いまどきの歴史 
    新型コロナ 移動の不自由 「旅の危機」をどう救う?

                                毎日新聞2020年5月14日 東京夕刊

 「旅の危機」が続く。新型コロナウイルスへの最有力対策が「ステイホーム」なので、仕方ない面もある。とはいえ、移動の制限は人の本性を侵食している。思いもよらぬひずみを人類史にもたらすかもしれない。

 今年、翻訳出版された『旅の効用~人はなぜ移動するのか』(ペール・アンデション著、畔上司訳・草思社)は、人の2割が「旅の遺伝子」をもつという学説を紹介している。「この遺伝子は、大きなリスクを冒したり、新たな環境を探したりするらしい」。残る8割のことはともかく、人類は移動する動物だ。
 現生人類、つまり我々の祖先は約20万年前に東アフリカで誕生し、日本列島へは約3万8000年前に到達した。狩りの獲物を求めて移動する旧石器時代の人々だ。

 時を経て農耕民になっても移動は常にあった。

 戦国の乱世が収束して政情が安定した江戸時代には、多くの人々が生まれた村に定着して一生を送るようになった。しかし、江戸時代こそ旅が日常化した時代だ。お伊勢参りに加えて、江戸や京都の観光ガイドが多数出た。芭蕉の「おくのほそ道」が人々に多大な影響を与え、東北の農民が日本一周に近い旅をした(青木美智男著『日本文化の原型』小学館「全集 日本の歴史 別巻」)。
 その移動が今、地球規模で制限されている。移動には食料獲得に必須の移動と、そうではない物見遊山的な旅がある。しかし、後者もその実、人の生存に不可欠だと江戸時代の人々は示したし、『旅の効用』はまさにそのことがテーマだ。
 本書のいう旅は数カ月や年単位、あるいは予定のない放浪といった達人たちの旅。ゴールデンウイーク期間内に行って帰る海外旅行などとはかなり違う。それでも、外部のメディアを介さず、現地に行ってじかに未知と意外性にぶつかる彼らの体験は、我々一般旅行者レベルの心身にも十分しみ入ってくる。
 中でも興味深いのはある女性人文学者が得た感覚だ。「旅をすればするほど、各種の文化同士の共通点のほうが相違点より大きいと感じるようになった」と。普通、人は異世界を求めて旅立つ。そうして世界が広がった結果、こんな逆説的な感覚に至る。人の成熟とはこういうことと思う。

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 4月28日朝刊「シリーズ 疫病と人間」で、山極寿一・京都大学長が「親しい人とのだんらんと、好奇心を満たす出会い」こそ人間の最大の幸福であり、移動を制限される事態は「まさに人間の根源的な欲求を押しつぶす」と困惑げに指摘したのが胸にしみる。
 そこでどうするか? 人と人との大切なつながりの確保には、代替手段があるのかもしれない。一気に流行化した「オンライン○○」だ。しかし、移動自体はどうなのか。旅の不可欠の定義は「現地で、直接に」だ。「ここではない、どこかへ」だ。まさに、ここに居たままの「オンライン○○」とは正反対のものだ。
 必要な資源が不足した時、代替物を見つけてきたのが人類だ。読書は旅に似たところがあるが、どこまで代替できるか。博物館や美術館、あるいはわれらが新聞は?
 「憎悪に発展する可能性のある不安の9割は、見知らぬ事柄に対する無知、つまりは、故郷以外の世界を知らない経験不足が原因だと私は確信している」とアンデションは語る。特に、分断ばかりが目立つ今の時代、自身の境遇への満足と、他人への寛容を生む旅の効用は計り知れない。
 異文化と異文化が出合い、世界を前に進めてきた旅の危機。旅の「不要不急」扱いはいつまで続くのだ。半年か、もっとか?【伊藤和史】