(社説)沖縄慰霊の日 76年なお続く傷の痛み
                               朝日新聞  2021年6月23日

 沖縄はきょう、慰霊の日を迎えた。第2次大戦末期の苛烈(かれつ)な地上戦で亡くなった人たちを悼み、恒久平和を祈る日だ。県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦は、今も人々の心の中に深い傷を残し、非戦の誓いのよりどころとなっている。
 
 ところが、そんな思いを踏みにじる事態が進む。


 辺野古の海の埋め立てを進める政府が、県に昨年提出した計画の中で、土砂の調達先に「沖縄本島南部」を加えたことが明らかになり、県民の怒りと反発が続いている。軟弱地盤の発覚に伴う計画変更で、当初は県外中心だった採取場所を見直したための措置だという。
 本島南部は最大の激戦地で、地中にはなお3千柱近くが眠ると推定される。それを掘り起こして、反対の民意が繰り返し表明されている米軍基地の建設に使おうとする無神経さに驚き、あきれる。県議会が今年4月、遺骨が入った土砂を埋め立てに使うことは「人道上許されない」とする意見書を、全会一致で可決したのは当然だ。
 政府も「遺骨の問題は大変重要」と述べてはいる。だが沖縄の苦難の歩みを知っていれば、そもそもこのような計画を示すことなどできないはずだ。
 ボランティアで遺骨収集を続ける具志堅隆松(たかまつ)さん(67)に、80代のある女性は亡くなった兄の遺骨がかえってきていないと嘆き、「死んだと聞いた場所が弔いの場」と話したという。多くの県民に通じる思いだろう。
 沖縄の復興は遺骨収集から始まったとも言われる。命をつないだ人たちは、身元のわからない骨も丁重に扱ってきた。
 沖縄戦の死者は米側1万2500人、日本側18万8100人で、うち6万5900人は他県出身の兵だ。2年前に見つかった遺骨はDNA型鑑定などで身元が判明し、この春、北海道の遺族のもとに届けられた。
 近年、歴史をないがしろにする政府の姿勢が顕著だ。今回の土砂調達に限らず、その積み重ねが沖縄との溝を深めてきた。
 例えば6年前、故翁長雄志知事は、辺野古問題の原点は米軍が土地を強制収用して普天間飛行場を造ったことにあり、県内移設を強行するのは政治の堕落だと訴えた。しかし当時の菅官房長官は「日本全国、皆が苦労して平和な国を築いた」と一般論にすり替え、反対運動を受けて本土にあった多くの米軍施設が占領下の沖縄に移され、過重な負担を強いてきた事実に向き合おうとしなかった。
 コロナ禍のため、きょうの追悼式典の参加者は30人ほどに絞られる。それとは比較にならない数の人々の、76年に及ぶ悲しみと苦しみに思いを致す

 (社説)きょう沖縄慰霊の日 歴史見つめて痛み共有を
                                 毎日新聞  2021年6月23日

 沖縄はきょう、「慰霊の日」を迎えた。76年前のこの日、3カ月にわたった沖縄戦の組織的な戦闘が終結した。
 第二次大戦末期の凄惨(せいさん)な地上戦で、日米合わせて約20万人が死亡した。一般の住民は約94000人が犠牲になった。日本軍が本土決戦の時間を稼ごうとして、多くの人たちが避難していた本島南部で持久戦を展開した結果だ。
 国策の名の下、住民の命や暮らしがないがしろにされた。沖縄が理不尽な負担を強いられる構図は今も変わっていない。
1972年の本土復帰後も、重い基地負担にあえいできた。軍用機の騒音被害や米軍人らによる事件・事故は後を絶たない。最近も米軍のヘリコプターがうるま市の集落近くの畑に不時着した。
 政府は、県民の7割以上の反対を押し切り、米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設する計画を進めている。技術的にも実現の見通しが立たない中、埋め立て工事を続けている。
 埋め立て用土砂を採取する候補地に昨春、激戦地で多くの犠牲者の遺骨が眠っている本島南部を加えた。

 浮かび上がるのは、沖縄の歴史や思いを軽んじる政府の姿勢だ。

 菅義偉首相は官房長官時代、戦中戦後の苦難を訴えた翁長(おなが)雄志前沖縄県知事に対し、戦後生まれであることを理由に「歴史を持ちだされたら困る」と突き放した。
 さらに、4月の日米首脳会談では、中国を念頭に「台湾海峡の平和と安定の重要性」を共同声明に盛り込んだ。対中国の抑止力を強調するほど、最前線にある沖縄の基地負担は重くなりかねない。
 新型コロナウイルスの影響も気がかりだ。訪れる修学旅行生が大きく減り、「ひめゆり平和祈念資料館」などの民間施設は運営危機に直面しているという。
 地上戦を体験した語り部の多くは80歳代以上となり、記憶の継承が課題となっている。若い世代が沖縄の歴史を学ぶ機会を確保することが大切だ。
 慰霊の日にあたり、沖縄の人々が味わってきた絶望や痛みに思いを寄せたい。幅広い国民がこうした歴史と向き合うことが、過重な沖縄の負担を軽減する第一歩になるはずだ。

 (社説)[コロナ下の慰霊の日]記憶継承へ支援の輪を
                              沖縄タイムス 2021年6月23日

 対馬丸記念館の裏手、那覇市若狭の旭ヶ丘公園に「海鳴りの像」がある。
 米軍の攻撃で撃沈された戦時遭難船舶の犠牲者を祭る慰霊碑である。刻銘されている犠牲者の数は1900人を超える。
 アジア・太平洋戦争で艦船が撃沈されて亡くなった海没死者の総数は、35万8千人に達するという。
 「海鳴りの像」は戦争死のもう一つの側面を伝えるモニュメントでもある。
 遺族会はコロナ禍で昨年に続き今年も、慰霊祭を中止せざるを得なくなった。
 新型コロナウイルスが猛威を振るう中、沖縄はきょう23日、緊急事態宣言下の慰霊の日を迎える。
 糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われる県主催の沖縄全戦没者追悼式は、参加人数を26人まで絞る。
 通常、5千人規模で開かれることを考えれば、縮小ぶりが際立つ。
 休館中の県平和祈念資料館は23日も開けないという。
 慰霊の日のさまざまな行事は、沖縄戦体験を継承していく上で重要な役割を果たしてきた。コロナの影響でそれができなくなったのである。
 ひめゆり平和祈念資料館など沖縄の代表的な資料館はコロナの影響で来館者が激減し、軒並み、苦しい運営を強いられている。
 とりわけ、ひめゆり資料館は展示内容をリニューアルし、再スタートしたばかり。見てくれる客がいないのは、スタッフにとって精神的にもきつい。
 かつてない事態だ。

■    ■
 支援の動きはさまざまな形で表れ始めている。
 MONGOL800のキヨサクさんの呼び掛けに民謡歌手の古謝美佐子さん、Kiroroの玉城千春さんが応え、ひめゆりの塔前でミニライブが開かれた。
 慰霊の日にネットで有料配信し、寄付を募るという。
 「平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早い」。キヨサクさんの歌のメッセージは、若者に届く言葉の大切さに気付かせてくれる。
 白梅学徒隊の体験を継承するために結成された「若梅会」(いのうえちず代表)の活動もユニークだ。
 学徒の足跡をたどれる地図作りやリモート講話など、インターネットを駆使した継承に取り組む。糸満市真栄里にある白梅之塔が老朽化しているため、修繕に必要な費用の支援も呼び掛けている。
 次世代継承の「新しい形」が、さまざまな場で生まれつつある。

■    ■
 戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。
 なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。

 アジア・太平洋戦争は日本を破滅に導いた過誤に満ちた戦争だった。
 首里を撤退した後、6月に入って非戦闘員の死者が激増したのはなぜか。
 過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ。慰霊の日は、戦没者を追悼するとともに、そのことを再確認する日でもある。

 (主張)沖縄慰霊の日 史実に沿った平和伝承を
                                   産経新聞 2021年6月23日

 沖縄は23日、沖縄戦の終結から76年となる「慰霊の日」を迎えた。
 最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が営まれる。新型コロナウイルスの感染拡大により、主催する沖縄県は昨年に続いて規模を縮小し、菅義偉首相らの招待も見送った。
 だが、この日が沖縄戦の全ての戦没者をしのぶ鎮魂の日であることに変わりはない。それぞれの場所で哀悼の誠をささげ、平和への誓いを新たにしたい。
 沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸した昭和20年3月26日から沖縄本島での組織的戦闘が終結する6月23日まで、日本軍将兵と県民約18万8千人が亡くなった。米軍も1万2千人以上が戦死した。
 圧倒的兵力の米軍に、沖縄守備の日本軍は激しく抵抗し、九州などからも陸海軍の特攻機2571機や空挺(くうてい)隊が出撃した。県内では鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊など男女の中等学校生らも動員され、多くの若い命が散った。
 その犠牲の上に今日の平和があることを、忘れてはなるまい。
 ところが最近、犠牲者をしのぶ「英霊」や「散華」などの言葉に「戦争賛美」のレッテルを貼り、批判する傾向が県内で強まっている。来年度から使用される一部の高校歴史教科書が戦没学徒兵の碑を「顕彰碑」と紹介したところ、「戦死を美化する用語」だと批判され、検定合格後に「慰霊碑」に自主訂正する騒動もあった。
 こうしたレッテル貼りは、かえって戦没者や遺族の気持ちをないがしろにするものだ。沖縄に古くからある学徒兵の碑などには「護国の神」「英霊の至誠」「決死敢闘」などの言葉も刻まれている。多くの県民が軍に協力し、国のためにと必死に戦った史実をゆがめていいのか。
 むろん、熾烈(しれつ)な地上戦に巻き込まれ、県民が地獄の苦しみを味わったのも事実だ。日本兵に避難壕(ごう)を追われたり、スパイと疑われて殺害されたりした例もある。
 そうした悲劇も、適切に後世に伝えていく必要があろう。
 戦後76年がたち、伝承のあり方が問われている。一方的な歴史認識では、沖縄戦の実相を理解できず、戦没者への哀悼の念も生まれまい。
 今日、改めて誓おう。史実に沿って沖縄戦を語り継ぎ、平和を守っていくと。

 (社説)沖縄慰霊の日 国の不条理許されない 
                                   北海道新聞 2021年6月23日

 沖縄はきょう、戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎える。
 太平洋戦争末期の沖縄戦では、日米合わせて20万人以上が犠牲となり、半数近くを沖縄県民が占めた。都道府県別では沖縄に次いで北海道が多く、1万人を超す。
 沖縄は今、新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言下にある。
 追悼式の規模は大幅に縮小されるが、76年前の悲惨な過去にあらためて向き合い、平和の大切さを顧みる日としたい。
 慰霊と同時に思いを致さないといけないのは、沖縄が今なお、不条理とも言える国の安全保障政策の犠牲になっていることだ。
 国内の米軍専用施設の7割が沖縄に集中し、米軍普天間飛行場の辺野古移設工事は多くの県民が反対する中、強行され続けている。
 地元の声に耳を傾けない菅義偉政権の姿勢は看過できない。
 辺野古移設では、人道上許し難い土砂採取も計画されている。
 軟弱地盤を改良するために使う土砂の採取地に、沖縄戦の激戦地となった本島南部を含めたのだ。
 南部の海岸線には、住民が逃げ込み命を落としたガマ(自然壕(がま))が点在し、多くの遺骨が石灰岩の大地と相まって眠っている。
 県民から「戦没者への冒涜(ぼうとく)だ」との声が上がっているのは当然だ。
 辺野古移設は工期も工費も膨らみ、運用の見通しは立っていない。政府は工事自体を中止すべきだ。
 先の国会では、政府が安全保障上重要とみなした施設周辺の土地利用を規制する法律が成立した。
 政府判断で規制対象を拡大できるため、米軍基地の反対運動などにも適用するのではないかとの懸念が沖縄で広がっている。
 2年前に施行された改正ドローン規制法では基地の監視活動が制限されるなど、市民運動への締め付けは厳しくなっている。新法への懸念は杞憂(きゆう)とは言えない。
 本をただせば米軍基地は沖縄県民らの土地を接収して造られた。宜野湾市や嘉手納町などはその基地周辺に住宅地が隣接する。
 土地利用を規制する新法では、そうした暮らしの場も規制区域となる可能性が高い。
 米軍基地の存在に苦しんできた住民たちに、新たな生活上の制限や負担を強いるようなことがあってはならない。
 玉城デニー知事は全国に占める沖縄の米軍施設の割合について、50%以下にするよう求めている。
 来年は沖縄の本土復帰50年になる。占領の歴史に伴う沖縄の苦難を国全体で直視する必要がある。

 (社説)沖縄慰霊の日に 菜の花さんの問い掛け

                                   東京新聞 2021年6月23日 
 沖縄の言葉「ウチナーグチ」には「悲しい」という言葉はないそうです。それに近いのは「ちむぐりさ(肝苦(ちむぐ)りさ)」。ただ悲しいのではなく、誰かの心の痛みを自分のものとして一緒に心を痛めること。あなたが悲しいと、私も悲しい。そんな意味だそうです。

 石川県珠洲(すず)市に住む坂本菜(な)の花(はな)さん(21)=写真=を主人公にしたドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」(2020年)に教わりました。
 中学生当時、修学旅行などで訪れた沖縄に興味を持った坂本さんは、那覇市にあるフリースクールの高等部に進学し、地元の料理店で働きながら卒業しました。3年間の体験は、故郷の北陸中日新聞に連載され、書籍や映画にもなりました。

◆戦争忘れたらいかん
 6月23日は、76年前の沖縄戦で日米両軍の組織的戦闘が終わった沖縄慰霊の日です。
 米軍上陸から約3カ月に及んだ戦いでは県民の4人に1人、日米の軍人らを含めると20万人超が犠牲になりました。
 坂本さんの映画では、スクールに入学して初めて迎えた6年前のその日、夜間中学部に通う80歳すぎのおじい、おばあから沖縄戦の体験を聞くシーンがあります。
 飲まず食わず1週間を生き延びた、焼け焦げた死体の脇を通ったときにまだ生きていた人から足をつかまれたが蹴って逃げた
 「戦争があったことは忘れたいけど、忘れたらいかんのじゃないかな」。お年寄りの語り掛けを真剣に受け止めようとする坂本さんのまなざしが印象的でした。
 在学中の沖縄では20歳の女性が米軍属の男に暴行殺害され、輸送機オスプレイが墜落しました。米軍絡みの事件や事故が起きるたびに、坂本さんは現場に足を運び、関係者の訴えを聞きます。
 「本土にいたら気付かなかった戦争。それが沖縄では今もずっと続いている」。映画では坂本さんの思いがナレーションで流れます。
 卒業後、珠洲市に戻り、実家の旅館業を手伝う坂本さん。沖縄を離れて3年余が過ぎますが、沖縄の現状に、ちむぐりさは消えないどころか、ますます募ります。
 最大の原因は昨年4月、沖縄防衛局が名護市辺野古での米軍新基地建設を巡り、県に提出した設計変更申請。かつての沖縄戦の激戦地で、今も犠牲者の遺骨が眠る県南部の土砂を埋め立てに使う計画が盛り込まれていたのです。
 「人道上許されない」。40年近く自発的に沖縄戦の遺骨収集を行う那覇市の具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さん(67)が抗議の先頭に立ち、3月に県庁前で六日間のハンガーストライキを決行しました。23日まで2回目のハンストも行っています。
 具志堅さんの作業の手伝いをした体験もある坂本さんは3月、呼応する若者60人余と具志堅さん支援の緊急声明を発表します。
 珠洲市議会にも今月、沖縄県南部の土砂を辺野古の埋め立てに使わないよう求める請願書をやはり仲間とともに提出しました。「沖縄戦では石川県出身の901人も命を落とした。何もしなかったら私も加害者」との思いからです。

◆ちむぐりさ暮らさらん
 <あなたはブレーキが壊れて暴走する電車の運転士。行く手に分岐点があり、片方には5人、もう一方には1人の作業員がいる。どちらに進むか?>
 坂本さんの在学中、現代社会の授業で出た問題。命の重みに違いはなく、正解のない問いです。
 でも、当時の坂本さんは、迷わず「1人の作業員の方」と答えました。1人より5人の命が大事だとなぜ言ってしまったのか。今では悔いているそうです。
 「ヤマト(本土)を守る捨て石にして多くの犠牲者を出し、今も犠牲を強いている。そのヤマトの姿勢そのものではなかったか」と。
 サトウハチローの詞で有名なフォークソング「悲しくてやりきれない」を、沖縄出身の歌手上間綾乃(うえまあやの)さんがウチナーグチで歌っています。サビの<悲しくて/悲しくて/とてもやりきれない>は<ちむぐりさ/ちむぐりさ/今(なま)や暮(く)らさらん>となります。「暮らさらん」は「暮らせない」です。
 理不尽な戦争に始まる「ちむぐりさ暮らさらん」を、沖縄の人々は今も背負い続けています。
 その民意に反する新基地建設を強行し、戦没者を冒涜(ぼうとく)する愚行を重ねようとする。そんな日本の政権は、沖縄の痛みに思いを巡らせているのか、そして、沖縄以外に住む私たち自身はどうなのか。能登半島の先端から、一人の若い女性が問い続けます。

 (社説)「慰霊の日」に誓う 沖縄戦の教訓を後世に

                                              琉球新報 2021年6月23日

 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦の組織的戦闘が終結してから76年。昨年同様、コロナ禍の中で「慰霊の日」を迎えた。
 防衛隊や鉄血勤皇隊、女子学徒として戦場に動員された90歳以上の世代は県人口の1.4%。小学生だった80歳以上を含めても7%にすぎない(2020年「住民基本台帳年齢別人口」)。体験者から証言を聞くことがますます難しくなった。
 一人でも多くの貴重な体験を記録し、「命どぅ宝」「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を後世に伝える決意を新たにしたい。
 76年経過した今、沖縄戦の実相が国家の「お墨付き」を得てゆがめられている。容認できない事態だ。2022年度から使う教科書検定に合格した自由社の中学歴史教科書は、沖縄戦をこう記述している。「日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力しました」
 県民が「よく協力しました」という表現は実態と異なる。沖縄戦直前、日本軍は大規模な防衛召集を実施し約2万人の県民を動員した。師範学校や旧制中学校など14歳以上の男子学徒も防衛召集された。しかし法的な根拠ははっきりしない。女子学徒についても軍の看護婦として召集するような法的根拠はない。
 「沖縄県史」は「県、特にその責任者である知事が、当時の法に則って軍の要求に抵抗していれば、学徒たちの悲劇は避けられたか、少なくとも大きく軽減できた可能性は高い」と指摘している。
 さらに防衛召集の対象ではない多くの民間人まで義勇隊、救護班、炊事班として根こそぎ動員した。
 本紙連載「国策の果て・根こそぎ動員の実態」(15日付)に登場する大城富美さん(92)は、救護班として負傷兵の看護に当たるよう命じられた。大城さんは当時16歳。皇民化教育に染まった住民にとっては断ることのできない、いわば「強制」だった。「言われた通りにしなければ、生きていけなかった」と大城さん。「ありったけの地獄を一つにまとめた」と米軍が表現するほどの戦場で負傷兵の看護に当たった。
 こうして多くの住民が根こそぎ動員によって戦闘に巻き込まれた。日本軍は「軍官民共生共死」の方針によって、住民にも軍人同様に死ぬことを求めた。
 「日本軍はよく戦い」という表記も適切ではない。日本軍は兵士に生還を許さない陸、海、空の特攻を命じた。大本営が作成した沖縄戦の戦訓は「爆薬肉攻は威力大なり」と記述している。つまり「よく戦い」の実例として、爆薬を抱えた自殺攻撃を挙げている。これが実態である。
 「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない「積極的平和」の実現を誓いたい。