社説ソ連崩壊から30年 「大国」ならば融和の道を
                               2021年12月25日 毎日新聞

 第二次大戦後、世界を二分して米国と覇権争いを繰り広げた社会主義国・ソビエト連邦(ソ連)が30年前のきょう崩壊した。
 後継のロシアは融和と民主主義の道を歩むと、欧米をはじめ世界が期待したが、現状はほど遠い。
 プーチン大統領が強権支配を固めた。対外的には欧米諸国との対立が激化している。
 新生ロシアの誕生を受け、主要7カ国(G7)は当初、民主化と市場経済への移行を支援した。かつてソ連と対立していた北大西洋条約機構(NATO)も対話の窓口を開いて協力した。
 しかしその後、融和は思うようには進まず、亀裂が広がり始めた。2014年にロシアがウクライナ南部のクリミア半島を一方的に編入したことで、欧米との対立は決定的となった。
 強硬路線のプーチン氏が権力を握る背景となったのは、ソ連崩壊後の政治と経済の混乱だ。貧富の差が拡大し、治安も悪化した。国民の多くは、欧米流の「自由」や「民主主義」が無秩序をもたらしたと感じた。
 00年に大統領に就任したプーチン氏は、「大国復興」を掲げて権力の一極集中化を進めた。
 メディア規制を手始めに、野党や異論を唱える実業家らの排除に乗り出す一方、エネルギー関連企業を国営化した。欧州向けの天然ガス供給量を減らすなど、資源を外交の武器として使うケースも目立つ。
 独善的なプーチン氏の対外姿勢は、欧米による経済制裁を招いた。現在もウクライナ国境付近に軍隊を集結させ、欧米側に揺さぶりをかけている。
 23日に開いた年末恒例の記者会見では「欧米こそ、ロシアの安全を保証すべきだ」と主張した。緊張緩和の糸口は見えない。
 日本との関係では、北方領土は「第二次大戦の結果、ロシア領になった」との歴史認識を貫き、軍事化を進めている。真摯(しんし)に対話しようという姿勢はうかがえない。
 記者会見でプーチン氏は「自由がなければ国の前進はなく、未来の展望も開けない」と述べた。そうであるならば、ロシアは融和を追求した原点に戻るべきだ。対決姿勢だけでは、国際的な孤立を深めるだけだ。

 社説ソ連崩壊30年 誤った大国意識が脅威高める
                               2021年12月26日 読売新聞

 ロシアのプーチン大統領は、勢力圏を拡大して米国と渡り合うという、ソ連時代の発想を引きずっているのか。ゆがんだ大国意識に基づく軍事的威嚇は国際社会の脅威である。
 1991年のソ連崩壊から25日で30年となった。米国との冷戦でソ連は軍拡競争に追いつけず、社会主義経済の行き詰まりや共産党独裁体制への民衆の不満も重なって自壊した。
 米欧諸国がソ連解体を自由民主主義体制の勝利と受け止めたのに対し、プーチン氏は「20世紀最大の地政学上の悲劇」と述べている。帝政時代から欧州に君臨してきたロシアにとって屈辱の歴史だととらえているのだろう。
 ロシアは97年から2013年まで主要8か国(G8)首脳会議に参加し、日米欧との協調路線を歩んだこともあった。
 だが、その間にポーランドなどの東欧諸国やエストニアなどの旧ソ連構成国が米欧の軍事同盟の北大西洋条約機構(NATO)に参加したことに反発し、米国との対決姿勢に 舵 を切った。
 プーチン氏は、米国が唯一の超大国として一極支配を強めたためにロシアの勢力圏が削られていったと考えているが、その認識は間違っている。
 東欧諸国が欧州連合(EU)やNATOに加盟したのは、自由や民主主義に共鳴し、豊かな国々との交易を望んだからだ。力によって強制されたものではない。
 大国間の勢力均衡に固執し、個々の国の主権を 蔑 ろにするプーチン氏の姿勢は、隣国ウクライナへの対応に如実に表れている。
 14年のクリミア半島の併合は、NATOの東方拡大をこれ以上認めないという意思表示だった。ウクライナとの国境地帯に最近、大量の部隊を集結させているのも同じ目的だろう。
 国際社会は、ロシアの身勝手な主張に基づく軍事行動を阻止するため、ウクライナへの軍事支援の強化や、対露制裁の実効性を高める方策を検討する必要がある。
 北方領土の返還を巡る状況は、この30年で悪化した。これも、プーチン氏の独善的な大国意識や歴史観と無縁ではない。
 ロシアは近年、第2次世界大戦の結果、北方領土はロシア領になったと主張するようになった。プーチン氏によるロシアの歴史の美化と軌を一にしている。
 日本は、ロシアの認識が事実に反することを明確に指摘し、北方領土の軍事化などの動きに断固、抗議せねばならない。

 社説ソ連崩壊30年後の閉塞
                               2021年12月26日 東京新聞

 史上初の社会主義革命で誕生したソ連が崩壊したのは、30年前の1991年12月25日。歴史的な出来事をよそに、一般市民は今日のパンをどう手に入れるかという現実に追われていました。お先真っ暗な年の瀬でした。

◆GDP半減した90年代
 市場経済移行に向け翌92年の年明けに価格自由化が始まると、猛烈なインフレが庶民生活を襲いました。食いつなぐために、自宅から持ち出した古着や生活用品を売る人が、モスクワの目抜き通りに列をなしました。
 経済困窮、秩序崩壊、政治混迷が重なった90年代。国内総生産(GDP)はソ連時代のピークだった89年と比べるとほぼ半減しました。これは第二次大戦で日本が被ったダメージに匹敵します。
 国家分裂まで危ぶまれた時代でした。しかも出口が見えない。当時のチェルノムイルジン首相は「今度はもっとうまくやろうとしたが、結果はいつもと同じだった」と嘆いたものです。
 転機は2000年のプーチン政権誕生とともに訪れました。原油高の追い風に乗ってロシアは高度成長時代を迎えます。プーチン氏の最大の功績は社会に安定をもたらしたこと。国力回復に伴い大国の地位も取り戻しました。
 半面、共産党独裁体制の崩壊によって生まれた社会の解放感は、メディア締め付けに代表される強権支配によって消えうせました。
 シリア内戦への軍事介入やウクライナ国境地帯への大軍動員というようなドスの利いた対外行動も活発で、国外でもこわもてぶりを見せています。
 プーチン氏も当初はまったく違う顔を見せていました。99年の大みそかにエリツィン大統領が突然辞任し、首相だったプーチン氏は大統領代行に就きます。プーチン氏はその日に「千年紀(ミレニアム)の狭間(はざま)のロシア」と題する論文をロシア紙に発表します。
 論文でプーチン氏はソ連の共産党政権は「国を繁栄させず、社会をダイナミックに発展させることもなく、人間を自由にしなかった」と批判しました。
 今の混乱から抜け出すためには「強い国家権力が必要だが、これは全体主義への呼び掛けではない」と強調。「どんな独裁や権威主義的体制も一過性であることは歴史が証明している。持続性があるのは民主主義だけだ」と主張しました。
 そんなプーチン氏は再選を果たした04年を機に、内外政ともに強硬路線へ傾斜を強めます。
 この年、バルト三国が北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、ロシアはかつての敵の「西側」と国境を接することになりました。ロシアにとっては安全保障上の脅威です。ウクライナでは「オレンジ革命」が起き、親欧米政権が誕生します。ロシアはこの政変劇の裏に米国の影を見ます。
 国内ではチェチェン武装グループが子どもたちを人質にとり、330人以上が犠牲となったベスラン学校占拠事件が起きました。
 ロシアは西側の一員に仲間入りできる、とソ連崩壊時には欧米もロシア自身も期待しました。それが失望に変わり、プーチン氏の「反動」につながっていきます。

◆経済低迷、開けぬ展望
 ロシアは「安定」と引き換えに、手に入れた「自由」を失い、そして「安定」はいつの間にか「停滞」に変質しました。
 ここ10年ほど経済成長率は年平均1%ほどに低迷し、国民所得はほとんど増えていません。石油・天然ガスに依存する偏った経済構造は一向に改善されず、しかもエネルギーなどの基幹産業は多くが国有で、経済に占める国営部門の割合は巨大です。これではイノベーションは起きにくい。
 大国復活と言ってもロシアのGDPは日本の3分の1、米国の14分の1にすぎません。今の大国主義的な対外路線は相当無理をしていると言えるでしょう。
 それよりも内政を充実させないと国の展望が開けない。14年のクリミア併合に対し、欧米はロシアに経済制裁を発動しました。これが経済発展の足かせになっています。制裁解除には欧米との関係改善が必須です。

 社会には閉塞(へいそく)感が強まり、国民の不満が募っています。


 今年はシベリアで50人以上が死亡した炭鉱事故や、航空機、ヘリコプターの墜落事故が相次ぎました。名越健郎・拓殖大海外事情研究所教授は既視感を覚えるそうです。ソ連崩壊前も同じような出来事が頻発したというのです。
 一見、盤石なプーチン体制。24年の次期大統領選でもプーチン氏出馬の観測が支配的です。

 それでもロシアは時代の変わり目を迎えていて、社会の深層では静かな地殻変動が起きているのかもしれません。

 主張ソ連崩壊30年 露は帝国主義的野望捨てよ 日米欧は力の結束強化を
                               2021年12月26日 産経新聞

 1991年12月25日、米国と世界の覇を競った超大国、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が消滅した。あれから30年たった。
 「20世紀最大の実験」といわれた世界で初めての共産党による独裁政権は、国内ではスターリン大粛清に象徴される強権・恐怖体制を敷き、対外的には東欧諸国の共産化など謀略を駆使して膨張し、一大帝国を築き上げた。
 ソ連帝国はロシア革命後74年、連邦成立後69年で崩壊した。ソ連を継承したロシアでは当初、民主社会への移行も期待された。しかし30年後の今、恐怖政治の権化だった巨大な秘密警察・国家保安委員会(KGB)出身のプーチン大統領はソ連に本卦還(ほんけがえ)りしたような強権・恐怖支配に回帰した。

 独裁には不屈の抵抗を
 「ソ連崩壊は20世紀最大の大惨事」と恨み節を繰り返すプーチン氏は、旧ソ連圏での影響力保持・浸透に露骨な野心を示す。
 2014年3月、ウクライナの南部・クリミア半島併合で西側の経済制裁下にあるロシアは今また、同国国境に大軍を展開、「北大西洋条約機構(NATO)加盟阻止」に圧力をかけ、米国と激しく対立している。
 日米欧を中核とする民主主義陣営は今こそ、米ソ冷戦時代のようなプーチン政権の「帝国主義的野望」を放棄させるため、破壊力のあるさらなる経済制裁や軍事政策を含め「力の結束強化」に向けた具体策を模索すべき時だ。
 ストルテンベルグNATO事務総長が「欧州のすべての国家が自らの道を決める権利を持つことについては譲歩しない」と明言したのは当然である。
 ソ連の苛酷な強制収容所体験を持つノーベル文学賞作家、ソルジェニーツィン氏は、「全体主義の攻撃、暴力に抵抗するには、テコでも動かぬ堅忍不抜の精神が必要だ」と西側に警告していた。
 プーチン政権の居丈高な軍事行動の背後には中国の存在がある。かつてはソ連の弟分だった中国は、習近平国家主席の下で今や史上最大最凶のいわば「デジタル・スターリン主義」とも呼ぶべき共産超大国として立ち現れ、米国との対決姿勢を露(あら)わにしている。経済力、軍事力で大きく劣るロシアは上下関係が逆転した中国の尻馬に乗る形で陸海空での度重なる合同軍事演習など「軍事同盟」然とした関係を深めている。
 ソ連が消滅した12月25日夜、最後の指導者となったゴルバチョフ大統領(元党書記長)はテレビ演説で、「私は不安を持って去る」と辞任を表明した。同じ12月8日、エリツィン・ロシア大統領らスラブ3首脳会議は「ソ連消滅」とソ連に代わる緩やかな連合体の「独立国家共同体(CIS)」の創設を電撃決定した。これで完全に梯子(はしご)を外されたゴルバチョフ氏は退陣を余儀なくされた。

「崩壊」の教訓汲む中露
 ゴルバチョフ氏は硬直した共産体制に風穴を開けようと、政治改革・ペレストロイカとグラスノスチ(情報公開)に踏み切る大決断とともに登場した。しかし、言論の自由が花開く中で、スターリンや取り巻きの非道ぶり、米国との軍拡競争とアフガニスタン侵攻の途方もない軍事支出と若い兵士の悲劇的な死、東欧諸国の弾圧、特権階級の豪勢な生活ぶりなどタブーとされてきた歴史の闇が次々と暴かれた。国家は求心力を失い、民族運動の噴出も相俟(あいま)って帝国は最後はあっけなく崩壊した。
 「国を開いて自由と人権を認めれば、国は滅びる」。「ソ連崩壊」の教訓を最も痛切に汲(く)み取って恐怖支配に生かしているのがプーチン、習近平両氏といえる。
 日本外交はソ連崩壊という政治空白を北方四島奪還に生かせなかった。その結果、プーチン政権は「平和条約締結」だけをあげつらい、その前提となる「領土問題」は「存在しない」とソ連時代の強硬的立場に戻ってしまった。
 日本在住のウクライナ人国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏は「ロシアは約束を破るために約束をする国だ」(月刊「正論」2月号)と喝破する。北方領土占領がスターリンの日ソ中立条約の一方的破棄という暴挙から始まった―との真実はロシアの教科書にはひと言も書かれていない。
 ゴルバチョフ氏の辞任演説とほぼ同時に、クレムリンに翻っていた槌(つち)と鎌の赤いソ連国旗は引き降ろされた。その赤旗が今また掲げられているような錯覚に陥る。

  社説ソ連崩壊30年 歯車を逆転させるな
                                   2021年12月27日 朝日新聞

 30年前の12月、ソビエト連邦が消滅した。冷戦時代に社会主義陣営を率いた国家だった。
 ソ連を構成した15共和国は、すべて独立国となった。それらは今や、同じ国だったとは思えない多彩な姿を見せている。
 北にあるバルト3国は、欧州連合や北大西洋条約機構(NATO)に加わり、すっかり欧米の一員だ。
 その他に目を移すと、指導者が終身権力を保つソ連さながらの国や、大統領が世襲した国、頻繁に政権交代を繰り返している国もある。
 アルメニアとアゼルバイジャンは領土争いを続けている。カザフスタンは核実験場があったころの深刻な健康被害を記憶にとどめ、15カ国で唯一、核兵器禁止条約に加わった。
 これらの国々はしばしば「旧ソ連」と形容される。しかし、いつまでもそのくくりにこだわっていては、多様な現状の理解を妨げる弊害もあろう。
 どの国も混乱のなかから自立をめざし、国民国家としての意識を高めようと、努力を重ねてきた。ソ連への郷愁を感じる住民はいても、先祖返りはもはやあり得ない。15カ国がそれぞれ名実ともに独立国としての地歩を固めてきた30年だった。

 そんななかで、時代錯誤の国家観を隠さないのがロシアのプーチン大統領だ。
 
隣国ウクライナ国境に部隊を集結させ、NATOに加盟させないよう米国に要求している。先日は、この国はソ連発足の際に人工的につくられたものだとし、ロシアの権利を主張した。ウクライナの主権が制限されても当然だと言わんばかりだ。

 だが、ロシアは自らが結んだ「ブダペスト覚書」を忘れてはならない。ソ連崩壊時にウクライナにあった核兵器をロシアが引き取る代わりに、この国の主権を尊重し、武力行使や威嚇をしないことを誓ったものだ。
 それは、旧連邦の核保有国をロシアに限定し、国際秩序を守る取り決めでもあった。それを踏みにじってクリミア半島を占領し、さらに軍事的圧力を高めているのが今のロシアだ。
 自らは明文化された約束を平然と破る一方で、自国の安全保障のためにNATO不拡大を保証するよう求めるのは、あまりに身勝手だ。
 核保有や国連安保理常任理事国の座をソ連から継承したロシアには、覚書の精神に立ち返り、独立した国々の領土や主権を尊重する重い責務がある。
 無理に周辺国を緩衝地帯にしようとしても、そこに住む人々の共感を得られなければ、自らの存立はかえって危うくなる。ソ連崩壊が残したこの教訓を、ロシアは思い起こすべきだ。