《社説》 憲法公布の日に考える 国家の危機と「無鉄砲」

2023年11月3日 東京新聞

 来日中のロシア帝国皇太子ニコライが、警備中の巡査・津田三蔵にサーベルで切りつけられる大事件が起きました。

 1891(明治24)年の出来事です。現在の大津市であったので「大津事件」と呼ばれます。ニコライは頭部に傷を負いましたが、命に別状(べつじょう)はありませんでした。

◆戦争になるとうわさも

 でも、ロシアは列強の一つでした。後の皇帝・ニコライ二世となる人物でもありました。小国に過ぎなかった当時の日本国内には大激震が走りました。

 ロシア艦隊は神戸港にあり、武力報復の可能性がありました。多額の賠償金や領土割譲を求められるとも、うわさされました。

 明治天皇がすぐに自ら見舞いに向かったほどです。緊迫した時間が続きました。

 当時の首相は松方正義。内相や法相ら閣僚は犯人の津田を「死刑にすべし」と主張します。伊藤博文まで「戒厳令を出してでも」との考えでした。

 外交問題を通り越して、国家の危機そのものだったのです。

 でも、ニコライは死んではいません。当時の刑法では一般人に対する謀殺未遂罪が適用され、最高刑は無期徒刑(無期懲役)までです。死刑にはできないのです。

 そこで政府は皇室のための法を用いるよう圧力を加えます。天皇や皇族に危害を加えた者は死刑にできました。しかし、ニコライは皇太子とはいえ外国人です。日本の皇室に適用される法を使えるはずがありません。

 「大津事件」(尾佐竹猛著、岩波文庫)を読むと、「帝国の安危存亡」「国家存在せずんば法律も生命なし」などの言葉で危機が語られます。国家あってこその法であり、法に縛られて国家がなくなっていいのか-そんな議論が沸騰します。何が何でも「死刑に」が政府の考えでした。

 明治憲法はその2年前の89(同22)年に発布されています。欧米式の法制度を整備してきたのは明治政府自身ですし、憲法により司法権は独立しています。

 つまり、政府から強い圧力があっても、司法権はそれをはねつけることができます。たとえ国家の危機であったとしても…。

 事件から16日後に注目の判決がありました。津田三蔵に対して死刑ではなく「無期徒刑」が言い渡されました。

◆「三権分立」はどこに?

 大津事件は芦部信喜著「憲法」(岩波書店)にも司法権独立の侵害が問われた事件として紹介されています。裁判の問題点を指摘しつつ、「強大な政府の圧力から司法部全体の独立」を守った意義が記されています。

 よちよち歩きの法治国家でしたが、基本を忠実に守ったのです。

 司法権の独立は日本国憲法76条にも定められています。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」という格調高い条文です。

 しかし、近年の裁判所は本当に独立しているのでしょうか。

 憲法九条の枠を超えた集団的自衛権の行使容認。それに基づく安全保障法制の違憲訴訟では、憲法判断どころか最高裁はいとも簡単に原告の訴えを一蹴しました。

 憲法53条に基づいた臨時国会召集要求に内閣が応じなくても、最高裁は不問に付しています。

 米軍普天間飛行場の移転に伴う沖縄・辺野古の埋め立て訴訟では、沖縄の自治も民意も踏みにじる判決でした。

 最大3倍超もの格差がある参院選の訴訟でも、最高裁は「合憲」にしてしまいます。

 元首相の国会答弁を発端にした学校法人・森友学園の公文書改ざんで、自殺した財務省職員の遺族が文書公開を求めても、裁判所は国の言い分どおり「不開示」を認めます。理不尽です。

 政治向きの話になると、とたんに裁判所は腰が引けてしまう印象です。こんな事例は近年、目立ちます。内閣や国会の「裁量」を重んじて、すべてがうやむやにされていないでしょうか。

 三権分立が溶けていくような感覚さえ持ちます。

◆司法こそ裁量の発揮を

 再び大津事件の話に戻してみます。作家・吉村昭氏の「ニコライ遭難」(新潮文庫)には、こんなくだりがあります。

 「裁判官というものは、ずいぶん無鉄砲なことをするものだね」

 伊藤博文の判決に対する率直な感想でした。「無事に終始し、国家にとって幸せだった」とも。

 一見「無鉄砲」と映っても、司法の毅然(きぜん)たる姿勢は世界に通じ、国家を守ります。

 司法には自らの「裁量」をいかんなく発揮してほしいものです。良心をもって。