(論点)野党共闘、今後は
                               2021年11月19日 毎日新聞

 10月31日に投開票された衆院選で、立憲民主党や共産党などが213選挙区で候補を一本化したが、このうち勝利したのは62選挙区にとどまった。立憲、共産両党の議席も選挙前より減った。立憲代表選(19日告示、30日投開票)では共産との関係も問われる。「野党共闘」の課題や展望について2人の識者に聞いた。

より広く、強い連携に        中野晃一・上智大国際教養学部教授

 先の衆院選で野党共闘の効果はあった。共闘の形ができて激戦区が増え、小選挙区では、自民党の甘利明幹事長(当時)や石原伸晃元経済再生担当相らが敗れた。
 ただ、課題も残った。競った選挙区の多くで、野党候補が勝ち抜くところまでいかなかった。政党同士が得票を争う比例代表への波及効果がなかった。
 野党がばらばらに戦っては、勝負にならない。かつて安倍晋三元首相は経済政策「アベノミクス」について「この道しかない」と訴えた。選挙で圧倒的に有利な与党に対し「別の選択肢もある」と提示するのが野党共闘だ。議席を盛り返し、より民意に近い形に持っていく手段だ。
 米国の政治用語で「レベル・プレーイング・フィールド」という言葉がある。公平な競技場(競争環境)という意味だ。日本の選挙制度は世界で最も「与党・現職・世襲・男性」に有利な制度ではないか。メディアの選挙報道も、選挙区で誰が先行しているかといった情勢報道が多く、前回の選挙で政権与党が訴えた公約がどこまで実行されたかをチェックする報道は少ない。日本は明らかにレベル・プレーイング・フィールドが存在せず、野党が勝つのは非常に難しい。野党共闘はその非対称性を補う。
 ただ今回は、衆院選で初めてとなる共闘の実現に野党側は精いっぱいで、政党や候補者名を浸透させる時間が圧倒的に足りなかったと感じる。9月中は、メディアが1カ月近く自民党総裁選を取り上げ続けた。その直後に衆院選をやれば、自民党の支持率が上がり、野党が埋没するのは当然だ。衆院解散から投開票まで17日間と戦後最短の日程の選挙戦となったことや、投票率が戦後3番目の低さとなったことも(固い支持層を持つ)与党に有利だっただろう。
 立憲民主党と共産党などの政策合意に対し「不十分だ」などと批判が出たことは不思議でならない。野党共闘は選挙協力や政策合意を作るもので、政党の合併を目指すものではない。政権をまだ取っていない勢力の考え方が100%一致していないことを問題だと捉えるのは意味が分からない。
 例えば、安全保障や天皇制のような重要な問題で、政権与党の自民党と公明党が100%一致しているわけではない。自民党内でさえ完全に一致していない。政党が違う以上、異なる考えがあって当たり前で、同じ政党の中にも考え方のニュアンスの差は存在する。野党側だけを批判するのは明らかな二重基準だ。
 衆院選に先立ち、(野党共闘を仲介した)「市民連合」と立憲、共産、社民、れいわ新選組の野党4党が結んだ政策協定の内容は、「憲法に基づいた政治」や「科学的知見に基づいた新型コロナウイルス対策」など、右も左もない政策ばかりだ。「ジェンダー平等」も協定に含まれるが、これを唱えただけで「左翼だ」と指摘するのは過剰な反応ではないか。
 共産党との関係を巡り、労働組合の連合の支援を受けられなくなった立憲の候補がいるなど、野党共闘の「副作用」が一定程度あったと思う。与党と違い、野党側には結束を促す「権力という接着剤」がないのが大きな要因だ。だが、今回不協和音が生じたからといって、野党共闘をやめることにはならないだろう。「公平な競技場」がない中、野党が戦うには、より広く、より強い共闘に変えていく必要がある。
 若者に相対的に自民党支持が多いのは、他の党があまり知られていないことがある。候補や政党名を浸透させるために、より戦略的に考えなければならない。
 私は市民連合の呼びかけ人を務めていて、市民連合の活動を強化したいと思う。2015年成立の安全保障関連法制に反対するために結成された市民連合だが、新たな広がりを作る必要がある。
 他の市民運動、フェミニズムの団体などとも連携し、政治を変えていきたい。そのプロセス自体が、民主主義を作り直す取り組みだ。洗練された野党共闘に向け、リソース(資源)やノウハウを準備していければいい。
【聞き手・藤渕志保】

 
再出発へ反省と議論を
         松井孝治・慶応大総合政策学部教授

 立憲民主党と共産党の選挙協力に、戦術面でのメリットがあったことは確かだろう。共産との協力がなければ、自民党の幹事長だった甘利明氏を小選挙区で破ることはできなかったと思う。風向きによっては、今回の獲得議席より30議席ほど増える可能性もあった。
 ところが立憲は公示前より議席を減らし、「枝野立て」という人々の言葉に押されて「創業」した枝野幸男前代表は辞任した。リベラル勢力の受け皿としての役割を十分に果たせず、立憲の「火」は消えかかってしまっている。
 枝野氏は賢明な人だ。今回の選挙で一気に政権交代まで行けると考えていたとは思えない。立憲の組織力の弱さを他党との協力で補い、まずは政権批判勢力としての足場を固め、その次の衆院選で政権交代を目指すという2段階シナリオを描いていたのではないか。
 問題は、連携相手として選んだのが左派政党の共産だったということだ。幅広く支持される「国民政党」を目指すのであれば、右でも左でもない中間層の有権者を引き付けることが不可欠で、基礎票の補完を求める連携相手も中道政党であることが望ましい。
 なのに、野球で言えば(バッターから見て一番左側の)三塁線上の政治勢力の力を借りてしまった。一定の基礎票は得たものの、センターから左中間あたりにいて「今の政治のままではよくない」と考える中間層の人たちの不信を招き、多くの票を失った。
 立憲の「自分たちはこんな社会をつくりたいんだ」という発信の不足もマイナスに働いた。理念や政策より野党共闘の共通項である「脱・自公政権」を訴える方がプラスと判断したのだろうが、大義がなければ「何かにつけ文句をつける近所の嫌われ者」的な存在と見られてしまう。立憲側の発信が弱いことで、共産が掲げた「政権交代」や「限定的閣外協力」という看板ばかりが目立ち、有権者に警戒心を抱かせてしまった。
 一部の立憲議員は元々、こうした野党共闘の在り方に納得していなかった。選挙結果が出るまで口をつぐんでいただけで、あるベテラン議員は「これほど執行部との距離を感じたのは自分の政治生活で初めて」とぼやいていた。現行の小選挙区制の下では、公認権を握る党執行部の力は絶大で、波風を立てるより沈黙は金だったのだろうが、組織としては典型的な「負けパターン」だ。
 枝野氏が責任を取って代表を辞任したのはまだ潔かった。同じく議席を減らした共産の志位和夫委員長は、自らについて「責任はない」と明言し、今もポストにとどまっている。指導層の方針は正しく、結果が出ないのは大衆の無理解ないし時代の先取りに大衆が追い付いていないからだと考える勢力とは一線を画したとは思う。
 ただし、立憲が幅広い支持を得られなかった事実を直視しているかは疑問だ。自民は2009年に下野した際、当時の谷垣禎一総裁が全都道府県を行脚し、支持基盤からの厳しい声に耳を傾けるとともに党綱領も見直した。枝野氏が各地の支持者に向き合い、話を聞くプロセスはあってしかるべきだ。そうした反省のプロセスがあって初めて、本当の意味での再出発ができるのではないか。
 代表選では、今後の共産との関係が一つの争点になるのだろう。共産の支援無しでは戦えないと考える議員は、協力の継続を望むはずだ。逆に共産と組んだことで中間層が日本維新の会などに流れたと考える議員は、国民民主党や維新への接近を模索するかもしれない。双方の対立が深まり、最終的には党が割れる可能性もある。
 だが、代表選は党の立ち位置を見直すチャンスでもある。親米か反米か、経営者側か労働者側かといった「55年体制」の下での二項対立は過去のものになりつつある。今求められているのは、外国との交流が盛んになるよう国を開くのかどうか、さまざまな人が行政に参画できるよう中央の「官」を開くのかどうか、年功序列を維持するのかどうかといった議論であり、野党は一石を投じられるはずだ。「ポスト55年体制」を見据えた議論が盛んに行われることを期待している。【聞き手・青木純】

 ■人物略歴
中野晃一(なかの・こういち)氏
 1970年生まれ。東京大、英オックスフォード大卒。米プリンストン大で博士号(政治学)取得。上智大国際教養学部教授。野党共闘を仲介する市民連合の運営委員。専門は比較政治学、日本政治。






松井孝治(まつい・こうじ)氏


 1960年生まれ。東京大卒。通産省(現・経済産業省)や首相官邸などで勤務した後、2001年参院選で京都選挙区から旧民主党公認で立候補し、初当選。09年鳩山内閣で官房副長官に就任。13年に政界を引退。