《社説》 開戦の日に考える 言葉の歯止めなき末に

2023年12月8日 東京新聞

 きょう8日は、1941(昭和16)年に日米戦争が始まった「開戦の日」です。なぜ破滅的な戦争に突き進んでいったのか。その原因の一つは、自由な言論が徐々に封殺されていったことにあると思わざるをえません。

 <機銃掃射逃れ九十路(ここのそじ)の終戦忌>

 今年8月15日「終戦の日」の本紙に掲載された「平和の俳句」です。川崎市の藤原日出さん(90)=掲載時、以下同=の作句。選者のいとうせいこうさんは「日中戦争でお父さまが戦死された時に六歳、弟四歳。その後も二度空襲にあい、生き延びてきた九十歳の一句」と記します。

 本紙は今年も8月の1カ月間、平和の俳句30句を掲載しました。応募総数は昨年より524句多い6746句。昨年はロシアのウクライナ侵攻などで一昨年よりも3割増でしたので、読者の皆さんの平和を求める気持ちは、年々高まっているように感じます。

◆「軽やかな平和運動」続く

 2015年に平和の俳句が始まったきっかけはその前年、さいたま市の女性(当時73歳)の<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>という俳句が「公民館だより」への掲載を拒否されたことでした。

 この問題を新興俳句運動の弾圧と重ね合わせたのが俳人の金子兜太(とうた)さん)。いとうさんとの本紙での対談を機に、2人が「軽やかな平和運動」と呼ぶ平和の俳句が始まったのです。

 金子さんは18年に亡くなりましたが、平和の俳句は選者を黒田杏子さん=23年死去、夏井いつきさんと引き継ぎ、続いています。

 伝統俳句からの脱却を目指す新興俳句運動は昭和初期に興りましたが、厭戦(えんせん)句や貧困を嘆いて社会変革を目指す句は1940年から43年に治安維持法違反に問われ、多くの俳人が投獄されました。

 太平洋戦争の開戦は新興俳句に対する弾圧が始まった翌年。このときすでに新聞を含む言論・表現活動は自由を奪われ、「平和」と唱えることはできませんでした。言葉の歯止めを失った社会が、国民を戦争に駆り立てたのです。

 こうしたことは、日本だけの、かつての戦争の時代に限ったことではありません。

 21世紀の今でも、国民を戦いに駆り立てる指導者は、言葉で歯止めをかけようとする者、政権に批判的なジャーナリストやメディアを敵対視します。

 ウクライナに攻め込んだロシアのプーチン大統領は厳しい言論統制を敷き、メディアが「戦争」や「侵攻」といった表現を使うことを禁じています。政権に都合の悪い情報は「偽情報」と見なされ、訴追される恐れすらあります。

 官製メディアは体制に都合のよい偽情報をばらまき、閉ざされた世界で体制のプロパガンダを吹き込まれるロシア国民に戦争の実態が伝わることはありません。

 では、世界最大の軍事力を有する米国はどうなのか、との指摘も聞こえてきそうです。ベトナム戦争やイラク戦争では凄惨(せいさん)な戦いに突入し、戦場の失態を隠し、多くの犠牲を強いたではないかと。

◆世論が戦争止める力に

 しかし、言論の自由が保障された民主主義国家では、国民が選挙で意思を示したり、声を上げたりすることで、政府の無謀な振る舞いに歯止めをかけたり、修正させることができます。

 ベトナム介入を本格化させた民主党のジョンソン大統領は激しい反戦運動により再選断念に追い込まれ、ベトナム戦争終結は、後を継いだ共和党のニクソン大統領の最優先事項になりました。

 イスラエルによるガザ攻撃が続きます。当初、イスラエル支持に傾いていたバイデン米大統領は慎重姿勢に転じています。これも米国内の反対世論を無視できないからに他なりません。

 イスラエルと、パレスチナのイスラム組織ハマスとの戦闘を止めるには、国際的な反戦世論をより高めることが必要でしょう。

 軍事力強化を目指す人たちはしばしば、平和と唱えるだけでは平和を実現することはできないと言いますが、平和を求める気持ちを言葉で率直に表現しなければ、平和を実現しようという機運も高めることはできません。

 イスラエルには自生するユリがあり、硬貨にも描かれているそうです。今年8月19日に掲載された鈴木妙子さん(75)=愛知県あま市=の平和の俳句を紹介し、開戦の日の社説を締めくくります。

 <百合(ゆり)の香(か)で戦意喪失せぬものか>