(社説)核・気候・コロナ 文明への問いの波頭に立つ
                                  朝日新聞 2021年1月1日

 長崎原爆資料館の入り口に掲げられたメッセージ=2020年4月10日、長崎市平野町、弓長理佳撮影
 長崎原爆資料館の入り口に、「長崎からのメッセージ」が掲げられたのは昨年4月10日のことだった。被爆から75年の節目、核廃絶に向けたステップの年に、との意気込みにもかかわらず、館はこの日からコロナ対策で臨時休館となった。
 メッセージは、核兵器、環境問題、新型コロナという「世界規模の問題」を三つ挙げ、それらに「立ち向かう時に必要なこと その根っこは、同じだと思います」と語りかける。
 すなわち「自分が当事者だと自覚すること。人を思いやること。結末を想像すること。そして行動に移すこと」。
 誰もがウイルスに襲われうることを人々は知った。感染や、その拡大という「結末」を想像し、一人ひとりが行動を律する必要も、人々は知った。
 そんな時期に、核や地球温暖化でも、誰もが「当事者」であり、みんなの「行動」が求められていることを訴えたい。休館を前にした市職員らの思いが、メッセージには込められた。
 資料館は6月に再開、メッセージは年を越し、いまも玄関に掲げられている。

 ■牙をむく巨大リスク
 パンデミックが世界を覆い尽くす速度は昔日の比ではない。
 地球環境は「気候危機」に立ち至った。
 核の恐怖を伝える「終末時計」は昨年、人類滅亡まで「残り100秒」を指し、史上最悪を記録した。
 いずれも、現代文明が産み落としたグローバルな巨大リスクである。
 3・11の東日本大震災と福島原発事故の3カ月半後、政府の復興構想会議が出した提言の一節が思い出される。
 「われわれの文明の性格そのものが問われているのではないか」
 人類に豊かさをもたらしたはずの文明が、人類に牙をむく。この逆説を、改めて深く銘記せざるをえない。
 コロナ禍という非常時は、以前からあった数々の問題を大写しにした。生態系への野放図な介入しかり、都市への人口密集しかり、である。
 効率優先の行き着くところ、社会の余力がそぎ落とされ、医療崩壊につながった地域がある。看護、介護、物流といった日常を支える「エッセンシャルワーカー」の役割に光が当たったが、テレワークが広がり、デジタル化が加速する見通しの一方で、対面労働に携わる人々との格差が論点となる。
 これらの課題にどう答えを出すか。感染の抑え込みに加え、人類社会が課される荷は重い。

 ■世界は覚醒できるか
 興味深いことに、コロナ禍で傷んだ経済の再生を、脱炭素や生態系の保全といった気候変動への取り組みと連動させようという機運が生じている。「グリーンリカバリー(緑の復興)」である。
 「経済を回す」ことを単に取り戻すのではなく、環境に目配りし、次代の人類社会の姿を描きつつ、二兎(にと)を追う。
 命か、経済か。時に口の端にのぼった二分法からの、発想の転換といっていい。
 この分野では今年、国際社会が様変わりを見せる。バイデン政権が発足する米国は、温室効果ガスの排出削減をめざす枠組み「パリ協定」に復帰する。
 日本政府も昨年10月、「2050年に実質排出ゼロ」を打ち出した。世界的な潮流に押され、やはり「発想の転換」(菅首相)に踏み切った。

 「終末時計」の針を後戻りさせることは可能だろうか。
 今月22日に核兵器禁止条約が発効する。核兵器は非人道的で違法だとする国際規範であり、「核なき世界」への大きな一歩である。
 広島、長崎の被爆者に加え、国際的な非政府組織に集う世界の市民が運動を繰り広げ、有志国の政府との連帯を通じてこぎつけた。
 米ロはじめ核保有国と、「核の傘」の下にある日本などは、この条約に背を向ける。「恐怖の均衡」による核抑止論から抜け出せていない。世界はなお、偶発的な核惨事が発生する危険と隣り合わせである。
 こんなことをいつまでも続けていていいのか――。危機への覚醒いかんが、時計の針を進めもすれば遅らせもする。

 ■未来の当事者が動く
 10年前の原発事故後、思想史家の渡辺京二氏は短い文章を書いた。「人類の生きかた在りかたを変えねばならぬのは、昨日今日始まった話ではないのだ」「つまり、潮時が来ていたのだ」(『未踏の野を過ぎて』)
 潮目の変化がはっきりしているのに、頑として動かない山もある。それでも2021年は、山を動かす挑戦をより一層進める好機である。
 環境活動家のグレタ・トゥンベリさんをはじめ、様々な領域で若い世代が声を上げていることは心強い。未来社会の当事者たちが、このままで人類は持続可能なのかという問いの波頭に立っている。


 (社説)臨む’21/コロナ下の民主政治/再生の可能性にかける時

                                  毎日新聞 2021年1月1日

 2021年を迎えた。希望を更新するようなムードが感じられないのは、新型コロナウイルスとの暗然とさせられる闘いの「第2章」を予感するためでもある。
 コロナへの対応に完全な答えは見つかっていない。ワクチンに安堵(あんど)するのはまだ早計だろう。
 そうした中、厄介な危機感が膨らんでいる。私たちの民主政治がコロナへの対応能力に欠けているのではないかという疑念だ。
 民主政治は合意過程を重要視するが故に、意思決定に時間がかかるという欠点が指摘されてきた。それがコロナという容赦のない敵との闘いで顕在化した。
 民主主義の旗手である米国で感染者が1900万人を超え、世界最悪となっていることが危機を象徴的にイメージさせる。
 一方で、世界で最初に感染者が確認された中国は都市封鎖やIT(情報技術)を駆使した国民監視などの対策を、持ち前の強権政治により一気に進めた。感染拡大を早々に抑え込んでみせた。
 冷戦が終わり、自由と民主主義は市場経済とセットであるとの考えが広がった。生活を豊かにしようと思えば、中国でさえも民主主義に向かうと語られた。
 だが、グローバル化の進展がコースを変えた。先進国では中間層以下の所得が伸び悩み、寛容さが失われ格差と分断が拡大した。08年の世界金融危機以降、反グローバル主義とナショナリズムがうねりを増し、ポピュリスト政治家が幅を利かせた。
 一人一人が相対的に平等であってはじめて、支え合って社会をつくろうという意識が保てる。それが、社会経済的な基盤を持つ中間層が没落し難しくなった。米国ではトランプ政権が誕生し、英国は欧州連合(EU)を離脱した。

 困難な状況下でコロナが襲来したことが危機に拍車をかけた。
 では、日本はどうだろう。社会の基本的な数値はよくない。
 非正規労働者は1990年代以降大きく増え、雇用者に占める割合は4割に迫る。「同一労働同一賃金」のかけ声は聞かれるが、正社員との不合理な待遇格差の解消は進んでいない。コロナ禍で、雇用の調整弁としてしわ寄せを受けているのも非正規層だ。
 東京と地方の差も開いている。男女格差は解決されず、女性政治家の割合は世界的に低いままだ。
 東京大の宇野重規教授(政治哲学)は「日本では、どこに所属するかによって運命が大きく決定される『再封建化』といえる動きが強まっている。格差に対し、個人の力ではどうしようもないと思う感覚が支配的になっている。これが一番の危機だ」と語る。
 そうした国民に対し、政治は対話の努力をしたのだろうか。
 安倍晋三前首相の一斉休校は突然だった。一部の側近だけで準備は進められ、コロナ対策として科学的根拠は希薄だった。国民は政治に翻弄(ほんろう)されたとの意識を抱き、不信感を募らせた。
 説明に背を向ける政治を菅義偉首相が継いだ。感染拡大の中、官邸での記者会見は3回だけだ。
 先の国会で目立った「答弁を控える」の言葉も信頼を構築する土壌を自ら破壊することに等しい。
 立場の違う人にも寛容に対応し、合意を広げるのが民主政治の役割だ。その前提に立てば、言ってはならないNGワードであるのに、ためらいもなく乱発される状況に危機感を禁じ得ない。

 ただ、民主政治に再生の芽がないわけではない。
 米大統領選は1億5000万人を超える人が票を投じ、投票率が過去最高になった。それは選挙の結果以上に将来の可能性を示したと言えるのではないか。
 カマラ・ハリス次期副大統領ら多様性に富んだ政治家群像を登場させたことも期待値を上げる。
 日本では、コロナ下の自粛期間中、ネットや新聞、テレビを見て、この国の政治について国民が気づきを持つようになった。安倍政権末期に内閣支持率が低下したのも、菅内閣に変調が見られるのも気づきの表れと言えるだろう。
 今年は衆院選が10月までにある。政治がどこまで傷んでいるのかを把握し、復元への道筋を示す機会となる。
 民主政治は間違える。けれども、自分たちで修正できるのも民主政治のメリットだ。手間はかかっても、その難しさを乗り越えていく1年にしたい。

 (社説)平和で活力ある社会築きたい
                           読売新聞 2021年1月1日

  ◆英知と勇気で苦難乗り越える◆
 あけましておめでとう、という平凡な新年のあいさつを元気に交わせることがどれほど貴いか、改めて思い知る年明けである。
 風景は一変した。恒例の一般参賀は取りやめとなり、年頭の、天皇陛下の国民向けあいさつはビデオメッセージとなった。だれが1年前に、翌年の元日をこのような困難の中で迎えることになると、想像しただろうか。
 しかし、ピンチはチャンスという。新型コロナウイルスの感染拡大という大災厄が、医療体制の脆弱(ぜいじゃく)性や社会の歪(ゆが)みなど、さまざまな問題点に気づかせてくれたことは幸いだったと思いたい。
 なすべき改革を断行し、苦難を乗り越えて、平和で健康な、そして活力ある社会を築き直す好機としなければならない。今年はその出発点となる。
 そのためには何よりもまず、コロナ禍の収束に全力をあげるべきである。経済との両立が必要なのは当然だが、感染の拡大を抑えないことには経済活動も順調に回転するはずがない。
 経済を破壊する要因はさまざまで、対策も一様ではない。地震や台風などの災害は、生産設備の損壊で供給に打撃を与えるから、インフラの復興が急務となる。バブル崩壊では金融システムの立て直しと需要の喚起が必要になる。

 ◆感染抑止が最優先課題
 感染症は人の接触から蔓延(まんえん)し、生産活動を妨げて、供給と需要を同時に阻害する。そうだとすれば、対策としてはコロナを収束させることが第一となる。
 なすべきことは、米国のシンクタンク(新経済思考研究所)の論文の、簡潔な表題の言葉に示されている。「経済を救うには、まず人を救え」
 遅すぎたとはいえ、菅首相が「Go To トラベル」事業を年末年始の期間、一時停止したことは評価してよかろう。
 もしこれを機にコロナが収束に向かい、オリンピック・パラリンピックが無事に開催されるようになれば、日本は世界に対して胸を張れるだろう。
 しかし、仮にそうしたベストシナリオが実現したとしても、感染症との戦いがそれで終わるわけではない。ワクチンが普及するには時間がかかるし、いつ感染が再拡大するかわからない。
 あるいはコロナとは別種の新たな疫病が、何年か後に襲来するかもしれない。実際、2010年には、厚生労働省の専門家会議が、新型インフルエンザの経験を踏まえて、保健所など専門機関や人員の体制強化を提言していた。
 それがほとんど忘れ去られていた結果が、今回のコロナ禍での大混乱である。その轍(てつ)を踏んではならない。医療体制の強化は、今ただちに着手すべき緊急課題であることを認識する必要がある。
 コロナ禍は日本だけの問題ではない。世界中が大混乱のさなかにある。人の往来、ワクチンの供給、医療対策など、国際社会全体が協力し合わなければ、この困難は乗り切れない。
 経済を再生するにも、サプライチェーン(供給網)や生産拠点の確保など、安定した国際協調体制がなければおぼつかない。ところが、貿易摩擦や安全保障問題をめぐる米中関係の険悪化によって、世界は緊張を高めている。
 経済のグローバル化は世界経済の発展を促したが、その恩恵を活用して力をつけた中国は、軍事力の拡大を加速させている。東シナ海、南シナ海など海洋進出にとどまらず、宇宙やサイバー空間にまで、勢力圏を広げつつある。

 ◆世界は変動期に入った
 トランプ政権下の米国は、「自国第一主義」を掲げて独自の核・通常戦力の強化を目指し、中国、ロシアなどとの対決姿勢を強めてきた。英国の欧州連合(EU)離脱、中東情勢の流動化も加わり、世界は大変動のただ中にある。
 地球温暖化など環境問題をめぐっては、国際社会の一致した努力が求められる一方で、環境規制の基準作りでは各国の対立と競争が繰り広げられてもいる。
 コロナ禍の混乱と国際秩序の動揺。協調と競争。四つの要素が絡み合いながら同時進行する、複雑な時代である。
 状況に適応するためには自己改革が必要だ。しかし同時に、変化に引きずられて平和と安全、自由と民主主義など、国家の基本に関わる大切な価値を失うことがあってはならない。
 何を変え、何を守り抜くか。物事を見極める英知と実行する勇気が、いま問われている。
 日本は、まずバイデン米新政権との間で日米同盟の強化を急ぐとともに、国際社会の課題解決の努力やルール作りに積極的に参加して、発言権を確保すべきだ。
 事態を傍観していたら、不利な条件を押し付けられ、国益を損なうことになりかねない。
 「脱ガソリン車」の開発、デジタル技術の活用などは、いったん立ち遅れると高い外国製品の購入や特許料の支払いを強いられることになる。国民の負担は増え、国内産業は空洞化する。
 状況に追随するのではなく、進んで難題に立ち向かうべきだろう。国内の態勢を整えたうえ、むしろ宇宙を資源争奪の場にしないことなど、新しい多国間協調の枠組み形成に向けて先導役を果たすのが、日本の役割ではないか。
 そのためにも、大事なのは国力である。基盤をなすのは経済力だ。日本の経済構造の立て直しに取り組まなければならない。コロナ禍が収束したとしても、それで日本経済の長年の病根がすっかり解消するわけではないからだ。

 ◆国力の充実を目指せ
 心配なのは成長の鈍化だ。企業の内部留保は475兆円、個人の金融資産は1901兆円と、空前のカネ余り状態だが、企業の投資も個人消費も低迷したままだ。先行きの不透明感に伴う不安がブレーキをかけているのだろう。
 成長戦略とともに、社会保障制度改革を断行して、社会の活力を取り戻さなければならない。
 また、国の借金残高は1000兆円を超えている。国と地方の長期債務残高が国内総生産(GDP)の2倍超という財政の危機的状況を放置することも許されない。
 経済発展の原動力となる技術は、国力の重要な要素だ。昨年末の小惑星探査機「はやぶさ2」の活躍は、日本の技術力の高さを実証した。ノーベル賞受賞の日本人科学者も多い。

 ◆人材の流出を防ごう
 それなのにITやデジタル技術では立ち遅れが指摘されている。一体なぜなのか。原因はいくつかあろうが、その一つに技術者や研究者を大切にしない企業風土があるのではないか。
 生産性向上や効率化を重視するあまり、人減らしで見かけの数値の改善を優先すると、優れた技術を持った人材は中国や韓国の企業にスカウトされてしまう。そんなケースがいくつもあった。
 今も、日本の大学や研究所ではポストが得られないからと、中国の研究所に高給で採用される若手研究者が多いといわれる。貴重な人材をみすみす流出させることが、日本の国力にとってどれほど大きな損失か。
 中小企業の生産性が低いと批判する新自由主義的な言説が目立つが、「はやぶさ2」を支えた技術者の多くが数十人規模の町工場の人たちだったことを、見落としてはならないだろう。
 技術も人間の営みである。人間力こそ国力の礎であることを思い起こしたい。
 デジタル化の問題でも、同様のことがいえる。国と地方の行政手続きなどは、システムをデジタル化して、国民の利便性を高める必要がある。しかし、教科書のデジタル化となると話は別だ。
 デジタル機器の動画や音声を副教材として活用するのは有効だろうが、紙の教科書をやめてデジタル・タブレットに切り替えるなど、本末転倒も甚だしい。
 書物を読み、文章を書くことで人間は知識や思考力を身につけ、人間として成長する。数学者の岡潔が言っている。「人の中心は情緒である」(春宵十話)。教育の基本を間違えてはならない。
 政治の安定も、国力の大事な要素である。経済力がいくら大きくても、指導者が国民から信頼されなければ、足元が脆弱であることを見透かされて、他国もその指導者を信頼してくれないだろう。
 為政者が国会答弁でウソをつく、疑問をもたれる政治決定について頑(かたく)なに説明を拒み続ける、などの姿は、寒心に堪えない。

 ◆政治の信頼は国の礎だ
 激動する世界にあって、国家の平和と安全を確保していくには、日本の立場について国際社会の理解を勝ち取るための、対外発信力が不可欠だ。
 読売新聞と米ギャラップ社の日米共同世論調査によると、公共機関などの信頼度調査で、日本の国会は23%と、最下位だった。同じ最下位の米議会(33%)と比べても、情けない限りだ。
 与野党の指導者はそのことを肝に銘じて行動してほしい。国民もまた、政治に対してしっかりした意見を持たねばならない。今年は選挙の年でもある。

 主張 年のはじめに中国共産党をもう助けるな
  論説委員長・乾正人
平和で活力ある社会築きたい

                           産経新聞 2021年1月1日

 新年早々、くだらぬ話で恐縮だが、私はかなり濃厚な「親中派」だった。
 40年前、大学受験で選択した外国語は中国語だった。NHKラジオの中国語講座を熱心に聞き、元共産党員が先生をしていた市民講座に通った成果を誇示したいという若気の至りからである(英語が苦手だったからでもあるが)。
 当時、そんなばかげたことをした高校生はほとんどいなかったが、市民講座で配られた質素なテキストに載っていた「赤脚医生(最低限の医療知識で農村を巡回した医者。文化大革命時に毛沢東が奨励した)」の話は、今でも覚えている。

私は「親中派」だった
 いずれ中国は米国と肩を並べる大国になり、中国語をマスターすれば何かと得だ、という打算もあったが、幼稚な高校生の夢想をはるかに上回るスピードで中国は発展した。自由と民主主義とは無縁のディストピア(理想郷と対極の世界)になろうとは、想像だにしなかったが。
 夢想から目覚めさせてくれたのは、平成元年6月4日に起きた天安門事件である。中国共産党は、軍を出動させ、自由を求める市民や学生に容赦なく銃弾を撃ち込み、鎮圧した。犠牲者数はいまだ正確にはわかっていない。私は当時、就任間もない宇野宗佑首相の番記者として、一挙手一投足を追っていたが、事件について何も発信しない彼に大いに失望した。「この人は総理大臣に向いていない」と日記に書いた。
 それどころか、事件当日に外務省は、西側諸国が共同して制裁措置をとることに反対する文書を作成していたことが、先月公表された外交文書で明らかになった。7月に開かれたアルシュ・サミットでも日本は一貫して制裁を緩やかにしようと立ち回っていた実態も明確になった。
 ベルリンの壁が崩壊した後、東側諸国が次々とソ連のくびきから離れ、ソ連共産党の一党独裁が終焉(しゅうえん)を迎えてから今年で30年。
 天安門事件を引き金として中国共産党による一党独裁体制が崩れていたとしても、何の不思議もなかった。そんな瀕死(ひんし)の共産党を救ったのが、日本だったのである。

 「中国を孤立化させてはいけない」を大義名分に、いちはやく経済協力を再開したのも日本だった。
 歴史は繰り返すのか
 日本は戦時中も中国共産党を救っている。生前、毛沢東は訪中した日本の要人が「日本軍が中国を侵略して申し訳なかった」と判で押したように謝ったのに対し、いつもこのように答えたという。
「申し訳ないことはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。皇軍がいなければ、われわれは政権を奪えなかった」
 少し説明が必要だろう。蒋介石率いる国民党軍に敗走し、延安まで落ちのびた毛沢東が息を吹き返したのは、日本軍が昭和12年に国民党軍と全面戦争に突入し、蒋介石が国共合作に踏み切らざるを得なかったからだ。敗走に次ぐ敗走で2万5千人まで減っていた共産党軍は、8年後の終戦時には120万人にまで膨れあがり、後の国共内戦に打ち勝ったのである。ことに共産党軍に引き渡された日本軍の近代兵器が勝敗の帰趨(きすう)を左右したとの説もある。つまり、戦時中は軍部が、戦後は外務省が「中国共産党を助けた」のである。
 新型コロナウイルスによって世界は一変したが、中国・武漢で最初の感染爆発が起きた際、当局による情報隠蔽(いんぺい)が、パンデミック(世界的大流行)の引き金を引いたことを忘れてはならない。
 すべての個人情報を国家が管理し、自由を求める「危険人物」を容赦なく監獄や収容所にぶち込む。チベットやウイグルでの弾圧が、香港でも公然と行われ始めた現実から日本政府も国会も目を背けている。
 いま再び、中国は西側諸国の「反中同盟」を切り崩そうと日本を懐柔しようとしている。手始めが、習近平国家主席の国賓来日実現だ。
 日本は、瀕死の中国共産党を2度助けた。3度目は、絶対にあってはならない。もし習近平来日に賛成する政治家や官僚がいれば、それはまさしく「国賊」である。「親中派」の私が書くのだから間違いない。

 (社説)年のはじめに考える コロナ港から船が出る
                           東京新聞 2021年1月1日

 共感される向きもみえるでしょう。私たちがこのウイルスに何か試されているような感覚です。
 人間社会はコロナ禍を乗り切って、その先どこへ向かうのかと。
 そうした試練の船出がこの年明け後に続きます。一つは一月二十日、米新政権の発足です。
 大統領選でも大争点でした。コロナ禍は私たちに命の支え合いを催促していました。災禍の克服に向け、生活のあらゆる場面で。
 けれども、トランプ政権下で極まった格差、分断社会に、そもそも支え合いの発想は乏しかった。克服など到底無理でした。

◆分断、対立の時を超え
 コロナ禍の次にも訪れる新たな脅威を想像すれば、分断に未来はない。支え合い協調する未来へ船を乗り換えよう−。過半が選択した政権交代は、コロナ禍にも促された流れに見えました。
 しかし、分断の溝を放置したまま協調の未来はあり得ない。船出のバイデン新政権を待ち受ける、分断修復の試練です。
 この米国に続く二日後。もう一つの船出は、国連の核兵器禁止条約の発効です。
 昨年秋、ホンジュラスで発効に要する五十カ国目の批准が調いました。核廃絶に向け核兵器自体を違法とする初の国際条約です。
 前文に、その「受け入れがたい苦痛に留意する」として「ヒバクシャ」への尊崇が謳(うた)われます。高齢の被爆者たちが人生をかけて夢見た船出でした。
 無論、現実には対立の壁が立ちはだかります。覇を競う大国同士が相互の抑止力として核保有を譲らない。危険含みの対立です。
 だけどコロナ禍の今、私たちが思い知ったのは対立の虚(むな)しさでした。国境を超え世界が協調する時に、国境を争う核兵器など何の意味もなさないということです。
 条約発効の今こそ、対立の虚しさに目を覚まし、核廃絶へ協調する好機では−。ここでも響く時の声が、船の乗り換えを促します。

◆人間性を心にとどめよ
 しかし、促されるのは乗り口まで。実際に船に乗り、船の針路を描くのはやはり人間自身です。
 その針路の手掛かりを、この条約にもつながる核廃絶の源流にたどります。二十世紀の巨人、アインシュタイン博士の「遺言状」ともされる「ラッセル・アインシュタイン宣言」です。
 一九五五年四月、博士が死去の一週間前、英国の哲学者バートランド・ラッセル卿らと署名を連ねました。当時の水爆実験などで迫る核危機に、世界の科学者らが放った悲痛な警告でした。
 宣言の結びにこうあります。
 「人間性を心にとどめよ、そして他のすべてを忘れよ」
 さもなくば核戦争で人類は滅ぶということです。
 「人間性」とは英語の「ヒューマニティー」。人間だけが生まれ持つ人間らしい心情。自分以外の人間に向ける「思いやり」のような心でしょうか。
 宣言は全人類への訴えでした。現代を生きる一人一人に、未来の人々の苦難を思いやる人間性を問い掛けたのです。
 人間性の結集こそが、核や疫病などの脅威に協調して立ち向かう力になるということでしょう。分断、対立を乗り越えて。協調の未来へ。私たちが取るべき針路の示唆かもしれません。
 宣言の十年前。広島への原爆投下の報に接したアインシュタイン博士は、何ごとか呻(うめ)いた後に絶句したといいます。
 自ら導出した物質とエネルギーの定理が、原爆の大量殺戮(さつりく)で実証されたのです。ナチスに対抗する核開発を米政府に提言してもいました。科学者としての自責や悔恨が脳裏を交錯したでしょうか。
 その罪悪感ゆえに、より強く被爆者の痛みを思いやり、人類の永続を願う。博士にこの時込み上げた人間性が、核廃絶の宣言や条約を経て今の世界に息づきます。
 思えば、条約を批准した五十カ国の人々の決意も、大国の圧力などに屈せず、純粋に人類の永続を願う人間性の発露でした。
 それに比べ、唯一の戦争被爆国の振る舞いはどうだったか。
 「核の傘」の現実に執着して核廃絶への役割を果たせず、歴史的な条約にも背を向ける。何より自国の被爆者に寄り添わず、痛みを次代に伝えもしない。人間性の一片すらも見いだせぬ政治です。

◆流れに取り残されるな
 核政策に限らず、ただ目先の政権維持に躍起な「理念なき政治」とも言われます。
 一方、米バイデン新政権はオバマ政権が目指した「核なき世界」路線に回帰の構えです。
 コロナ禍を機に、世界が「人間性」の方へ舵(かじ)を切る流れに、この国だけが取り残されるのでしょうか。政治の針路を未来志向へと変えねばなりません。私たち一人一人の人間性を結集して。

(社説)新年を迎えて 自立へ共に踏み出そう
                           琉球新報 2021年1月1日

 新年を迎えた。2021年の沖縄は、施政権返還(日本復帰)50年を1年後に控え、これから先の針路を決定する年になる。
 50年前の1971年11月、琉球政府は日本復帰後の沖縄の在り方をまとめた「復帰措置に関する建議書」を作成している。
 復帰運動の先頭に立った屋良朝苗主席は「建議書」前文にこう明記した。
 「沖縄は余りにも、国家権力や基地権力の犠牲となり、手段となって利用され過ぎました。復帰という歴史の一大転換期に当たって、このような地位からも、沖縄は脱却していかなければなりません」
 琉球併合、沖縄戦、米国統治など国家に利用された過去と決別し、二度と利用されないという表明だ。その上で、米軍基地は人権を侵害し生活を破壊する「悪の根源」と断じ、基地押し付けによる抑圧から解放され、人権が完全に保障されることを求めた。
 残念ながら現状は逆である。米国は72年に施政権を日本に返還するが、復帰後も日本政府の合意を得て在沖基地を自由使用し続けている。
 民意に反して名護市辺野古の新基地建設を強行するのは、今後も沖縄を利用し続けるとの宣言にほかならない。
 では「建議書」は何を訴えたのか。「はじめに」の項で県民福祉を最優先に考え(1)自治の尊重(2)平和希求(3)平和憲法下の人権回復(4)県民主体の経済開発―を掲げている。
 4本柱を実現するため、沖縄側が自己決定権を行使して新しい県づくりに取り組むことを表明した。国は沖縄側が立てた計画に責任を持って予算を付けるよう主張した。
 沖縄の振興開発計画の責任は最終的に国にある、という日本政府の枠組みとはまったく異なる発想である。
 しかし、国会は建議書を受け取る前に、与党自民党が数の力で沖縄返還協定を強行採決した。沖縄側の最後の訴えは届かなかった。
 現行の沖縄振興特別措置法(沖振法)は21年度末で期限を迎える。復帰50年以降の新たな沖縄振興を巡る作業が本格化している。もし政府が、沖縄振興を基地問題との駆け引き材料にしようとするなら断固として跳ね返さなければならない。半世紀前、先達が大国の手段として利用されることを拒否したことを忘れてはならない。
 県は今年、国に「新たな沖縄振興のための制度」を正式に提言する。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の推進を、沖縄振興の目標として位置付けていくことを打ち出している。
 SDGsの枠組みを使うことは意義がある。SDGsの基本は人権であり、掲げている目標は既に建議書に盛り込まれている。
 肝心なのは、自立へ向け県民が困難を乗り越え、問題解決のために共に一歩を踏み出すことである。希望を持って取り組む年にしたい。