社説 コロナ下の安倍政権 憲法に従い国民守る覚悟を

                               朝日新聞 2020年05月03日

 異例の緊張感の中で迎えた憲法記念日である。
 新型コロナウイルスはすでに500を超える貴い命を奪った。全国におよぶ緊急事態宣言のもとでの外出自粛や商業施設の休業で、得られるはずの収入が失われ、生活基盤が根底から脅かされている人も数多い。
 国家の最大の使命は国民を守ることであり、そのよりどころとなるのが憲法だ。
 このコロナ禍の下、安倍政権はその使命を正しく果たしているのだろうか。

■まずは生存権の保障
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。憲法は25条1項のこの条文により、国民の生存権を保障している。続く2項は、社会福祉や社会保障とともに「公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国に義務づける。
 安倍政権が実施している感染拡大防止の対策は、この第2項の求めによるものだ。
 感染者の増加に伴い、医療現場では医師や看護師、専用病床に加え、マスクや防護服の不足まで深刻になっている。
 総務省が2017年に実施した厚労省の感染症対策への行政評価では、「感染症患者が良質かつ適切な医療を受けられる体制が確保されているのか危惧される」との見解が示されていた。その危惧は現実のものとなりつつある。公衆衛生の拠点となる保健所の削減も続き、歴代政権が未知の感染症に十分に備えてきたとは言いがたい。
 それでも欧米に比べ死亡者数が抑えられているのは、国民皆保険のもと必要な治療を受けられる医療アクセスの良さとともに、最前線の医療従事者らの献身と、不足を補う工夫に負うところが大きいだろう。
 一方、外出自粛や休業が長引くにつれ懸念されるのが、「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するのが困難になる国民が増えていくことだ。
 真っ先にしわ寄せを受けるのは、非正規労働者やアルバイト、中小・個人の事業主、一人親家庭など経済・社会的な弱者だ。7都府県に最初の緊急事態宣言が出されてからでも、すでにひと月近く。日々の生活費などをぎりぎりまで切り詰めている人たちには、対策の一刻の遅れは死活的となりかねない。

■「個人の尊重」と相反
 財産権を保障する29条を根拠に減収を補償するのは難しいと多くの法律家は見るが、25条の趣旨を踏まえれば国が政策として最大限のセーフティーネットを張るべきなのは当然だ。
 生存権が脅かされるほどではなくても、すべての国民が外出自粛や休業、休校によって、22条や26条が保障する移動や営業の自由、教育を受ける権利などが制限されている。
 罰則を伴う強制的な命令によって外出などを禁じている欧米諸国とは異なり、日本ではあくまでも「要請」という国民へのお願いが基本だ。
 多くの国民は感染拡大を防ぐためにはやむを得ないと考え、自発的な意思によってこれを受け入れてきた。首相が求める「人との接触8割減」が必ずしも達成されていないにしても、一定の効果は上げている。
 同調圧力を受けやすいといった日本人の性質がいい方向に作用している面はあるだろう。一方で、それとは裏腹の落とし穴もある。
 「子供が公園で遊んでいる」と警察に通報されたり、営業する店にいやがらせが続いたりする例が各地から伝えられる。
 それぞれの事情をかえりみず、いたずらに他者を監視し、傷つける行為は、いまの憲法がもたらした最大の価値とされる13条の「個人としての尊重」とも相いれない。

■備えは改憲でなく
 緊急事態宣言が延長されれば、国民はさらに長期間、生活不安や不自由を強いられる。それをしのいでいくためには、国家は国民を必ず守るのだという指導者の覚悟と、それに対する信頼感が欠かせない。
 緊急事態を宣言した先月7日の記者会見で、安倍首相が「最悪の事態になった場合、責任をとればいいというものではありません」と責任論をかわしたのは、その自覚がないことの表れというほかない。
 今回の事態を受け、自民党などの一部の議員からは、憲法に緊急事態条項を新設すべきだとの声が出ている。国家的な緊急事態になれば、内閣は法律と同じ効力をもつ政令を定めることができるといった内容だ。
 だが、このように憲法秩序を一時的に停止させる強力な権限を内閣に与えるまでもなく、25条2項をもとに新型インフルエンザ等対策特別措置法や感染症法などの法律がすでに整えられている。必要なのはそれらの法律に不備はないか、適切に運用できる体制は十分なのかを常に点検することだ。
 いま安倍政権がなすべきは、憲法を変えることではない。憲法に忠実に従い、国民の命と生活を確実に守ることである。

  社説 非常時対応の論議を深めよう
                              読売新聞 2020年05月03日

◆権限行使の根拠や手続き定めよ
 非常時への備えを定めておくことは、国の責務である。与野党は、憲法のあり方に踏み込んで論議を深めるべきだ。
 73回目の憲法記念日を迎えた。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という憲法の理念は、国民に定着し、日本の発展に大きく寄与した。
 一方、一度も改正されていない憲法は、急速に変化する日本や国際社会に対応しきれていない。憲法を不断に見直し、適切に機能させることが求められる。

◆緊急事態条項の検討を
 日本は今、新型コロナウイルスによる感染症危機の渦中にある。経済はグローバル化し、人やモノは国境を越えて行き交う。現代社会では、感染症は瞬く間に世界に拡散し、多くの死者を出し、社会や経済を麻痺(まひ)させる。
 想定外の危機に、政府は万全の態勢を有していたか。憲法をはじめ、日本の法律や諸制度は有効に機能したと言えるか。立ち止まって考える機会とすべきだ。
 現行憲法は、緊急事態の規定を設けていない。政府は、憲法制定時に、国家緊急権を盛り込むよう連合国軍総司令部(GHQ)に対して提案したが、受け入れられなかった。
 災害や武力攻撃など事態の内容に応じて、個別の法律で具体的な対応策を定めてきた。憲法が危機管理規定を欠くのは、政治の不作為と言わざるを得ない。
 自民党は2018年にまとめた4項目の憲法改正案で、緊急事態条項の創設を提案した。異常かつ大規模な災害で、国会を開けない場合、政府が法律と同じ効力を持つ政令を制定できる内容だ。
 緊急事態には迅速で適切な対応が求められる。憲法に基本原則を規定したうえで、法律で政府権限の内容や手続き、歯止めなどをあらかじめ明記しておくのは、法治国家として当然だろう。
 超法規的な措置で、人権侵害や行き過ぎた私権制限が起きるのを防ぐためにも重要ではないか。
 自民党案では、自然災害が対象で、外国からの武力攻撃やテロ、感染症は想定していない。
 感染症が大流行する事態を、巨大地震などと並んで緊急事態条項の対象として位置づけることは検討に値しよう。
 読売新聞社の世論調査では、憲法で特に関心があるテーマとして、緊急事態を挙げた人は約4割にのぼり、前年より増えた。新型コロナウイルス感染の拡大が影響したとみられる。与野党は、真摯(しんし)に議論しなければならない。
 感染拡大を国家の危機と受け止め、各国は強権を発動している。スペインやイタリアは憲法に基づく非常事態を宣言し、国民の外出や経済活動を制限した。

◆国会の機能維持も論点
 各国は時代の変化に合わせ、緊急事態の対象をテロや自然災害にも広げている。こうした事例も参考にしたい。
 緊急事態に国会の機能を維持する方策も、論点の一つだ。
 憲法は、衆参両院は総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開けないと定める。緊急事態においては、定足数を満たせない可能性はありうる。
 立法府が機能しなければ、予算や法案を成立させることができず、的確に対処できまい。
 自民党は、大災害で国政選が実施できない場合、憲法が規定する衆院4年、参院6年の国会議員の任期を特例として延長できるようにする案も示している。
 今の衆院議員の任期は、来年10月までだ。緊急事態が起きて、広い範囲で国政選を行えなかった場合、多数の議席が欠員になる可能性もありうる。民主主義を適切に機能させる観点から、各党は、対応策を詰めなければならない。

◆審査会は役割を果たせ
 衆参両院の憲法審査会は今国会で一度も開かれていない。与党の呼びかけに対し、野党は緊急事態の議論は平時に行うべきだとして、開催に応じていない。
 当面の感染症対策は、関係の委員会で審議すべきであるが、現実の課題に照らし、最高法規のあり方を論じるのが審査会の本分である。討議を拒む野党の姿勢は到底、理解しがたい。
 与野党は、早期の開催に向けた道筋をつけるべきだ。
 中国や北朝鮮の軍事的脅威は高まる。国と国民を守る自衛隊の役割は重要性を増している。
  自衛隊の根拠規定を憲法に明記し、一部に残る違憲論を払拭(ふっしょく)するための9条の改正にも取り組まねばならない。自民党は国民に対して、改正内容と意義を粘り強く訴えることが大切だ。

  社説 憲法記念日に考える コロナ改憲論の不見識
                              東京新聞 2020年05月03日

 「憲法改正の大きな実験台と考えた方がいい」-自民党の大物・伊吹文明元衆院議長が言ったのは1月30十日でした。政府が新型コロナウイルス感染症対策本部を立ち上げた当日です。安倍晋三首相も「緊急事態条項」の言葉を挙げて、国会の憲法審査会での議論を呼び掛けていました。
 緊急事態条項とは何でしょう。一般的には戦争や大災害などの非常時に内閣に権限を集中する手段とされます。暫定的に議会の承認が省かれたり、国民の権利も大幅に制限されると予想されます。明治憲法には戒厳令や天皇の名で発する緊急勅令などがありました。憲法の秩序が一時的に止まる“劇薬”といえそうです。

◆危機感ゼロだったのに
 でも、1月末ごろ、政府に緊急事態の危機感は本当にあったのでしょうか。むしろコロナ禍は「改憲チャンス」とでもいった気分だったのではと想像します。
 なぜならコロナ対策は各国に比べて後手後手。政府は東京五輪・パラリンピック開催にこだわっていたからです。まるで危機感ゼロだったのではないでしょうか。
 つまりは必要に迫られた改憲論議などではなく、「コロナ禍は改憲の実験台」程度の意識だったのではと思います。それでも、改憲の旗を掲げる安倍政権には絶好の機会には違いありません。
 実際に国会の憲法審査会では与党側が「緊急事態時の国会機能の在り方」というテーマを投げかけています。
「議員に多くのコロナ感染者が出た場合、定足数を満たせるか」「衆院の任期満了まで感染が終了せず、国政選挙ができない場合はどうする」-。
 こんな論点を挙げていますが、「もっともだ」と安易に納得してはいけません。どんな反論が可能なのか、高名な憲法学者・長谷部恭男早大教授に尋ねてみました。こんな返事でした。

◆「非常時」とは口実だ
「不安をあおって妙な改憲をしようとするのは、暴政国家がよくやることです」
「大型飛行機が墜落して、国会議員の大部分が閣僚もろとも死んでしまったらどうするかとか、考えてもしようがないこと」
 確かに「非常時」に乗じるのが暴政国家です。ナチス・ドイツの歴史もそうです。緊急事態の大統領令を乱発し、悪名高い全権委任法を手に入れ、ヒトラーは独裁を完成させたのですから…。
 衆議院の任期切れの場合なら、憲法五四条にある参議院の「緊急集会」規定を使うことが考えられます。「国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」との条文です。この点も長谷部教授に確かめると「『できる』が多数説です」と。
 つまりコロナ禍を利用した改憲論はナンセンスと考えます。不安な国民心理に付け込み、改憲まで持っていこうとするのは不見識です。現在、国会議員に感染者はいません。ならば今後、感染しないよう十分な防護策を取ればよいだけではありませんか。
 それにしても明治憲法にはあった緊急事態条項を、なぜ日本国憲法は採り入れなかったのでしょう。明快な答えがあります。一九四六年七月の帝国議会で、憲法担当大臣だった金森徳次郎が見事な答弁をしているのです。
 <民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するには、政府一存において行う処置は極力、防止せねばならない>
<言葉を非常ということに借りて、(緊急事態の)道を残しておくと、どんなに精緻な憲法を定めても、口実をそこに入れて、また破壊される恐れが絶無とは断言しがたい>
 いつの世でも権力者が言う「非常時」とは口実かもしれません。うのみにすれば、国民の権利も民主政治も憲法もいっぺんに破壊されてしまうのだと…。金森答弁は実に説得力があります。
 コロナ禍という「国難」に際しては、民心はパニック状態に陥りがちになり、つい強い権力に頼りたがります。そんな人間心理に呼応するのが、緊急事態条項です。
 しかし、それは国会を飛ばして内閣限りで事実上の“立法”ができる、あまりに危険な権限です。

◆法律で対応は可能だ
 ひどい権力の乱用や人権侵害を招く恐れがあることは、歴史が教えるところです。言論統制もあるでしょう。政府の暴走を止めることができません。だから、ドイツでは憲法にあっても一度も使われたことがありません。
 コロナ特措法やそれに基づく「緊急事態宣言」でも不十分と考えるなら、必要な法律をつくればそれで足ります。罰則付きの外出禁止が必要ならば、そうした法律を制定すればよいのです。
  権力がいう「非常時」とは口実なのだ-74年前の金森の“金言”を忘れてはなりません。

  社説 新型コロナと憲法 民主主義を深化させよう
                       毎日新聞 2020年05月03日
 新型コロナウイルスの感染拡大が憲法記念日の風景を変える。護憲、改憲両派による例年のような集会は見送られた。代わって、インターネットを利用した「オンライン集会」が登場する。
 コロナの感染拡大は、国会の憲法論議にも影響を及ぼしている。
 自民党は緊急事態への対処をテーマに憲法論議を始めるよう野党に求めている。安倍晋三首相は緊急事態条項の導入について「重く大切な課題」と述べ、国会の論議を促す姿勢を示した。
 緊急事態条項は大規模災害といった重大な事態が生じた時に、政府の権限を強める規定である。内閣は国会での審議を経ることなく法律と同じ効力を持つ政令を出すことが可能になる。
 自民党はコロナの感染が国会議員に拡大し国会が開会できなくなる恐れなどに着目し、衆参の憲法審査会で議論するよう呼びかけている。しかし、今回、緊急事態宣言が出された後も予定した審議は行われ、国会の機能が損なわれるような状況にはなっていない。

緊急事態条項は「劇薬」
 緊急事態条項は、自民党が2018年に策定した改憲条文案にも盛り込まれている。しかし、どんな状況になれば緊急事態になるのか、要件は明確ではない。
 安全と自由の二者択一を迫られるような状況になると、安全を選ぶ空気が社会の中で強まる可能性はある。緊急事態条項の議論自体を否定するつもりはない。
 だが、現行憲法は、軍部の暴走と国民の思想統制を許した明治憲法への反省から、国家に大きな強制力を与えることに慎重な仕組みになっている。人権は「公共の福祉」に反する場合に制限されることはあるが、適用は抑制的でなければならない。
 緊急事態条項は一歩間違えれば、基本的人権の尊重など憲法の大事な原則を毀損(きそん)する「劇薬」にもなる。
 いまはコロナの特別措置法に基づき、対策を尽くすときだ。その上で、現行法に不備があれば修正し、法令では対応できない場合に改憲論議に進むのが筋である。
 では、市民社会の安全が脅かされるような状況下で、何が支えになるのだろうか。
 ドイツのメルケル首相は3月、コロナの感染拡大で外出制限などを行ったことについて、テレビを通じ国民にこう語りかけた。
 「私たちは民主主義社会だ。何かをせよと強いられるのではなく、知識を共有し積極的な参画を促すことにより繁栄する。これは歴史的な任務であり、力を合わせることでしか乗り越えられない」
 移動の自由などの私権をいま制限することが民主主義にとってなぜ大切なのかを、メルケル氏は丁寧に説明した。
 もともとは、独裁政権だった旧東ドイツの出身だ。民主主義における自由の重みを知る人の要請であることが説得力を高めた。

他者を大切にする心を
 中国は、コロナの流行が最初に始まった湖北省武漢市の封鎖解除にこぎつけた。感染の中心が欧米などに移り、習近平政権は自らの国家体制の優位性をアピールしようとしている。
 だが、中国では政府の意思決定に関して国民はほとんど情報が得られない。これに対し、どういう物事が起きて、誰がどのような根拠に基づいて対応を判断したかが分かるのが民主主義社会だ。
国民の理解を得るには時間を要する。迅速性という点では、権威主義的な国家体制の方が有利であることは否めない。
 しかし、民主主義社会では、民意がいったん形成されれば、人々が自ら協力する姿勢が生まれる。その方が持続性があり、警察力などを使って強制するよりも高い効果が得られる。
早稲田大の長谷部恭男教授(憲法学)は「民主主義も、感染症対策も、一人一人の行動が全体にも影響を及ぼすと考えて行動することが大切だ」と語る。
 自分ひとりぐらい大丈夫と思ってみんなが出かけ始めると、感染者を減らすことはできない。
 要請が中心の日本の手法に対し、強制力の弱さを危ぶむ声が出た。そこを乗り越えるには、市民の役割が重要になる。
 危機が続いても、利己主義や差別する心にあらがいたい。自発的に他者を大切にし、民主主義を深化させていく必要がある。
日本の民主主義社会の成熟、強さが問われている。

  主張 憲法施行73年 緊急事態条項が必要だ 危機を克服できる基本法持て
                            産経新聞 2020年05月03日

 新型コロナウイルスの感染拡大という国難に見舞われているさなか現憲法は施行73年を迎えた。
新型ウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、思いもよらない大きな災厄が日本全域を突然襲うことがある、という厳しい現実を知らしめた。
 危機を乗り越えられる憲法になっていないことを痛感する。不断の見直しを図り、必要なら改正をためらってはならない。ウイルス禍に直面した国民の間で憲法に緊急事態条項を備えることへの関心が増したのは当然のことだ。

≪首相は論議を主導せよ≫
 安倍晋三首相(自民党総裁)は4月7日、緊急事態宣言をめぐる国会審議で、憲法に緊急事態条項を設けることに前向きな考えを示した。自衛隊明記とともに緊急事態条項についても論議をリードしていくべきである。
 国民に最大限の自由や権利を認め、いつも通りの丁寧な手続きで法律を作り、政府や自治体の行動を決める平時の体制のまま、有事や内乱、大災害といった深刻な緊急事態を乗り切ろうとすると、かえって国民の被害が増し、事態の収拾が遅れることがある。
 このような場合には、一時的に政府に権限を集めて対応した方がうまくいく。そこで世界のほとんどの国が憲法に緊急事態条項を設け、行政府の長である大統領や首相に権力を集中する仕組みを用意している。国連で採択された国際人権規約(B規約)も認めていることだ。政府に、法律と同じ効力を持つ緊急政令の制定や緊急の財政支出、自治体への指示権を与えることが多い。
 緊急事態条項には宣言の期間を区切ったり、確実に終了させたりする規定があるのが普通だ。宣言中の緊急の政令や財政支出は国会の事後承認が得られなければ無効となる。政府の強権化が目的ではなく、国民の生命と財産、経済社会を守り、憲法秩序を保つための備えといえる。
 だがこの条項が日本国憲法には欠けている。衆院解散中の参院緊急集会の規定はあるが、政府の能力を高めるものではない。
 一方、現憲法の下でも緊急事態に対処する法律は存在する。
 新型インフルエンザ等対策特別措置法や災害対策基本法、原子力災害対策特措法、警察法に緊急事態の規定がある。武力攻撃事態では国民保護法などに基づき自衛隊などの権限が拡大する。日本には今、ウイルス禍への緊急宣言と、福島第1原発事故に伴う原子力緊急事態宣言の2つが発令中だ。
 これら特措法上の宣言は、多くの国が持つ憲法上の緊急事態宣言とは似て非なるものだ。政府の権限が弱すぎて思い切った政策を打ち出せない。災対法上の緊急事態であれば限られた範囲で緊急政令だけは可能だが、東日本大震災ですら宣言は出されなかった。

≪審議拒否の野党反省を≫
 明治憲法には戒厳令や、今の政令にあたる緊急勅令を出す緊急事態条項があったが、用いられたのは関東大震災などの短期間に限られる。先の大戦中でも帝国議会は機能し、法律を審議したり予算を決めたりしていた。
 もし現憲法に緊急事態条項があっても、今回のウイルス禍にすぐさま適用すべきかといえば議論は分かれるところだろう。
 それでも憲法には緊急事態条項が必要だ。前もって法律で具体的に準備しきれないような広範かつ甚大な災害への備えだからである。たとえば自治体の機能が広域で壊滅しかねない南海トラフ巨大地震や首都直下地震、核攻撃を含む大規模な日本有事だ。ウイルス禍の収拾に失敗し国会が開会できないような深刻な事態になれば、それも当たるだろう。
 憲法論議にまず必要なのは、日本が想定外の危機に見舞われるかもしれないという想像力を広げ、備えようとする真摯(しんし)な姿勢だ。立憲民主党など一部野党が「不要ではないが不急だ」といって国会の憲法審査会の審議に応じていないのは無責任極まる。憲法審がウイルス禍に全力対処することを妨げるというのは間違っている。
 感染拡大を防ぎつつ立法府の機能を保とうとオンライン議会に取り組む国もある。だが日本は憲法第56条に「総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」とあるため踏み切れない。ウイルス禍と科学技術の発達に対応できない点からも憲法改正が必要である。

  社説 憲法施行73年 政府への強権付与危うい
                                          琉球新報 2020年5月3日
 コロナウイルス感染症の拡大防止のために出された緊急事態宣言で、私たちは現在、日本国憲法で保障された移動の自由や教育を受けることなどさまざまな権利が抑制されている。いまだに治療法が確立されていない感染症を防ぐためには「公共の福祉」の観点から致し方ない面があるだろう。
 しかし、感染拡大を「国難」と強調する安倍政権は有事の際に私権を制限できるようにする緊急事態条項の新設に意欲をにじませる。
 感染症対策に国を挙げて取り組まねばならないこの時期に憲法改正論議を進めようとする安倍政権の姿勢は危機に便乗するものだ。個人の自由や権利が不当に侵害されることはあってはならない。私権を制限できる強権を政府に与えるのは危険だ。
 新型コロナの感染防止のため、政府は7都府県に緊急事態宣言を出し、その後全国に拡大させた。休校措置のほか店舗には休業や営業短縮、国民に外出の自粛などを求め、多くの人が自主的に取り組んでいる。
 だが、感染防止を図るためにさらに政府の権限を強めようとする動きが顕在化した。安倍晋三首相は衆院議院運営委員会で憲法改正による緊急事態条項の創設を問われ、改正論議への波及に期待感を示した。自民党は憲法審査会の開催を提案した。
 コロナ禍で憲法改正に対する賛否も分かれた。共同通信の世論調査では、憲法を改正して大規模災害時に内閣の権限を強め、個人の権利を制限できる緊急事態条項を新設する案に賛成が51%、反対が47%だった。ただし安倍政権下での改憲は、反対が58%、賛成が40%だ。調査は学校の一斉休校や緊急事態宣言を発出した時期で、不安感から、強いリーダーシップを求める流れになったのかもしれない。
 しかし、国権が最優先され、個人の権利が著しく抑えられた過去があることを忘れてはならない。1938年に制定された国家総動員法だ。「私権」を制限する法制度の下で国家統制が敷かれ、国民の徴用などを国家が自由にできるようになった。行き着いた先は戦争だ。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基調とする憲法は、その反省の上に作られた。
 世界で新型コロナが猛威を振るう中で、ドイツのメルケル首相は渡航や移動の自由が第2次世界大戦などの「苦難の末に勝ち取られた」権利だとした上で、私権の制限は「絶対的な必要性がなければ正当化し得ない」と、あくまで命を救うための一時的対応だと明言している。
 先の見えない状況に置かれると、強い権力に従いたいという心理状態になることもあるだろう。こんな時だからこそ自由や平等、人権の価値を再確認する必要がある。  沖縄戦の教訓を踏まえ、公権力を制限する平和憲法を守り続けたい。