さあこれからだ 

福島から興すエネルギー改革=鎌田

毎日新聞20181118日 東京朝刊 オピニオン

 福島県南相馬市の沿岸に4基の風車が建ち並んでいる。万葉の里風力発電所だ。間近で仰ぎ見ると、ものすごい迫力だ。今年3月、万葉の里風力発電所の商用運転が開始された。日立キャピタルグループと、南相馬市の地元企業4社が共同出資している。 その地元企業の一つ、石川建設工業の石川俊社長(57)は、「原発がなくたって、ちゃんと電気が供給できることを証明したい」と意気込みを見せている。 4基の風車の年間予測発電量は、一般家庭の約4500世帯分という。20年間、全量を電力会社に売り、その収益で植樹などの地域貢献をするそうだ。

 ぼくが初めて石川さんと出会ったのは、東日本大震災の直後。南相馬市に支援に入ったときだった。津波が押し寄せ、ガレキで埋め尽くされた町は、自衛隊や警察が救援に入ることも難しい。そんななか、石川さんらが重機を使い、ふさがった道路を開いていた。見えないところで働いている人たちがいて、復興の第一歩は始まったのだ。  南相馬市の一部は、福島第1原発から20キロゾーンの中にある。そのため、立ち入りが制限されるところも多く、遺体の捜索も難航した。 そのときも、石川さんらが20キロゾーンに入り、ガレキを撤去しながら、遺体の捜索も行った。その作業に当たった人たちの健康診断をするため、ぼくも市の許可を得て、作業に同行したことがある。ふるさとのために、先頭に立って汗を流す姿を見て、頭が下がった。彼は1067ベクレルの被ばくをしていた。だが、「安全なものを食べていれば大丈夫」と言って、復興への歩みを止めようとしなかった。  地域のために、県立原町高校のPTA会長をしたり、一般社団法人南相馬除染研究所のサポートをしたりもしている。相馬野馬追という祭りが有名だが、津波で流された祭りの備品を、再生可能エネルギー事業で得た利益で調えたりもした。 なぜ、そこまでするのかと聞くと、こんな言葉が返ってきた。 「毛細血管を守るのは地元の人間の役割です。大動脈も必要ですが、毛細血管のことは地元の人間しかわからない」 毛細血管という言葉が、言い得て妙だと思った。 彼はまた、津波の被害を受けた農地にオーガニックコットンを植え、農地の再生を図る事業を、若者たちと一緒に起こした。

 会社名は、「サスケナジー」。「持続する」という意味の「サステイン」と、大丈夫、何とかなるさという意味の福島の方言「さすけねえ」、そして、「エナジー(エネルギー)」という言葉を組み合わせた。今後は、風力発電による電気で、オーガニックコットンから布を織ろうと考えている。  石川さんは「水素工場などの巨大な開発の話が進んでいるが、すべて東京で決められて、地元がかかわっていません。大きな話は、地域の雇用にも経済にも影響を及ぼさない。国はもっと毛細血管に注目して、毛細血管が元気にならないと全身が元気にならないことを理解してもらいたい」と言った。 南相馬市は、2030年までに市内の電力を、再生可能エネルギーで100%賄う目標を立てている。福島県も県内の電力を40年までに再生可能エネルギーにすることを目指している。
 自動車が電気で走るようになると、「石油の時代」は間違いなく終わりを告げ、再生可能エネルギーが主要電力になる時代がやってくる。再生可能エネルギー事業を発展させるには、発電所から電力を送る基幹送電線をもっと利用しやすくするなどの課題はあるが、この流れは止められないように思う。その流れを福島がつくることは意味が大きい。復興というだけでなく、日本全体のエネルギー改革にもつながっていく可能性がある。

 20年には南相馬市や飯舘村などに新たな風力発電所の建設が計画されている。地域それぞれが小さな電力を生み出し、まさに毛細血管のように地域を潤す仕組みづくりに期待したい。