(社説)坪井直さん死去 核廃絶への信念忘れぬ
                               2021年10月29日 朝日新聞

 核の業火に焼かれ、死に直面した体験から発せられたメッセージを改めて、胸に刻みたい。
 広島・長崎への原爆投下から76年、被爆者運動の牽引(けんいん)役がまたひとり、亡くなった。坪井直(すなお)さん、96歳。核兵器廃絶を国内外で訴え、「ヒロシマの顔」と呼ぶにふさわしい人だった。
 被爆者の全国組織・日本原水爆被害者団体協議会の代表委員として5年前、広島を訪れた当時のオバマ米大統領と対面した姿が記憶に新しい。
 原爆慰霊碑の前で固い握手を交わす。ケロイドが残る顔に笑みをたたえつつも眼光は鋭く、杖をもつ左手でオバマ氏を指さしながら訴えた。
 「プラハのあれ(約束)が残っとるはずじゃ」「被爆者は、あなたと一緒にがんばる」
 09年、オバマ氏が「核兵器なき世界をめざす」と誓ったプラハ演説。その実現こそが、被爆者が何よりも願う総意であると伝えた瞬間だった。
 学生時代に被爆して大やけどを負い、意識不明のまま終戦を迎えた。九死に一生を得て、戦後は中学教師に。まだ被爆者の多くが沈黙する中で「ピカドン先生」と名乗り、教え子に体験を語り聞かせた。
 国に放置された被爆者が立ち上がり、日本被団協を結成したのは1956年。核軍拡が極まる米ソ冷戦以降、草の根の証言活動に国内外で粘り強く取り組み、坪井さんも先頭に立った。

 よく口にした言葉がある。「核兵器は絶対悪」と「ネバーギブアップ」だ。

 核兵器を持ち合うことで均衡が保たれるとする核抑止論に対し、核の非人道性を繰り返し説いた。核軍縮が遅々として進まなくとも、決してあきらめてはならないという情熱と信念を示し続けた。
 その姿勢は若い世代の心もつかみ、被爆者と若者が手を携えて核廃絶を訴える取り組みを広げた。活動は国際的なうねりとなり、4年前の核兵器禁止条約の誕生につながった。
 条約は今年1月に発効したが、核保有国は背を向け続け、世界にはなお1万3千発以上の核兵器がある。「核なき世界」への一歩をどう踏み出すか。来年1月に核不拡散条約(NPT)再検討会議が、3月には核禁条約の締約国会議が予定され、唯一の戦争被爆国である日本も真価が問われる。
 とりわけ核禁条約への姿勢である。政府は「保有国と非保有国の橋渡しをする」と言いながら、締約国会議へのオブザーバー参加に慎重な姿勢を崩さないままだ。
 岸田首相は再考するべきだ。坪井さんの思いを正面から受け止めねばならない。

 (社説)被団協の坪井さん死去 「核なき世界」を諦めない
                                            2021年10月29日 毎日新聞

 「ネバーギブアップ(決して諦めない)」。そう言い続け、「核兵器なき世界」の実現を訴えた人生だった。
 日本原水爆被害者団体協議会の代表委員などを務めた坪井直(すなお)さんが96歳で亡くなった。長年、核廃絶運動をけん引した。
 広島での自らの被爆体験を語り継ぎ、核兵器の非人道性を告発してきた。
 20歳の時、爆心地近くで被爆し、全身に大やけどを負って約40日間、生死をさまよった。後遺症に苦しみながら、中学校の教壇に立ち「ピカドン先生」と名乗って、生徒に原爆の災禍を伝えた。
 定年退職後は海外での活動を通じ、人類全体の問題として核問題を考えるようになったという。
 欧米をはじめ、パキスタンや中国、北朝鮮など21カ国を訪れ、国際会議では「ノーモア・ヒバクシャ」と訴え続けた。
 坪井さんら被爆者が海外で証言活動をねばり強く続けたことで、核兵器の非人道性が世界に広く知られるようになった。それが核兵器を違法とする核兵器禁止条約の発効につながった。
 「(原爆投下は)人類の間違ったことの一つ。それを乗り越えて我々は未来に行かにゃいけん」
 20165月、米国の現職大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏にこう語りかけた。憎しみからは何も生まれないという信念から平和を願った言葉だった。

 残された課題は重い。

 国際情勢は厳しい。世界の核弾頭数は約13000発に上る。米国とロシア、中国の対立は続き核軍拡競争の終わりが見えない。
 日本は、米国の「核の傘」の下にいることを理由に禁止条約に参加していない。核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任するが、唯一の戦争被爆国としての役割を果たせていない。
 被爆者は約127000人まで減り、平均年齢は84歳に迫っている。長崎で核廃絶運動をリードしてきた谷口稜曄(すみてる)さんも17年、鬼籍に入った。被爆者がいない時代がいずれ訪れる。
 「険しい道が続くのかもしれないが、忌むべき兵器を世の中から無くすよう諦めずに進んでいきたい」。坪井さんの思いを次世代が引き継がなければならない。

 (社説坪井直さん死去 核廃絶をあきらめない
                                 2021年10月29日 東京新聞

 坪井直(すなお)さんは、ヒバクシャの象徴だった。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員などとして、その名の通り真っすぐに「核廃絶」を願い続けた人生だった。口癖は「ネバーギブアップ」。その志は次世代に受け継がれていくだろう。
 あの日20歳の坪井さんは、爆心地から約1.2キロの近距離で原爆の閃光(せんこう)と爆風を浴びた。気が付けば周囲は地獄絵図。自らも大やけどを負っていた。
 左目の視力を失い、熱線に背中をえぐられながら、母親の手厚い介護もあって奇跡的につないだ命。回復後は教員の道に進んだ。がんや心臓病など原爆の重い「後遺障害」と闘いながら、数学の授業の合間を縫って、教え子たちに、原爆の恐ろしさ、悲惨さを語り続け、「ピカドン先生」と慕われた。
 被爆者団体の活動に身を置いたのは、教員を定年退職後。国の内外で証言活動を繰り返し、「赤い背中の少年」で知られる長崎の谷口稜曄(すみてる)さんとともに、被爆地の平和運動、なかんずく核兵器廃絶運動をけん引する存在だった。
 核軍縮の流れの中で、世界が保有する核弾頭の数はピーク時だった1986年の7万発超から1万3千発にまで減った。だが一発でも落としたらどうなるか、身に染みて知るのが被爆者だ。核は廃絶するしかない。
 今年1月、すべての核兵器を違法とする核兵器禁止条約が発効した。しかし日本は唯一の戦争被爆国でありながら、米国の「核の傘」の下にいて、条約への署名さえ拒み続けている。
 病床にありながら、そんな政府の姿勢を厳しく批判し続けていた坪井さん。心残りも多かろう。
 被爆者の平均年齢は83歳を超えた。盟友の谷口さんも4年前、一足先にこの世を去った。被爆の実相を体験として語り継ぐ証言者は減っていく。
 しかし坪井さんは「核兵器が廃絶されるのをこの目で見たい。でも私が見られなくても、後世の人に必ず成し遂げてもらいたい」と希望を語っていたという。
 ネバーギブアップのバトンを受け継ぐ若い世代がある限り、坪井さんの魂は「核のない世界」をあきらめない。