(社説)「被爆76年の世界 核廃絶へ日本が先頭に立て
                                 朝日新聞  2021年8月6日

 世界はいま、核の恐怖の果てにある破局か、それとも、より安全な共生の未来か、どちらの道へ進むかの分岐にある。
 米国と中国の覇権争いを筆頭に、欧州・アジア・中東で国家間の対立が熱を帯び、核戦争の不安を高めている。
 一方で、だからこそ協調の価値を見いだし、国家の枠組みを超えて「核なき世界」をめざす潮流も勢いづいている。
 76年前のきょう、広島に原爆が投下された惨禍を思うとき、選ぶべき道は明らかだ。二度と再び人類の過ちを繰り返させない。その誓いと行動の先頭に、日本は立たねばならない。

■危うい大国間の競争

 世界が凍った1962年のキューバ危機より4年前、日本が核の戦場になりかけた――。この経緯を記した米国の機密文書が最近、明るみに出た。
 中華人民共和国の成立から9年後、中国が台湾の金門島を砲撃した際だ。米国は中国軍基地への核攻撃を検討した。
 「(情勢悪化すれば)中国の奥深くに核攻撃するほかなし」「(ソ連が)沖縄を核で報復するかもしれないが、結果は受け入れねばならない」
 結局、大統領の判断で攻撃は回避されたが、米施政下の沖縄の犠牲も辞さない主戦論があった事実に慄然(りつぜん)とする。

 それから60年余り。核をめぐる事態はより複雑になった。

 米国とロシアに加え、中国も核を保有し、軍拡の流れを強めている。一方、いまの日米中台の経済は密接に絡みあい、単純な対立構造でもない。
 だが、多くの戦争がささいな摩擦や誤認、過信などから生まれた歴史の教訓を顧みれば、危うさに変わりはない。
 この緊張のなか、日米は今年の首脳会談で、「台湾」をめぐる認識を共同声明に盛り込んだ。日本が中国と国交正常化して以来初めてのことだ。
 限定的とはいえ集団的自衛権を行使できるよう、日本政府は憲法の解釈を変えている。ひとたび台湾有事になれば、米国から関与を求められるだろう。

 ■「核戦争に勝者なし」
 米国内では、中国への抑止力を高めるために、中距離弾道ミサイルを日本に配備する構想まで語られている。
 大国の国力の争いに、日本はどう距離を保ち、ルール主導の秩序を築くか。そんな主体的構想は描かぬまま、渦中に身を投じていく。それが残念ながら、いまの日本の姿ではないか。
 米国の退潮に伴い「核の傘」の信頼が弱まり、同盟国に核武装の連鎖が起きかねない。世界ではそんな懸念も論じられる。科学者らが警告する地球滅亡までの終末時計は、最悪の100秒前で止まったままだ。
 そんななかでこの6月、核の2大国である米ロの首脳会談が注目すべき声明を発した。
 「核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならない」
 85年にレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が交わした誓いの言葉を再現したものだ。
 角突き合わせつつも、理性と危機意識を保つという責任と矜持(きょうじ)の表れであるならば、行動で示してもらいたい。
 米ロを含む核保有国は、核不拡散条約が定める軍縮交渉義務に背を向けている。それでいて、新興国の核開発は許さぬという身勝手な態度が、軍備管理のモラルを侵食してきた。
 米ロは声明の後、高官協議を始めた。そこを起点に、中国も巻き込む新たな交渉枠組みを立ち上げるべきだ。バイデン米大統領は核の先制不使用宣言を実現させて、中国との対話機運を醸成してもらいたい。
 宣言をオバマ政権が検討した際、日本政府は反対した。「抑止力を弱める」との理由だが、核の恐怖で核を制する危うい思考にいつまで拘泥するのか。

 ■核禁条約に関与せよ
 日本の役割は、対米同盟と、中国との歴史的結びつきを生かして米中対話を促す「触媒」となることではないか。北朝鮮の核問題を含む包括的な「北東アジア非核地帯」を視野に、長期的な道筋を練るべきだろう。
 大国が動かぬなら、非核保有国と国際世論で核廃絶の歯車を回す。その志が結集した核兵器禁止条約が、今年発効した。
 不拡散条約を堅持する核保有国は核禁条約を拒んでおり、日本もその立場だ。だが、二つの条約は同じ核廃絶のゴールへ「補完しあう関係」(中満泉・国連事務次長)である。
 来年は核禁条約の初の締約国会議がある。広島・長崎の被爆者、核実験被害者、各国代表、NGOなども一堂に会する。そこに唯一の戦争被爆国の政府代表の姿がなければ、深い失望を歴史に刻むことになろう。
 核禁条約を肉付けする作業はこれからだ。核廃棄のルールづくりに関与するのは、北朝鮮の脅威の下にある日本にとって死活的に重要であるはずだ。
 核実験の被害者の支援や環境回復を進めるうえで、日本の教訓と知見も生かせる。まずは、オブザーバー参加し、国際社会との連帯を示すべきだ。

 (社説)広島・長崎「原爆の日」 核の恐ろしさ共有する時
                                   毎日新聞 2021年8月6日

 広島はきょう、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。
 1945年夏、2度にわたる米軍の原子爆弾投下により、20万人を超える市民が犠牲になった。放射線を浴びた多くの人が今なお健康被害に苦しむ。
 惨禍の記憶を次世代に伝え、二度と核兵器が使われない世界をつくる。その思いと願いを再確認する日である。
 核への恐怖感が時代とともに薄れる中で、続く取り組みがある。広島市立基町(もとまち)高校の生徒が被爆者から体験談を聞き取り、想像した光景を描く「原爆の絵」活動だ。
 「兄妹で父親を火葬」と題する作品は、生き残った兄とともに、被爆死した父をひつぎに納め、木切れを集めて火葬した笠岡貞江さんの証言をもとにしている。

高校生が絵で記憶伝承

 漆黒の闇の中、赤く燃える炎が爆発による業火を想起させる。絶望の淵にある兄と妹の虚無的な表情が印象に残る油彩画だ。
 作者の2年生、田邊萌奈美(もなみ)さんは「親の死を悲しむ時間すら与えられない戦争の理不尽さを描きたかった」と話す。
 88歳になる笠岡さんの体験に17歳の田邊さんが触発され、遠い過去を視覚的に再現した。「現代では想像もできないことを一生懸命考えてくれた」と笠岡さんは感謝の気持ちを口にする。
 作品は原爆資料館に寄贈される。2007年に始まった活動で制作された絵は190点に上る。

 体験を継承する取り組みとは裏腹に、世界に目を向ければ、殺伐とした風景が広がる。
 世界の核弾頭約13000発の9割を保有する米国とロシアは、中国を交えて核軍拡競争に血眼になっている。北朝鮮が新たに核を手にし、イスラエルに対抗してイランが核開発を進める。
 「核のリスクはここ40年で最高レベルにある」。国連で軍縮を担当する中満泉事務次長は警告する。米ソ軍拡競争が激化した80年代以来の危機だという。
 警鐘を鳴らす動きもある。国境紛争を抱える核保有国のインドとパキスタンが核戦争に陥った場合の影響を米コロラド大などの科学者が試算した。
 都市部への大規模攻撃で数千万人が爆死し、舞い上がった大量のすすが太陽光を遮る。世界の平均気温は18度下がり、一部の穀物の生産量は20%近く減り、飢餓がまん延する――。
 限定的な核兵器しか持たない国同士の地域的な紛争であっても、影響は地球規模に広がる。世界経済も大混乱に陥るだろう。
 危機を可視化した試算には、国家指導者に核戦争をためらわせる一助になればという期待が込められている。
 それに向けた小さな一歩になるだろうか。バイデン米大統領が今年の716日を「全米被ばく兵士の日」に指定した。1945年に世界初の原爆実験「トリニティ実験」が行われた日だ。

想像する力が惨禍防ぐ
 この後に続く大気圏内の核実験は200回を超え、20万人以上の米兵が携わったが、口外を禁じられ、家族にも明かせないまま多くが亡くなった。90年に創設された補償制度も来年夏に廃止される予定で、風化を懸念する声もある。
 記念日の指定は83年のレーガン政権時以来38年ぶりだ。1年限りの指定だが、議会には恒久化を求める法案が提出されている。国家としての責任を忘れないための機会とすべきだろう。
 市民であれ国家であれ地道な取り組みには意味がある。それでも「核兵器なき世界」に近づくには、より広範な活動が必要だ。
 核廃絶を国際的な規範とする核兵器禁止条約が発効した意義を改めて認識すべきだ。核保有国や、自国の安全保障を米国の「核の傘」に頼る日本は抑止力を損なうとして参加していない。
 だが、核戦争のリスクが高まる中で、どこまで抑止力が機能するのか。むしろ、危機を回避し、核軍縮に向けた外交努力を尽くすことが重要だ。条約はその出発点となりうる。日本も理念を共有する姿勢を打ち出す必要がある。
 80年代初頭に約37万人を数えた被爆者は現在、約127000人だ。この1年で9000人近くが亡くなり、「被爆者がいない時代」がいずれ訪れる。
 核戦争が起きたら自分や家族はどうなるか。ひとりひとりが想像力を働かせる。それが、惨劇を繰り返さない道につながるはずだ。

 (社説)原爆忌 平和を希求する思い世界に
                                読売新聞 2021年8月6日

 新型コロナウイルス流行の厳しい状況下にあっても、被爆の悲惨な記憶を継承する取り組みは、変わることなく進めていかなければならない。
 広島は6日、長崎は9日、原爆投下から76年を迎える。広島市ではきょう、平和記念式典が開かれ、各国の大使らが参列する。
 平和の祭典である五輪も開催中である。平和への思いが広く共有されるよう、発信に努めたい。
 新型コロナの感染拡大により、広島平和記念資料館の入館者数は昨年度、8割減少した。修学旅行生や海外の観光客が訪問できなくなったためだ。被爆者が体験を直接語り継ぐ機会も激減した。
 読売新聞社と広島大学平和センターが実施したアンケートによると、被爆体験の証言活動をする人の多くが、このままでは核兵器の恐ろしさや非人道性が忘れ去られるという不安を感じている。
 歴史継承の新たなあり方を検討すべきだろう。オンラインでの講演や、証言、展示資料のデジタル化などを進め、多言語で積極的に広めていく工夫が重要になる。
 インターネットを通じてでも、世界中から被爆の実相の一端に触れることができれば、国際的な機運の醸成にもつながろう。
 被爆者は昨年度、約9000人亡くなり、平均年齢は84歳に近い。貴重な証言を、活用可能な形で残しておく意義は大きい。
 オバマ元米大統領が広島を訪問して核廃絶を訴えたのは、5年前である。しかし、核をめぐる世界の状況はむしろ悪化している。
 米露両国は、保有する核弾頭数を減らしたが、実戦配備数は逆に増やした。中国は、弾頭数を増加させ、軍縮協議にも後ろ向きだ。北朝鮮の脅威も高まっている。
 米国の「核の傘」に頼らなければ、日本を含む地域の平和と安全を確保できないのが現状だ。
 今年1月、核兵器の使用などを包括的に禁じる核兵器禁止条約が発効した。しかし、核保有国だけでなく、核の傘に守られている国の多くが参加しなかった。
 日本も、米国による核抑止力の正当性を損なうなどとして加わっていない。条約は、国家間の対立を先鋭化させかねない。
 まずは、核兵器を保有する北朝鮮や、保有が懸念されるイランに核を断念させ、核保有国を含めて建設的な形で軍縮協議を進めることが肝要である。
 そうした現実的な努力を主導することが、唯一の被爆国であり、今も核兵器を保有する国に囲まれている日本の責務と言えよう。

 主張原爆の日 覚悟持ち独自の道を進め
                                産経新聞 2021年8月6日

 2度目の東京五輪が開催される中、広島は76回目の原爆の日を迎えた。昭和39年の初の五輪では聖火の最終ランナーを原爆投下の日に広島で生まれた坂井義則さんが務めて被爆国日本の戦後復興を世界に印象付けた。
今回は、世界が新型コロナウイルスという新たな脅威と闘う中での五輪である。
 昨年に続いて平和記念式典は縮小開催となるが、犠牲者の霊を弔う気持ちに変わりはない。緊急事態宣言や蔓延(まんえん)防止等重点措置が出ている都道府県もある。外出を控え、心静かに祈りたい。
 被爆者の平均年齢は84歳に迫った。高齢化が進む。原爆投下直後に降った「黒い雨」をめぐる訴訟で原告勝訴が先日確定した。救済の枠組み構築を急ぎたい。

 原爆の惨禍を直接知る人が減る一方で、世界における核の脅威は増大の一途をたどっている。
 今年1月、核兵器の開発や実験、保有、使用を全面的に禁止する核兵器禁止条約が批准した50の国・地域で発効した。核廃絶への歩みを進めると期待する向きもあるが、ことはそう単純ではない。条約に加わらない日本を非難するのも短絡的な見方である。
 米露中英仏をはじめ、核保有国はこの条約に一国も加わっていない。日本だけではなく北大西洋条約機構(NATO)加盟国や韓国など、米国の核抑止力(核の傘)を利用する国も同様だ。
 唯一の被爆国として、日本が核兵器廃絶や核軍縮を目指すのは当然のことだ。ただ、核禁条約ではその実現は難しいという現実を直視すべきである。
 地図を見てほしい。日本は中露や北朝鮮の核の脅威に常にさらされている。もし日本が条約に加われば、核抑止力を先に解くことになる。よしんばすべての保有国が核を放棄したとしても、水面下で核を持とうとする国やテロ組織が現れないという保証はない。

 繰り返すが日本は唯一の被爆国である。だからこそ歩む独自の道に、使命と覚悟を持つべきだ。
広島や長崎の悲劇を世界に伝え続けることは責務であり、日本を最初で最後の被爆国とすることは使命である。そして理想のみに頼らず流されず、現実的見地に立って平和を追求し続ける覚悟が必要だ。被爆国である日本が条約に加盟しない理由こそ、世界の核の現実である。

 (社説)[原爆投下76年]今こそ真の橋渡し役に
                                沖縄タイムス 2021年8月6日

 広島と長崎へ原子爆弾が投下されてから76年。広島はきょう6日、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。
 被爆者の悲願だった核兵器禁止条約が発効してから初めての原爆忌である。
 あの日、強烈な熱線や爆風、放射線で町は一瞬にして焼け野原となった。1945年末までに約20万人もの尊い命が奪われた。
 生き残った被爆者たちは放射線による健康被害に苦しみ、症状のない人もいつ病気になるか分からないという不安と闘ってきた。
 その中で自身の過酷な体験を伝え、核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者たちの粘り強い努力が実を結んだのが核兵器禁止条約だ。
 前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記されており、今年1月に発効した。
 しかし唯一の戦争被爆国である日本は、米国の「核の傘」に頼り同盟関係を重視する立場から批准していない。
 こうした日本政府の姿勢は被爆者だけでなく「核なき世界」の実現を求める国際世論も失望させている。
 広島市の松井一実市長はきょう開かれる平和記念式典の平和宣言で、各国に条約への支持と「核抑止論」からの脱却を訴える。
 日本政府には条約への批准と来年1月に開かれる予定の第1回締約国会議への参加を求める。過ちが繰り返されてはならないとする被爆地の使命感による訴えだ。
 式典に参列する菅義偉首相はどう応えるのか。世界の目が注がれている。

■    ■
 ストックホルム国際平和研究所の推計によると、今年1月時点の世界の核弾頭数は9カ国で計1万3080発にも及ぶ。核廃絶への道のりは極めて険しい。
 軍縮を進めない核保有国に対する非保有国の不満は強く、核兵器禁止条約を生む背景にもなった。
 日本は核廃絶というゴールは条約と共有するがアプローチが異なるとの立場で、保有国と非保有国の「橋渡し役」を担う考えを示している。
 だが、条約に背を向けてその役割を果たせるのか。そもそも「橋渡し役」として何をしているかが見えてこない。
 日本世論調査会の世論調査では、条約に「参加すべきだ」と答えた人は71%に上った。締約国会議へのオブザーバー参加にも85%が「出席するべきだ」と考えている。
 被爆国としての責務を積極的に果たすよう求めているのだ。日本は会議への参加を決めるべきである。

■    ■
 広島と長崎での被爆者は3月末時点で12万7755人。平均年齢は83・94歳となった。
 昨年来のコロナ禍においても「今、語らなければ」とオンラインなどを通して体験を語る被爆者の思いは切実だ。
 きょうの「原爆の日」は平和の祭典である東京五輪のさなかに迎える。広島市や被爆者団体は選手らへの黙とうの呼び掛けを求めていたが、国際オリンピック委員会はその対応をしない方針だという。
 戦争被爆国で五輪を開く意味を「原爆の日」に共に考えたかった。残念でならない。

 (社説)原爆忌に考える 被爆地にともる「聖火」
                               東京新聞 2021年8月6日

 毎月9日、そして毎年8月6日にも、長崎市の爆心地公園の一角に「聖火」がともされます。
 「長崎を最後の被爆地とする誓いの火」。核兵器が完全に禁止されるその日まで、長崎市民有志が守り続ける祈りの灯です。
 ギリシャ政府の許可を得て、オリンピアの丘で、五輪と同様古式ゆかしく、太陽から採火された「誓いの火」=写真。「平和の象徴を被爆地に」という市民の願いが実を結び、長崎市平和公園の平和祈念像前にしつらえた仮設灯火台に点火されたのは、1983年8月7日の夜でした。
 五輪以外で“聖火”が海を渡るのは、極めて異例のことでした。当時文化相だった女優、メリナ・メルクーリさんの特別な計らいがあったと言われています。

◆核廃絶は乙女の祈り
 ギリシャ政府に「聖火をください」と呼びかけた平和運動家の渡辺千恵子さんは、長崎最初の被爆者団体「長崎原爆乙女の会」の設立メンバーです。16歳の時、「学徒報国隊」として勤労動員された軍需工場で被爆しました。
 崩れた鉄骨の下敷きになって脊椎を骨折し、下半身不随になりながら、車いすで世界を駆け巡り、93年に64歳で亡くなるまで、核廃絶を訴え続けた人でした。
 渡辺さんは五輪の聖火に込めた思いをこのように書いています。
 <古くからギリシャでは、聖火が灯(とも)されている間は、どんなに激しい戦闘がおこなわれていても、ただちに休戦する習慣(ならわし)になっていたといわれる。聖火は平和のシンボルなのである。私たちのねがいも、核兵器のない、平和の社会を実現するということにあるので目的は合致する>「長崎よ、誓いの火よ」(草の根出版会)。
 「誓いの火」は87年、全国から基金を募り、現在の場所に常設された灯火台に移されました。
 高さ約5メートルのタイル張り。仮設から移されるまでの間は、被爆者の1人が自宅の仏壇の前で大切に種火を守り続けていたそうです。
 コロナ禍と猛暑の中で開催中の東京五輪。首都では今日も五輪の聖火が燃えています。
 「五輪の聖火が戻って来たのは喜びたい。しかしオリンピックそのものがコロナと戦っているようなこの時期に、あの聖火を『不戦の炎』と呼んでもいいのだろうか…」。「誓いの火」を管理する市民有志の代表里正善さんの東京五輪に対する気持ちは複雑ですが、「ナガサキの聖火」に込めた祈りは揺らぎません。
 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、五輪開幕前の先月16日に広島を訪れて、原爆慰霊碑に献花したあと被爆者と面談し、「東京五輪、パラリンピックがより平和な未来への希望の光になると確信している。五輪を通じて世界平和に貢献したい」とのメッセージを出しました。
 原爆資料館の芳名録には「広島市民と広島市に対して敬意を表し、ここにわれわれの平和への努力を誓う」と記帳しました。
 同じ日、コーツ副会長は長崎市を訪れて「平和は五輪の中心理念で、平和の街としての長崎に敬意を払うために私はここにいる」というスピーチをしています。

◆五輪の理念を再確認

 被爆地と被爆者への敬意、そして五輪が掲げる平和の理念が真実ならば、76年前に広島で原子爆弾がさく裂したきょう6日午前8時15分、選手や大会関係者に黙とうを呼び掛けてほしいという広島市などの申し出を、IOCが拒絶したのは不可解です。
 せめて8日に迫った閉会式、長崎原爆忌の前夜には、短くていい、ヒロシマ、ナガサキ、さらに世界に向けて、核のない平和な時代を希求する、具体的なメッセージを残してほしいと願います。
 視聴率至上、商業主義のうねりの中で、五輪の存在意義が大きく揺らぐ今だからこそ、そもそもの理念を、この世界で唯一の戦争被爆国で再確認してもらいたい。

 そこに希望を見いだす人がいる限り、五輪は今も「平和の祭典」、聖火は今も「平和の象徴」であるべきです。8月のこの時期ならば、なおのこと。

 <夜、聖火は太陽へ帰った。人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか>
 1964年の五輪を記録した映画「東京オリンピック」(市川崑監督)の掉尾(ちょうび)を飾る字幕の言葉。
 明後日、聖火は再び太陽へ帰ります。新しい希望の種火を、ヒロシマ、ナガサキ、そして世界に残していきますように。