本当の「戦い」はこれからになる。

 ――最終的には、燃料デブリも処分が必要になります。
 ◆原子力の世界で言う「処分」とは、放射性廃棄物が社会生活へ影響することのないよう、社会から隔離すること。燃料デブリも何らかの形でそこに行き着くことは間違いないが、そこに至るまでの方法を考えると、ピンからキリまでの仮定を考慮しなければならない。燃料デブリの性質や状態が具体的に分からないと、どのように処分したらいいのか、検討できないのが正直なところだ。

 ●地域の未来、一緒に
 ――政府は福島第1の廃炉作業を、11年12月から30~40年後に完了させると説明しています。完了後の姿とは、どんなイメージをされていますか。
 ◆完了後の姿がどんなものか非常に幅がある中で、明確なことは敷地周辺へのリスクをほとんど無視できる状態にすること。これは絶対に達成しなければならない。加えて、敷地の将来の利用方法を地元のみなさんに受け入れてもらえるようにしたい。
 廃炉完了時の敷地が、例えばでこぼこになるのか、何色になるのか、といった具体的なことはまだ言えない。原子炉内の状況がまだ詳しく分かっていないため、いつまでに、どれくらいお金をかけて、どういう状態まで持っていけるかは、時間をかけないと見通しや戦略を立てられない。
 原発事故を起こしたのは、原子力に携わる者として本当に申し訳ない。今後も廃炉に向け、何とか頑張りたい。その時に一番大事なのが、被災した方々と一緒になって次の世代を作っていくこと。廃炉はそのための前提条件だ。地域の未来を作る手伝いになればと思っている。【聞き手・荒木涼子】
 

 ■人物略歴山名元(やまな・はじむ)氏
 1953年、京都市生まれ。動力炉・核燃料開発事業団(現日本原子力研究開発機構)などを経て2002年から京都大教授。15年から現職。京大名誉教授。専門は核燃料サイクル工学。