ヒバクシャ 2021冬  
 「広島と平和のために生きて」 父の遺志継ぐ娘、国内外で奔走
                               2021年12月29日 毎日新聞

新たな挑戦について語る被爆者の近藤紘子さん
=兵庫県三木市で20211118日、梅田麻衣子撮影
 
 記録報道「2021冬ヒバクシャ」の最終回では、新型コロナウイルス流行の収束後も見据え、新たな挑戦に再び動き出したヒバクシャの思いに耳を傾ける。
 長年の夢への第一歩を踏み出した直後に新型コロナウイルスが流行し、精力的に行ってきた海外での講演ができなくなった。「父のように講演ができれば、財団の資金ももっと集められるのに」。生後8カ月の時に広島で被爆した近藤(旧姓・谷本)紘子(こうこ)さん(77)は、兵庫県三木市の自宅でもどかしそうに語った。
 「次の時代を担う若い人たちが、ゆっくりと腰を据えて広島のことを学ぶチャンスを作ってあげたい」。そんな思いから、20202月、被爆体験の継承と平和教育推進を目的としたNPO法人「谷本平和財団」を設立。海外の若者を広島に無料で招待し、1カ月以上かけてホームステイや原爆関連施設への訪問、被爆者との交流などを通して平和の学びを深めてもらう計画を立てていた。
 しかし、設立後まもなくして新型コロナが流行。海外で開く予定だった講演会ができず、あてにしていた寄付金集めが困難になった。現在の活動はオンラインイベントの開催にとどまっており、本格始動はコロナ収束後になる予定だ。「せっかく父があれだけ頑張ったんだから、少しはその足跡をたどりたいと思う。少しでも、今できることをやりたい」。近藤さんはそう自分を奮い立たせる。
 父は、被爆者の救済と平和運動に半生をささげた故・谷本清牧師。194586日の朝、友人の荷物を疎開させるため訪れた爆心地から約32キロの己斐(こい)地区で被爆した。その時、生後8カ月だった近藤さんは爆心地から約11キロの牧師館にいて建物の下敷きになったが、母チサさんに抱かれていて無傷だった。
新たな挑戦について語る被爆者の近藤紘子さん=兵庫県三木市で20211118日、梅田麻衣子撮影
 谷本牧師は被爆直後、避難した瀕死(ひんし)状態の被爆者の救助に奔走。489月に渡米して約15カ月で256都市を巡って582回講演し、被爆の実態と平和の大切さを訴えた。このときに集まった義援金の受け皿として、50年に財団法人「ヒロシマ・ピース・センター」を設立。講演旅行で集めた寄付金を、被爆でケロイドが残った「原爆乙女」の渡米治療費などにあて、被爆者の自立支援にも取り組んだ。86年に亡くなった。
 生前、娘に「広島のため、世界の平和のために生きてほしい」と願った父。その活動を引き継ぎ、自身も日米両国での講演などを続けてきた。だが、その中でどこか物足りなさも感じていた。学生が広島や長崎を訪ねるプログラムは、多くが数日間の短い日程で終わってしまう。平和について勉強できる時間が十分にないように見えた。「もう少し長く広島にいて、若い人たちが学ぶ機会を作れないか」。知人らの協力も得て、財団をつくることを決めた。理事の一人は谷本牧師が主人公の一人として登場する歴史的なルポ「ヒロシマ」を読んで心を動かされ、「人生を平和のためにささげたい」と参加してくれたという。
 活動の根底にあるのは、父がよく口にしていた「人から人へ」という言葉。「大きいものを動かすことは難しいが、人から人へ伝わることでいつか大衆が動き、世界は変えられる」という教えだ。これまでも、講演を聞いて広島を訪れた女性が歴史の教員になるなど「人から人へ」の影響力を実感してきた。「被爆地に立ち、原爆の被害を実際の目で見て耳で聞くことは一生忘れない経験になる。人から人へと伝わることで、核廃絶は実現できる。その種をまきたいと思う」。次のステージに向け、近藤さんの挑戦は続く。【古川幸奈】