《社説》 戦争阻む歴史を見る眼を培いたい

2023年8月15日 日本経済新聞

 先の大戦に敗れてから78度目の終戦記念日を迎えた。国内外で戦火にたおれた無辜(むこ)の人々に哀悼の意を表し、平和への誓いを改めて心に刻みたい。

 明治維新から敗戦までの戦前・戦中は77年であり、戦後はこれより長くなったことになる。戦後は戦禍のない時代を歩むことができたが、そこに至るまでには戦前・戦中の戦争による尊い犠牲があった。戦争を繰り返さぬため歴史を直視する眼(め)を培いたい。

■ 戦前の虚構を知ろう

 今年、その「戦前」に光があたった。きっかけはタレントのタモリさんが語った「新しい戦前」という時代認識に共感が広がったことだ。米中対立やウクライナ戦争の長期化は、日中戦争が泥沼に陥り、ナチスが台頭した1930年代の重苦しい世相を想起させる。こうした戦前の実像を伝える著作が話題を呼んだ。

 その一つが「『戦前』の正体」(講談社現代新書)だ。著者で近現代史を研究する辻田真佐憲氏は戦前の正体は「神話国家の興亡」だったとみる。

 明治国家は古事記や日本書紀の神話を利用して、「日本は特別な国だった」という物語を創り、欧米列強に負けるはずがないと、国民を扇動して富国強兵を進めたという見立てだ。神話国家の物語は無謀な戦争に行き着き、玉砕や特攻という悲劇の結末で幕を閉じる。

 戦前の「教育勅語」「国体」「八紘一宇(はっこういちう)」といったキーワードの多くは神話に関係する。辻田氏はこれらが創り出された虚構を解きほぐし、安易な戦前の礼賛に警鐘を鳴らす。

 例えば、教育勅語は日本書紀の一編を強引に解釈し、親孝行は国体の擁護、つまり天皇中心の国のあり方を守ることにつながってきたという世界観を形成した。国体あっての親孝行であり、親孝行だけを取り出して「教育勅語は良いことも書いてある」という主張は底の浅さが知れよう。

 もう一冊は「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」(岩波ブックレット)。戦前のドイツのナチスで手厚いとされた失業対策なども、すべてはドイツ民族を優先する思想の下に行われ、不正や略奪と結びつく犯罪的な本質があると看破している。

 いずれも歴史を見る視点として、断片的な事実で判断するのではなく、事柄の全体像をつかみ、専門家が通説とする解釈を踏まえることの大切さを説く。歴史を見る眼が確かであれば、創られた物語に感染するのを防ぐワクチンになり、危うい論調への社会の免疫を高めることにつながる。

 これは歴史を学ぶうえで当たり前のことに思えるが、それを改めて確認しなければならないほど、現代は歴史を冷静に見ることが難しくなっている。

 一つは個々人を取り巻く環境の問題だ。結論を急ぐ傾向がある今は歴史の解釈を吟味する時間を惜しみ、都合よく解釈する歴史修正主義に陥りやすい。トランプ主義に代表される反権威の風潮も専門的な知見を遠ざけ、断片的な事実から短絡的に歴史を解釈する傾向に拍車をかける。

 国家による歴史物語の創造が再燃したのも問題だ。ロシアのプーチン大統領はウクライナとロシアは一体だったという歴史観の下、ウクライナ侵攻を続ける。

■ 物語は国民を動員

 中国の習近平国家主席は、琉球との歴史的交流の深さに触れて台湾有事に備える日本をけん制した。ともに帝国主義的な領土への野心があり、それに見合う歴史観で物語を創ろうとしている。

 戦前の日本で国家が創った神話の物語は国民を扇動、動員する手段になった。辻田氏によれば「世界をひとつの家にする」という「八紘一宇」が戦争のスローガンになると、宮崎県は八紘一宇の塔を建てて観光客を集めた。地方の自治体や企業も物語に乗った町おこしを進め、国威発揚を促したのが戦前の実像である。

 個々人が歴史の解釈を十分に顧みない今、虚構への社会の免疫は弱くなる。そこに国家による歴史物語の創造が始まると、統制の強さも相まってゆがんだ歴史観が形成されやすい。ロシアや中国で国民の扇動、動員につながる歴史物語の広がりが気がかりだ。

 今年2月、天皇陛下は63歳の誕生日にあたり「戦争中の歴史についても、私自身、今後ともやはりいろいろと理解を深めていきたい」と述べられた。戦争の記憶が遠のくなか、国民も一人一人が戦争の歴史に理解を深め、歴史を現実的に見る眼を養うことによって戦争を阻む力を培ってゆきたい。