《社説》 戦争と平和を考える 回帰不能点 超えぬため

2023年8月12日 東京新聞

 《ポイント・オブ・ノー・リターン》。元々は航空用語で、出発地に戻る燃料がなくなる地点を指します。「回帰不能点」「帰還不能点」などと訳します。

 78年前の破滅的な敗戦に向け、日本はいつ、どこで引き返せなくなったのか。満州事変、盧溝橋事件、日独伊三国同盟、南部仏印進駐…。一つに絞るのは難しくても、問い続けねばなりません。過ちを繰り返さないために。

 今年は「新しい戦前になる」。タレントのタモリさんが昨年末のテレビ番組でこう占いました。日本が再び戦争に向かっているのでは、との不安を端的に表した言葉として話題になりました。

 言い換えれば、私たちは戦争への回帰不能点に再び近づいているのかもしれません。あるいはすでに超えてしまったのかも。こうした葛藤は初めてではありません。戦後日本の安全保障政策の変遷は自問の連続でもありました。

◆拡大続ける海外派遣

 1954年の自衛隊発足後、最初の大きな転機は92年の国連平和維持活動(PKO)協力法の成立でした。国防に直接関係のない国際貢献のために自衛隊を海外派遣する新法に、野党第一党の社会党は強硬に反対し、全衆院議員が辞職願を提出するほどでした。

 PKO協力法成立後、自衛隊はカンボジアを皮切りにルワンダ、南スーダンなど世界各地のPKOに延べ1万2千人以上を派遣しました。隊員に戦闘での死者はいません。世論調査ではPKO参加への反対は1%にとどまります。

 では、当初の反対論は杞憂(きゆう)だったのか。決してそうではありません。国民に海外派遣への反対や慎重論があったからこそ、危険な任務への参加凍結といった与野党の修正合意があり、政府も自衛隊が戦闘に巻き込まれないよう慎重な運用に努めたのです。

 2000年代には自衛隊は米国の戦争を手助けしました。インド洋での対テロ戦争支援、イラクでの復興支援と米軍支援です。戦闘には加わりませんでしたが、戦争当事者の一方への肩入れは、武力を国際紛争を解決する手段とはしない憲法九条の理念に沿った行動だったのか疑問が残ります。

 対テロ戦争の舞台、アフガニスタンではイスラム主義組織タリバンが政権に復帰し、国民の権利が抑圧されています。イラクの治安情勢は過激派組織イスラム国(IS)の台頭を経て、今もなお不安定です。米国が目指した両国の民主化は実現していません。

 一体、何のための戦争だったのか。戦闘で死傷した自衛隊員がいなかったからといって、一連の米軍支援を直ちに正当化できません。米国の戦争を後押しした判断は正しかったのか、平和国家として省みる必要があります。

 私たちが戦争への回帰不能点を考える羅針盤は憲法です。

 安倍晋三政権が15年に成立を強行した安保関連法により、他国同士の戦争に参加する集団的自衛権の行使が可能になりました。憲法九条が認めていないはずの法律に本紙は反対を続けています。

◆憲法軽視には抗って

 防衛力の抜本的強化を唱える岸田文雄首相は敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有に踏み切りました。日本周辺で攻撃された米軍を守るため、日本が集団的自衛権を行使して反撃することを装備面でも可能にするものです。

 防衛予算「倍増」は周辺国との軍拡競争に拍車をかけ、かえって地域の緊張を高める「安全保障のジレンマ」に陥りかねません。

 いずれも平和国家としての歩みから外れ、憲法に基づく専守防衛は形骸化が避けられません。

 安全保障環境の変化に対応する政策も憲法の範囲内に限られるのは当然です。憲法は変わらないのに、自衛隊のできることを国際貢献、海外での戦争支援、他国同士の戦争への参加、他国領域への反撃に広げるような憲法軽視に慣れず、抗(あらが)わなければなりません。

 安保法や敵基地攻撃能力の保有を撤回するよう求めても岸田首相は「聞く耳」を持ちませんが、それでも国民が、憲法に合致するのか、平和国家にふさわしいのか、と批判や懸念の声を上げていれば政府は防衛政策を慎重に進めざるを得ないからです。

 航空燃料の減少は客観的に把握できる一方、国の回帰不能点は目には見えません。いつどこで道を誤るのか分からないからこそ、不断に進路を検証し、疑問点をたださなければなりません。そうした国民の声こそが、平和国家を歩み続ける力になると信じます。