《社説》 被爆78年の課題 脅しに屈せず核廃絶めざせ

2023年8月6日 朝日新聞

 あまたの先人が長年かけて築き上げ、定着させてきた約束ごとが、ひとりの指導者のもとで次々に踏みにじられる。昨年2月24日以来、私たちがウクライナで目撃してきたのは、その恐るべき光景である。

 首都キーウ近郊のブチャでは無抵抗の市民をロシア軍が拷問にかけ、虐殺し、遺体を街路に放置した。無差別攻撃にさらされた東部のマリウポリは、街全体が廃虚と化した。原発が戦場になった。多くの子供がロシアに連れ去られた模様だ。

■規範への挑戦許すな

 民間人の命を守り、戦争のエスカレーションを防ぐための歯止めには目もくれず、大国としての責任を放り出し、なりふり構わずふるまう。そのロシアの傍若無人の延長上に、プーチン大統領が昨年来繰り返す核兵器使用の脅しはある。

 広島、長崎に原爆が投下されて今日に至るまでの78年間、放射能汚染を伴う事故や核実験はあったものの、戦争で核兵器が使われることはなかった。

 長期に影響を及ぼす惨劇を生むだけではない。いったん使われれば、国際社会が培い、守ってきた秩序やモラルが根底から崩れてしまう危機感も、広く世界に共有されてきた。

 こうして「使えない兵器」として定着したはずの核を、あえて「使う」と威嚇する。そのプーチン氏の態度は人類の規範への挑戦にほかならない。しかも相手は、ソ連時代に配備された核兵器を1990年代、ロシアに移送する形で自ら廃棄したウクライナである。

 「核の脅し」がどれほど罪深く、愚かなふるまいか。ロシアは深く認識すべきだ。

 核が使われるシナリオがここまで現実味を帯びたのは、米ソ核戦争が懸念された62年のキューバ危機以来ではないか。核をめぐる世界情勢は、被爆78年にして大きく様変わりした。

■抑止のほころび露呈

 このような脅しがまかり通れば、軍縮への機運は失速してしまう。核軍備の増強を試みる中国、核開発に固執する北朝鮮などに対しても「やはり核兵器は有効だ」との誤ったメッセージになりかねない。

 まずは核兵器の使用を食い止める。その可能性を封じる。国際社会が喫緊に取り組むべき課題である。

 その意味で、ロシアに対して結束して非難の声を上げ、核不使用を迫った点で、5月に広島で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)は意味があった。会議に招かれたインドなども含め、核兵器を持つ国や核の傘の下にある国の首脳らが広島平和記念資料館を訪問し、被爆者から直接体験を聞いたことも成果とはいえよう。

 だが、訪問は非公開で、首脳が自国民に率直に感想を語る場面はなかった。G7首脳が発表した「核軍縮に関する広島ビジョン」は「核兵器は、存在する限りにおいて、防衛目的の役割を果たす」と、核抑止を正当化した。核廃絶への具体的な道筋は示されなかった。

 核の恐怖で核を制する――。冷戦中から幅を利かせる核抑止は、核保有国の指導者が理性的にふるまうことを前提にしてきた。だが、プーチン氏の言動をみれば、彼らの理性がもはや信頼に値しないことは自明だ。

 問題はロシアに限らない。理性を軽んじ大衆扇動に走る指導者が生まれる可能性は欧米でも増している。G7首脳はロシア批判を「わがこと」と自覚すべきだ。ほころびが著しい核抑止に安住せず、核廃絶への具体的行動へ踏み出してもらいたい。

■非核へ対話と行動を

 プーチン氏は2月、射程の長いミサイルや核弾頭などの数量を制限した新戦略兵器削減条約(新START)の履行を一時停止すると宣言した。

 だが、核軍縮の停滞は最近始まったわけではない。弾道弾迎撃ミサイル制限条約は2002年に米ブッシュ政権が、中距離核戦力全廃条約は19年に米トランプ政権が破棄した。英国は21年、核戦力増強を発表した。

 ロシアをあげつらいつつ、自らも核不拡散条約(NPT)が定める軍縮努力を怠ってきた他の核大国の態度は、不実極まりない。多くの非核保有国が不信と不満を募らせるゆえんだ。

 ロシアの威嚇に抗する結束を主要国の枠組みにとどめてはならない。非核国を含む国際連帯を築き、核廃絶につなげていく使命を日本は負っている。

 非核国とのパイプを広げる必要がある。その意味で核兵器禁止条約へのかかわりを拒む日本政府の態度は理解に苦しむ。オブザーバー参加し、対話を始めるべきだ。

 気がかりなのは、米国に配慮する政府と、廃絶への行動を求める広島・長崎の間に意識の溝があることだ。被爆者の「生きている間に核なき世界を」との願いは切実さを増す。

 核を使わせず、なくしていく動きを後押しする上で、核の悲惨さを知る日本の経験は欠かせない。被爆地との対話と連携をさらに深める必要がある。