《社説》 政権の不敵な挑戦 主役の座は明け渡さない 【憲法の岐路】

2023年5月2日 信濃毎日新聞

 政治が遠のいている。

 先の統一地方選挙や衆参補欠選挙でも「投票率 過去最低」の文字が躍っていた。

 コロナ禍に物価高が加わり、ぎりぎりにあった暮らしは一層追い詰められている。弥縫(びほう)策を繰り返す政府は、防衛力に財を傾け、増税まで課そうとしている。

 社会の目指す先が見えない。有権者の不安や憤りは小さくはないはずなのに、政治参加の行動となって表れてこない。

■何もかもが閣議で

 昨年7月、安倍晋三元首相が銃殺されて間もなく、岸田文雄政権は国葬の実施を閣議決定した。法的根拠がない―。国会で突かれると、首相は「その時々の政府が総合的に判断するのが、あるべき姿だ」と言い切った。

 集団的自衛権の容認、東京高検検事長の定年延長、コロナ禍での小中学校一斉休校、日本学術会議会員候補の任命拒否…。憲法と法の規定、その従来解釈を無視した過剰な行政権の行使が、安倍政権以降、常態化している。

 岸田首相の弁は、法の支配を逃れ、実質的な変容を試みる政権の思い上がりをよく物語る。

 憲法65条は「行政権は、内閣に属する」と定める。閣議決定は政府の意思を指すだけであり、国権の最高機関である国会や司法を縛る効力はない。

 あたかも「国家の意思」のようにまかり通る要因は、事前に与党側と利害調整し細部を詰める慣行にある。関連法案を国会に諮っても十分に説明せず、数の力で押し通す。敵基地攻撃能力の保有を盛った国家安全保障戦略は、国会審議自体を省いていた。

 国葬や定年延長、防衛増税への強い反発は、密室同然で決める方策がいかに国民の意識と懸け離れているかの証左だ。首相の「聞く力」は欺瞞(ぎまん)でしかない。

■全体主義への兆し

 沖縄から上がる基地負担軽減の訴えは一顧だにしない。東北被災地の復興税源を防衛費に振り向けることも、原発の活用を再び推進することも、議論を欠いたまま当然のように決めている。

 コロナ禍が照らし出した生活困窮者の広がりに抜本的な対策を講じない。有権者は、半数超が投票を棄権することで、そんな政治を結果的に許してきた。

 非難は政策の不備にではなく、「自己責任論」となって、より苦しい状況にある階層に向けられている。地縁・血縁に限らず、親密な人間関係が薄れ、共生の場を見いだせない人々の間で、孤立感が深まっている。

 つけ込むように政権は、感染症やウクライナ戦争、物価高が襲う現況を「戦後最大級の難局」と吹聴し不安をあおる。信じられるもの、包摂してくれるものを求める心理が、国家の論法にからめ捕られてはいないだろうか。

 「反対の声は届かない」「誰がやっても政治は変わらない」。あきらめがまん延すれば、権力による統制をたやすくする。全体主義の兆候が濃さを増しているように思えてならない。

 1980年以降に生まれたミレニアル世代や、これに続くZ世代が、各国の同世代と連帯し地球温暖化対策の強化を訴えている。男女差別の解消や、LGBTの人権保障を重んじる傾向も、この世代を中心に強い。

■これからの支柱に

 「なぜ日本は没落するか」を著した経済学者の森嶋通夫は、90年代に戦前世代が勢力を失い始めるも、根を張るエートス(精神)が個人主義、自由主義、民主主義の浸透を阻んできたと説いた。著書の刊行から20年余。森嶋の分析を踏まえれば、社会の構成員は戦後世代に入れ替わっている。ミレニアル・Z世代を通して、異質なものとの共生を選ぶ戦後的な価値観が、ようやく芽吹いてきたとも受け取れる。

 平和主義、国民主権、基本的人権の尊重を三大原則に据える憲法も、施行76年の歩みを守る意味合い以上に、これからの社会像を探るよりどころとして、新味を帯びて立ち上ってくる。「家制度」を否定した憲法24条にまたぞろ「家族条項」を追加する案が挙がる。安保政策には、9条が禁じたとの指摘がある軍産複合が再掲されている。取り残されたように戦前の「エートス」を引きずる政界に向き合う上でも、憲法を捉え直してみる価値はあるだろう。

 〈国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である〉。こんな一文も、国家安保戦略に記されている。憲法の原則を逸脱した合意なき防衛政策の転換に、知らぬ間に国民が従わされつつある。自身や近しい人たちの暮らしぶりを互いに言葉に出し合い、政治は一人一人の日常の積み重ねであることを思い起こしたい。主客転倒を認めないために。