本の紹介 労働弁護士「宮里邦雄」55年の軌跡
                                             2021年7月9日  高橋 均

   観光労連に身を置いた方ならだれでも知っている、我らが尊敬する宮里邦雄弁護士の半生記である。
1974年に起きた日本旅行社の13名の解雇事件、読売旅行の争議、2004年に始まった東急観光争議など、いずれも宮里弁護士のお世話になったことは覚えておられるだろう。
沖縄宮古島で育ち、1958(昭和33)年琉球列島米国民政府長官発行のパスポートを携え、国費留学生として東京大学に入学した宮里さんは、1965年に弁護士登録する。爾来、今日まで一貫して労働弁護士として労働者の権利擁護、労働運動の前進のために尽力してこられた稀有な人である。


 労働弁護の傍ら、中央大学、早稲田大学、東京大学法科大学院でも教鞭をとり、日本労働弁護団会長を10年も務められた。まさしく「労働弁護団の出世街道一筋に歩んできた(笑)」(本書より)人である。
本書は3部構成になっている。第Ⅰ部はインタビューで聞く55年。時代とともに変化した労働事件の特徴が語られる。また、マル生反対闘争、スト権スト、国鉄民営分割反対闘争など「国労問題」の長いたたかいにかなりのページが割かれている。
さらに、棗弁護士と語り合う「労働弁護士の未来」では、派遣やフリーランスという新しい働き方に労働運動がどう向き合っていくべきかを提起している。そして、労働弁護士に必要なのは何よりも「熱き志」だと言い切るのだ。
 第Ⅱ部は裁判をめぐる随筆である。パワハラ訴訟の先がけとなった東芝府中工場の「上野裁判」の弁護を担当。「使用者の労働者に対する指導監督権限の行使に当たっては、労働者の人格・人権を尊重した合理的なものでなくてはならない」との判決を勝ち取り和解する。
また、最高裁で何度も弁論した経験も記されている。とくに、オペラ合唱団員の労働組合法上の労働者性が争われた新国立劇場運営財団事件、定年後再雇用者と正社員の賃金格差を争った長澤運輸事件では、宮里弁護士の最高裁での哲学的しかし洒脱な弁論で、いずれも逆転勝訴の判決につながったことは周知のとおりだ。
労働事件だけではない。沖縄出身弁護士として、沖縄違憲訴訟、恵庭事件、代理署名拒否事件など沖縄関係の多くの訴訟に関わってきたことも述べられている。
 第Ⅲ部は、折々の記。ふるさと宮古島の生活から始まる自分史である。中味はぜひお読みいただきたいのだが、多趣味、教養・文化人であることがよく分かる。ウイットに富む講演時の間の取り方のうまさは、落語好きの影響かとは思っていたが、クラシック音楽や映画にこれほど造詣が深いとは知らなかった。
 
 さて、読後の感想を少しだけ述べることをお許しいただきたい。
 パワハラ訴訟の上野さんが35年後の定年まで東芝府中工場で働き続けたことを感無量と語っているのには訳がある。それは弁護士になってはじめての不当労働行為事件で労働委員会では勝利命令を勝ち取り職場復帰しながら、組合がつぶされ、しかも中心人物だったYさんが自殺に追い込まれてしまった苦い経験が原点にある。「労働組合にとっと本当の勝利とは何か」をいつも考えてきた宮里さんの思いが詰まっている。
 それはまた、「団結無くして解決なし」という宮里さんの確信につながっているだと思う。国労弁護団長として、内部の不統一が解決を阻害していることを指摘し、毎年の大会で言い続けた宮里さんの熱意が国労問題を解決に導いたといっていいだろう。
 「宮里はどうやら引退するらしいという『あらぬ風評』を流さないようにしていただきたい」と、弁護士50週年の出版記念会で挨拶し、会場を沸かせたのを覚えているが、それから6年、80歳を過ぎてなお「老兵は死なず、まだ前線にあり」(本書より)なのだ。そんな宮里さんにまだまだ教えを乞いたいと思っている。(高橋 均)

 労働弁護士「宮里邦雄」55年の軌跡(宮里邦雄著 論創社 2000+税 20216月)