(社説)戦後76年の夏 問われ続ける主権者の覚悟
                             朝日新聞  2021年8月15日

 国の内外の人々に大きな苦難をもたらした第2次大戦の終わりから、76年になる。
 戦後の日本が憲法を手にめざしたのは、国民が主権を行使し、個人が等しく尊重される社会の実現だった。だが不平等はさまざまな形で残り、新たな矛盾も生み出されている。
 昨年来のコロナ禍の下で迎えた8月15日。個人の幸せの実現のために国家があることを確認し、一人ひとりが自律的に社会に関わっていくことの大切さを改めて考える機会としたい。

 ■異論封じた果てに

 戦争の終わりは「はじまりの日」でもあった。
 大正期から婦人参政権運動を率いた市川房枝は、敗戦を告げる昭和天皇のラジオ放送を東京の知人宅で聞いた。くやし涙を流した後、「さて、私たちは何をすべきかを考えた」と自伝に記している。
 その覚悟は、直ちに焦土のまちを友人を訪ねて回り、10日後には女性政策を進言する団体を設立したところにうかがえる。
 この年12月、衆議院での女性の参政権を認める法改正があった。占領軍による民主化5大政策のひとつ「女性の解放」に沿うものだったが、市川らの運動がその土台を築いていたことを忘れるべきではない。
 「男女に等しく政治的な権利を」という今では当たり前の主張は、男尊女卑の家父長的家族制に基礎をおく戦前の体制と真っ向から対立するものだった。このため当時の運動は、男女平等の本質を説くより、「台所と政治をつなぐ」ことの利点を訴えるという、妥協的なものにならざるをえなかった。それでも壁は破れなかった。
 治安維持法制のもとで、体制に疑義を唱える者は弾圧・排除され、あるいは懐柔された。非戦主義者だった市川自身も、やがて時代に絡め取られていく。言論統制に携わる組織の理事を務めたとして、戦後、公職追放された。

 批判にさらされない権力が暴走した先に、敗戦があった。

 ■平等なしに平和なし
 復権後に参院議員をおよそ25年務めた市川が死去して、ちょうど40年。戦後の改革で法律や制度の民主化が図られたが、めざした社会の実現は遠い。
 女性の国会議員は全体の15%に満たない。家父長制は廃止されても、それに由来し、世界に類を見ない夫婦同姓を強制する法律は引き継がれたままだ。性別に基づく役割分業論も、ことあるごとに姿を現す。
 男女の問題に限らない。社会的な地位、障害の有無、性的指向、民族の違いなどによる不平等や格差が歴然とある。
  コロナ禍はその現実を浮き彫りにした。例えば、ひとり親をとりまく課題に向き合うNPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」の調査では、非正規労働者が調整弁に使われ、雇用や収入などで大きな不利益を受けている様子が見て取れる。ところが政治はそうした声をすくい上げる機能を欠き、十分な支援策を打ち出せていない。
 「こんなはずではなかった。それが76歳になろうとする私の思い」。そう語るのは、終戦の年に生まれ、ジェンダー研究から市川の歩みをたどった東洋英和女学院大学名誉教授の進藤久美子さんだ。集団の利益を重んじる政治文化が残り、異なる経験に基づく価値観が採り入れられてこなかったと感じている。

 平和なくして平等はなく、平等なくして平和はない――。市川は晩年、そう強調した。
 違いを認め合い、対等な立場で個人の尊厳が守られている国の間で戦争は起きないし、逆に戦争が起きれば平等も尊厳も、そして生存自体も脅かされる。
 「市川本人の戦争体験から出た言葉だが、後に世界に広がった『人間の安全保障』の考え方に通じる」と進藤さんは話す。

 ■コロナ禍が試すもの
 政治権力がしたこと、しなかったことの責任を、これまでの為政者だけに帰すわけにはいかない。そういう政治を選び、委ね、許してきたのは他ならぬ主権者だからだ。
 国民の命やくらしを守るという国の責務が、今ほど切実に問われているときはない。
 コロナ禍はまた、強い感染防止対策と個人がもつ自由・権利とを、どう調整するかという問題を突きつけた。権威主義的な体制のほうがこうした危機にはうまく対応できる、という言説すらある。
 公法学者から政治家に転じたブランケール仏教育相も7月に来日した際、その難しさを吐露した。大統領に強い権限がある国だが、人々が異論を挟めることに意味があると述べた。政府の決定が漫然と受け入れられることはないし、そうあるべきではないとの見方だ。
 社会にひそむ問題、とりわけ弱い立場に置かれている人たちが抱える苦しみを共有し、とられる政策を見定め、責任ある主権者として声を上げる。
 その積み重ねの先に、市川が「はじまりの日」に希求した平等があり、平和がある。

 (社説)問う’21夏 宣言下の終戦の日 人命を最優先する社会に
                             毎日新聞  2021年8月15日

 新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が東京や大阪など6都府県に発令される中、76回目の終戦の日を迎えた。
 コロナ前に例年6000人程度が出席していた政府主催の全国戦没者追悼式は参列者が過去最少の約200人となる見通しだ。式典自体を取りやめた自治体もある。
 死者を悼み、平和を願う取り組みにコロナ禍が影を落とす。戦争体験者や遺族らの高齢化が進む一方、戦争の実相を伝える各地の資料館は入館者が減っている。
 人々は外出や会食の自粛を求められ、飲食店は時短営業で苦境に直面し、社会に閉塞(へいそく)感が広がる。
 時代や状況が異なる出来事を対比することには慎重でなければならない。それでも、コロナ下の暮らしが戦中の日々を想起させる。

続く国民へのしわ寄せ
 戦時中、人々は国家権力に翻弄(ほんろう)された。召集令状1枚で戦場に駆り出され、勤労奉仕や配給制の下で耐乏生活を強いられた。
 東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」には灯火管制下の部屋の模型が展示されている。1945310日、12歳で空襲に遭った前館長の小説家、早乙女勝元さんは「コロナ下の今は少年時代と似てきた」と語る。
 空襲当日の大本営発表のラジオ放送を忘れられない。「都内各所に火災を生じたるも、宮内省主馬(しゅめ)寮は235分、その他は8時ごろまでに鎮火せり」――。「100万人の罹災(りさい)者と10万人の死者は『その他』で片づけられた」

 民間人軽視の姿勢は戦後に引き継がれた。
 旧西ドイツは戦争犠牲者援護法を定めて市民にも救済の手を差し伸べたが、日本では元軍人・軍属とその遺族への補償が優先され、民間人の被害救済は長らく置き去りにされてきた。
 立ちはだかったのは、非常時に生じた生命、身体、財産の損害は国民がひとしく耐え忍ばなければならない――とする「戦争被害受忍論」である。
 戦後処理問題に取り組む「シベリア抑留者支援センター」代表世話人の有光健さんは「国には、犠牲を強いられてきた国民へのリスペクトがない」と指摘する。
 空襲被害者については昨秋、救済法案がまとめられたが、与党内の調整がつかず、国会提出が見送られている。原爆投下直後に降った「黒い雨」を浴びた住民の救済問題も残されている。
 国民がしわ寄せを受ける構図はコロナ禍でも変わらない。事業者に対する協力金や生活困窮者への支援金の給付は遅れた。医療体制は逼迫(ひっぱく)し、入院できずに自宅で息を引き取るケースが相次ぐ。
 先の大戦では、過去の成功体験にとらわれた軍部の楽観的見通しが惨禍を招いた。当時、重要な作戦が失敗した場合の対応は十分に想定されていなかった。
 旧日本軍の欠陥を分析した研究書「失敗の本質」は、日露戦争に勝った軍部が時代遅れの戦術に固執し、変化への適応能力を失っていた様子を浮き彫りにしている。
 共著者の一人、戸部良一・防衛大名誉教授は「戦後日本も復興から高度成長、経済大国化へと経済優先で歩み続け、非常時にリスクとどう向き合うかを考えてこなかった」と警鐘を鳴らす。

平和を支える国会の力

 リスクを直視し、人命と平和を守る政治が求められている。重要な役割を果たすのは、国民の代表で構成される立法府だ。
 哲学者のカントは「永遠平和のために」の中で、立法権が行政権から分離された政治体制こそが平和を実現し得ると説いた。いわば「強い議会のすすめ」である。
 「国民は戦争のあらゆる苦難を背負い込むのを覚悟しなければならず、割の合わない賭け事を始めることに慎重になる」と、戦争を忌避する国民の性向を指摘した。
 議会と政府の境界があいまいになって戦争に突き進んだ過去を省みる必要がある。ナチス・ドイツではヒトラーが議会から立法権を奪い、日本では国家総動員体制下、帝国議会の形骸化が進んだ。
 懸念されるのは「政治主導」の名の下に統治機構のバランスが崩れた日本の現状である。官邸の権限が強化され、「国権の最高機関」である国会は空洞化が進み、政府の下請け機関に甘んじている。
 秋までに総選挙がある。コロナ下の今こそ、人命を最優先する社会の実現が必要とされている。政治における国会の力を取り戻すことがその出発点になるはずだ。

 (社説)終戦の日に考える 過去と未来への想像力
                                  東京新聞  2021年8月15日

 馬とか鹿とか、私たちにはとかくほかの生き物を悪く言うところがあります。例えば、明治の国際人岡倉天心の有名な逸話でも
 滞米時、「おまえはどのニーズだ。チャイニーズ(中国人)かジャパニーズ(日本人)か、それとも、ジャワニーズ(ジャワ人)か?」とからかわれ、即座にこう言い返したといいます。「おまえこそどのキーだ。ヤンキー(米国人の俗称)かドンキー(ロバ)か、それともモンキー(サル)か?」
 ラップ音楽を思わせる“脚韻”がみそですが、それはともかく、こういう修辞は、ロバにも少し、そして特にサルには申し訳ない気がします。
 確かに、人間は、火や言語を操る、道具を作るといった点でサルとは違うのでしょうが、聞けば、例えばチンパンジーとヒトのゲノム(全遺伝情報)は98・8%が同じだとか。同じ祖先を持ち、かなり似ているのに、「猿知恵」とか「猿芝居」とか、「浅はか」な考えや振る舞いをサルに結びつけて表現したりもします。
 どうなんでしょうね。「浅はか」さでは人間の方がむしろ…と、思わないでもありません。

◆環境破壊、そして戦争
 例えば、人間の活動がもたらしている地球環境の破壊。サルなどの生き物はもちろん、当の人間さえ脅かす負の影響が年々歳々、増大しているのに、立ち止まりも、引き返しもできない。「まだ大丈夫」と言いながら、ひたすら成長を追い求める道を進み、見えない「帰還不能点」に近づいていくことが、どれほど浅はかな振る舞いかは、多くの科学者や科学的データが示しています。こんな短歌を思い出しました。<この道はまちがいなりと森へ帰り樹上にもどりし猿もありけむ>村松建彦。
 そして、人間の「浅はか」な振る舞いといえば、戦争をあげないわけにはいきません。今日は、終戦の日です。
 戦後76年。ですから、80歳ぐらいより上の方でしょうか、あの戦争を体験し、かつ明瞭な記憶があるという人は。もはや、日本人の9割ほどは「戦争を知らない子供たち」。しかし、2度と繰り返さないためには、体験していないからといって、「忘れて」いいことにはなりません。

 体験していないことを「忘れない」ために、多分、1番、問われるのは、私たちの「想像力」でしょう。口づてにしてくれる戦争体験者は少なくなっているわけですから、想像のための手がかりが減っているのは確かです。でも、多くの昭和史研究の良書、おびただしい数の戦争文学や体験記、あるいは、戦争に関する展示がその助けになってくれるはずです。
 新聞などは、広島、長崎の原爆忌、そして終戦の日を抱え込んだこの月になると、毎年、戦争に関するニュースや話題を集中的に報じる傾向があります。それを「8月のジャーナリズム」と揶揄(やゆ)する言葉もありますが、それとて、当時の日本の庶民が一体、どれほどの辛酸をなめたのか、空襲や戦場がどれほど恐ろしく悲惨だったのかを想像するための一助にはなろうかと思います。

◆くよくよ悩む人間の力
 しかし今、わが国の政治は戦争から遠ざかるのとは逆の道を歩んでいるように見えてなりません。改憲の動きも安保関連のさまざまな法整備も、恐らくは、すぐ戦争に直結するわけではない。時にはむしろ「平和のため」という釈明さえなされます。でも、例えば、その改憲がいずれどんな所へと国民を追いやっていくことになるのか。そのことに全力で思いを巡らし、<この道はまちがいなり>と思い至ったならばノーという。そういう想像力が、私たちには一層必要になっていると思います。
 最近、新聞で紹介されていた歌人平井弘さんの一首です。<通つたところは覚えてゐるものだよ危ないはうへむかつてゐる>。思わず、ひざを打ちました。
 私たちには、明日のことを考えて気に病み、昨日のことを思い出して、くよくよ悩むようなところがあります。かと思えば、見たこともない遠い所の出来事を案じて気をもんだり。でも、ある霊長類学者によれば、サルはそうではない。彼らの想像力にそうした広がりはないのだといいます。いわばサルは「今」と「ここ」の世界を生きている。だから、思い悩んだりもしないのだそうです。

 うらやましい気もしますが、もしかすると、逆に、それが「火」や「道具」や「言語」より大きな人間とサルの違いなのかもしれません。体験していない過去のことを想像して共感したり教訓にしたり、起きるかもしれない未来のことを想像して警戒したり思い直したり。そうできるのが人間の人間たる所以(ゆえん)なのだとしたら、その能力を磨かない手はありません。

 (社説)終戦の日 平和堅持へ情勢の変化直視を
                                  読売新聞  2021年8月15日

 ◆防衛体制の強化で有事避ける◆
 76回目の終戦の日を迎えた。東京・日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。
 新型コロナウイルスの感染防止のため、昨年に続いて参列者の数を抑え、規模を縮小しての開催となる。
 310万人の戦没者を悼み、戦後の平和と繁栄に思いを致す意義は変わらない。日本周辺の安全保障環境が悪化する中、危機対応のあり方や有事を避ける手立てを改めて考える機会としたい。

 ◆惨禍の教訓生かしたい
 国民生活の安全を脅かすものは国家間の戦争だけではない。
「ウイルスとの戦争」と称されるコロナ禍は約1年半に及ぶ。今も収束の兆しは見えない。この間の政府の対応は、戦後の日本が抱える構造的な課題を浮き彫りにしたと言えるだろう。
 病床や宿泊療養施設の確保に手間取り、感染者が急増するたびに医療体制の 逼迫 が叫ばれている。ワクチンの開発や確保、接種も、他国に後れを取った。
 感染症対策や病床の拡充ではこれまでも多くの提言があった。必要な対策を講じるべきだったのに、そのための議論を 疎 かにしてきたのではないか。
 政府と自治体の連携不足やデジタル化の遅れも目立っている。
  1人10万円の特別定額給付金や休業補償で混乱が生じ、必要な人に迅速に届けられなかった。
 感染者との接触の可能性を知らせるスマートフォン用アプリは4か月も不具合が放置され、利用が一向に広がっていない。
 危機対応では現場で何が起きているのかを正確に把握し、刻々と変わる状況に機動的に対応することが重要だ。昭和の戦争で日本は学んだはずである。
 今年1月に亡くなった作家の半藤一利さんは著書「昭和史」で、当時の政治指導者や軍の幹部に「自己過信」や「底知れぬ無責任」があったと指摘していた。
 日本軍の組織上の問題点を分析した戸部良一さんらの名著「失敗の本質」も、「戦力の逐次投入」や「根拠なき楽観主義」を敗戦の要因に挙げている。
 国家の安全を確保するためにはなおさら、過去の教訓を踏まえ、同時に国際情勢の変化を冷静に見極めることが大事だ。

 ◆中国の脅威に備えよ
 戦後の日本は、日米同盟を基軸に自由主義陣営の一員として歩んできた。1991年のソ連崩壊で自由主義の勝利が 喧伝 されたが、30年後の今、日本を取り巻く情勢は厳しさを増している。
 最大の要因は、覇権主義的な行動を強める中国だ。沖縄県・尖閣諸島周辺や南シナ海で一方的な現状変更を試み、香港の「一国二制度」を形骸化させている。
 特に懸念されるのは、力による台湾統一も辞さない姿勢を示していることだ。台湾海峡での有事は日本にも甚大な影響が及ぶ。
 米国は同盟国や友好国と連携して中国と 対峙 する構えだ。台湾への侵攻が可能だと中国が誤解することがないよう、日本は米国との同盟を強化し、確固とした抑止力を構築する必要がある。
 ロシアも北方領土に関して一方的な行動を強めている。ウクライナのクリミア半島を併合したような「力による現状変更」を決して容認してはならない。
 北朝鮮の核・ミサイルの脅威への対処も問われている。
 国の安全保障に「想定外」は許されない。脅威を直視し、有事に的確に対応できる体制の整備について議論を深めるべきだ。そうした努力が、結果的に有事を未然に防ぐ道となる。
 東京五輪が閉幕し、24日からはパラリンピックが始まる。コロナ禍を乗り越えての開催は、日本に対する国際的な信頼の向上にもつながるだろう。

 ◆国際社会へ発信を強化
 冬季も含め4度の五輪開催は、戦後の日本の民主主義と平和の歩みを象徴していると言える。
 一部の近隣国がこの事実からあえて目をそらし、歴史認識に関わる問題で反日的な宣伝を続けているのは遺憾の極みだ。
 日韓関係は元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)や元慰安婦を巡る問題で冷え込んだままだ。
 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)では今年、歴史的文書の保存・活用を目的とする「世界の記憶」で、政治利用に歯止めをかける改革が実現した。日本が主導し、韓国や中国が反日宣伝に悪用する余地が大幅に狭まった。
 歴史や領土を巡る身勝手な言動には適切に反論し、日本の立場を国際社会に積極的に発信していくことが重要である。

 (社説)終戦記念日 戦後補償は終わってない
                             山陽新聞  2021年8月15日

 76回目の終戦の日である。先の大戦で犠牲になった約310万人を追悼し、平和への誓いが新たにされよう。
 これだけの年月を経て、いまだに取り残された戦後処理があることにも思いを致したい。空襲被害者への補償問題もその一つである。
 1945年3月10日に約10万人の死者が出た東京大空襲をはじめ、全国の主要都市が米軍の焼夷(しょうい)弾爆撃を受けた。6月29日の岡山空襲でも市街の約6割が焼失し、1737人以上が尊い命を奪われた。
 岡山、福山、東京などの空襲被害者や遺族が結成した「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)などによると、犠牲者数は40万人とも60万人ともいう。生き延びても、心身に重い傷を負い、肉親や財産を失い、厳しい人生を送った被害者は多い。一般市民を巻き込んだ戦争の理不尽さを思わずにいられない。
 国の戦後補償はこの人々を置き去りにしてきた。旧軍人・軍属や遺族には「恩給法」「戦傷病者戦没者遺族等援護法」により、約60兆円の補償や援護が行われてきた。対して、都市からの避難を禁止され、空襲時には消火義務を負わされた民間の空襲被害者に補償制度はない。総動員体制で行われた戦争の被害補償が民間人という理由で行われないのは不合理だ、と被害者が訴えるのも当然だろう。
 空襲被害者へ補償がなされていない状況の根底にあるのが、戦争被害の「受忍論」である。最高裁が68年に示した「国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならない」とする考え方だ。皆が大変だったのだから我慢すべきだとする受忍論は空襲被害にも適用され、国の姿勢もこの考えに基づいてきた。
 局面が動いたのは、被害者が2007年に東京、08年に大阪で国を提訴した裁判で地裁、高裁が「国会が政治的配慮に基づき、立法を通して解決すべき問題」と示してからだ。15年に議員立法化を目指す超党派の「空襲議連」(現会長・河村建夫自民党衆院議員)が発足。昨年には障害や精神疾患を負った人に1人50万円を支給する法案要綱をまとめた。今年6月に閉会した通常国会に法案提出が期待されたが、自民党内の合意が得られず見送られた。先行きは不透明というしかない。
 被害者たちが国による救済を訴え続ける背景には受忍論への抵抗がある。6歳の時に空襲で左足を失った女性は「最も恐れるのは、私たち戦争体験者がいなくなった時代に再び戦争が起き『君たちのおばあさんは受け入れたのだから、あなたたちも戦争被害を受忍しなさい』と言われること」と語る。
 戦後補償を巡っては、「黒い雨」による被爆者認定や沖縄戦被害者の救済問題などもある。戦争体験者の高齢化が進む中、政府や国会は積み残された戦後補償の責任に真摯(しんし)に向き合う必要がある。

 (社説)[「8月15日」に]敗戦の傷跡今なお深く
                                 沖縄タイムス  2021年8月15日

 新型コロナウイルスの感染急拡大が続く中、きょう15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が、規模を大幅に縮小して開かれる。
 日中戦争を含むアジア太平洋戦争の戦没者は、軍人・軍属約230万人、空襲や原爆、沖縄戦などで亡くなった民間人約80万人の合わせて310万人。
 「終戦の日」の8月15日前後に、各メディアが毎年のように取り上げるのが、この数字である。
 追悼式では例年、310万人の死が「尊い犠牲」としてひとくくりされるが、マリアナ諸島など外地の戦没者の実相は凄絶で、聞けば聞くほど知れば知るほど、暗たんとした気持ちに襲われる。
 軍人勅諭は「死は鴻毛(こうもう)より軽しと心得よ」と説いた。鴻毛とは羽毛のこと。
 兵士の命は、召集令状の郵便料金にちなんで「一銭五厘の命」とも、やゆされた。
 戦陣訓は「生きて虜囚の辱めを受けず」と戦場での兵士の心構えを述べ、捕虜になるのを強く戒めた。
 補給路を断たれた戦場で日本兵は飢えに苦しみ、病気に悩まされ、大量の餓死者を出した。動けない傷病兵は「処置」された。
 特攻、玉砕、集団自決、餓死、スパイ視による自国民殺害…。日本軍はなぜ、このような戦没者を大量に生んでしまったのか。
 桜のように散るのをいさぎよいと考え、人の命を軽く見たのはなぜなのか。
 「尊い犠牲」という言葉の背後には、これらの問題が横たわっている。

 ■    ■
 太平洋戦争が終わって76年。旧軍人・軍属に対しては恩給や遺族年金が支払われてきたが、空襲被害者やその遺族には補償していない。
 サイパンを失い、マリアナ諸島を失ったことで、日本の敗北は決定的になった。B29爆撃機による「本土空襲」が可能になったからだ。
 実際、日本の都市はB29の空からの焼夷(しょうい)弾攻撃に成すすべもなく蹂躙(じゅうりん)され、多くの犠牲者をだした。
 補償法制定に向けた超党派の動きはあるが、空襲や沖縄戦で障害を負った民間人に50万円を支給する補償法案は、まだ提出されていない。
 朝鮮半島出身の元BC級戦犯らへの補償を訴えてきた李鶴来さんは今年3月に96歳で亡くなった。
 彼ら彼女たちには、もう時間がない。行政も司法も「戦争受忍論」をタテに補償を拒否し続けているが、軍人・軍属優先、自国民優先の内向きの援護法の考え方をあらためる必要がある。

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 全国戦没者追悼式に合わせ、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表が14日、15日の日程で、式典会場の近くでハンガーストライキを始めた。
 本島南部の激戦地土砂には、戦没者の遺骨が骨灰のような形で混じっている可能性がある。
 そこの土砂を名護市辺野古の新基地建設のための埋め立て工事に使うという計画は、あってはならない計画であり、戦争と現在のつながりを考える上でも極めて重要だ。