沖縄戦犠牲者の遺骨混ざった砂 「辺野古」に使うな ハンスト契機、広がる声
                                           毎日新聞 夕刊 2021年4月13日

 沖縄戦の犠牲者の遺骨が混ざる土砂を基地の埋め立てに使うな――。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に対する賛否を超え、防衛省に見直しを求める声が広がっている。きっかけは遺骨収集を続ける一人の男性のハンガーストライキだ。日米両政府による普天間飛行場の全面返還合意から25年。太平洋戦争末期の沖縄戦で多くの住民が犠牲になった沖縄本島南部では、76年がたった今も収集されていない遺骨が残っており、県民の「許せない」との思いは強まるばかりだ。

 辺野古埋め立てへの沖縄本島南部の土砂使用に抗議して座り込む具志堅隆松さん(中央)=那覇市の沖縄県庁前で3月1日、遠藤孝康撮影

「遺骨が混ざっている土砂は使わない。この認識は共通だ」。普天間飛行場の移設に伴う辺野古沿岸部の埋め立てに、防衛省が沖縄本島南部の土砂の使用を検討していることに対し、自民党県議は3月23日の県議会土木環境委員会でこう述べた。委員会では計画の再考を求める意見書の採択時期を巡って与野党の意見が割れたものの、意見書の可決に向けて関係者からの意見聴取や現場視察を進める方向で一致し、4月に入り実施した。

 反対の声が広がるきっかけとなったのが、ボランティアで遺骨収集を続けてきた具志堅隆松(たかまつ)さん(67)が実施したハンガーストライキだ。「未収集の遺骨が混ざっている可能性のある本島南部の土砂を使うのは人道上、問題だ」。計画の断念を求めた具志堅さんは3月1日から6日間、那覇市の県庁前で食事を取らずに座り込んだ。沖縄戦の犠牲者遺族らが連日県庁前を訪れ、日本外国特派員協会(東京都)は具志堅さんへのオンラインでの記者会見も開いた。
 反対が広がっていく中、辺野古移設を進める政権与党の自民県連も動いた。
 自民県連の中川京貴会長と公明党県本部の金城勉代表は防衛省沖縄防衛局の田中利則局長と3月10日に面談。「辺野古基地建設に賛成、反対を問わず、沖縄戦の激戦地だった沖縄本島南部地区から遺骨混入の土砂が使われることは人道上許されない」とする要請書を手渡し、県民感情への配慮を求めた。

「県民共通の感情」
 沖縄戦では、一般住民を含む約20万人が犠牲になった。8歳で沖縄戦を経験した元衆院議員の仲里利信さん(84)は「遺骨の混じる土砂が使われるのは許しがたいというのは県民共通の感情だ」と解説する。
 2007年に文部科学省の教科書検定で沖縄戦での集団自決に対する日本軍の強制を巡る記述が削除された際には、島ぐるみで抗議の声が広がり、県議会と全41市町村議会で検定意見の撤回を求める意見書が可決された。この時は仲里さんが実行委員長を務め、党派を超えて呼び掛けた県民大会には約11万人(主催者発表)が参加した。
 沖縄防衛局の田中局長は自民県連と公明県本部の要請に「調達先は現時点では全く決まっていないが、遺骨の問題は大変重要だ。今後の調達はしっかり検討したい」と答えた。ハンストで見直しを訴えた具志堅さんは「防衛局に要請に行った自民・公明の行動は評価する。これは辺野古移設への賛否以前の問題だ。戦没者への供養と思い、議員の方々は本島南部からの土砂採取をやめさせてほしい」と訴えている。【遠藤孝康、竹内望】

首相官邸前でハンストをした金武美加代さん。支援者からはたくさんの花などが贈られていた=東京都千代田区で3月29日

首相官邸前でも抗議 「命の大切さ、本土に」
 沖縄から遠く離れた東京・永田町の首相官邸前でも、「東京にいるウチナーンチュが本土の人との橋渡しをしたい」と抗議のハンストをした沖縄出身の女性がいる。
 ハンストをしたのは、宜野湾市出身で東京都内在住の内装業、金武(きん)美加代さん(47)。米軍が上陸した当時、7歳の少女だった母春子さん(83)は家族とともに戦火の中を逃げ続けたが、米軍に捕らえられて終戦を迎えた。時には遺体を乗り越え、「服を流れ弾がかすったこともあった」という体験とともに、住民の避難場所として使われた南部の鍾乳洞などには今も多くの遺骨が眠っていることも春子さんから聞かされてきた。
 そんな金武さんは、具志堅さんのハンストを知り、自身も東京でしようと決めたという。具志堅さんの行動が本土ではあまり知られていないと感じ、「沖縄の人間には命の大切さを伝える使命がある。バトンを渡されている気がした」。
 3月8日、「遺骨を使った新基地建設に反対」と書いたホワイトボードを掲げ、泊まり込みで官邸前でのハンストを始めた。口にするのは水や塩、支援者から差し入れられた具なしのスープぐらい。同30日まで、その場に敷いたビニールシートで休みながらハンストを続けた。 存在を知り、励ましに駆けつけた人たちの中には、日本兵だった祖父を本島南部で亡くした女性もいた。祖父の遺骨は家族の元に戻っておらず、女性は祖父の所属部隊がいた本島南部も訪れたといい「遺骨の代わりにそこで石を拾い、墓に入れた」と話したという。
 
金武さんはハンストを終えた後も、4月半ばまでは泊まり込みでの抗議活動を続けるつもりだ。「自分に何ができるだろうか」と尋ねてきた人には、こう答えることにしている。「身近な人に(遺骨の問題を)伝えてほしい。街中や電車の中で、『辺野古』や『遺骨』という言葉を口にするだけでも、それをたまたま聞いた他の誰かが関心を持ってくれるかもしれない」【南茂芽育】