(社説)原発避難者訴訟 国の責任をなぜ問わぬ

2022年6月18日 北海道新聞

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが国を訴えた集団訴訟で、最高裁が国の賠償責任を認めない初の統一判断を示した。

 国が規制権限を行使して東電に対策を講じさせていても、事故は防げなかったとした。

 だが、原子力事故は絶対に起こさないとうたって原子力政策を推進してきたのは国である。

 津波に弱いと分かっていた福島第1の津波対策の先送りを続ける東電を、国は説得できないまま震災の日を迎え事故は起きた。

 こうした経緯と、被害者の苦境を考慮すれば、結果的に国民の生命と財産を守れなかった国への姿勢が甘い判決と言わざるを得ず、納得できない。

 原告側は国の地震調査研究推進本部が02年に公表した「長期評価」を基に、国は巨大津波を予見でき、東電に対策を取らせていれば事故は回避できたと訴えていた。

 これに対し最高裁は「発生した地震は想定よりはるかに大きく、津波による浸水も深かった」とし、「仮に対策を講じていても、大量の浸水で事故が発生した可能性は相当にある」と結論付けた。

 しかし、福島第1から約110キロ南の茨城県にある日本原子力発電東海第2原発は施設の防水対策などを行っていた。

 対策と結果の因果関係の検証は必要だが、かろうじて大きな事故には至らなかった。

 福島第1で国が規制権限を行使していれば、少なくとも東電に一層の安全策徹底を促す効果は期待できただろう。事故は防げなかったと断定するのは疑問が残る。

 裁判官4人のうち1人は「長期評価を真摯(しんし)に検討していれば、事故を回避できた可能性が高い」との反対意見を述べた。こちらの方がうなずける見解ではないか。

 とはいえ、被害者の生活再建と被災地の復興を支える責務を国が負い続けることは、福島復興再生特措法などに明記されている。忘れてはならない。

 今後賠償責任は、国の資金援助を受けつつ東電が負っていく。だが賠償の最低基準である「中間指針」に基づく賠償では不十分だと被害者は不満を募らせている。

 指針の水準を上回る賠償を命じた判決も複数確定している。

 指針が被害の実相に適応できていないのは間違いない。国は見直しを急ぐべきだ。