特集ワイド この国はどこへ コロナ禍に思う
  安倍首相の差配、ピント外れ   

                       元鳥取県知事・片山善博さん
 

                            
毎日新聞 2020年4月14日 東京夕刊

 「ついに」なのか、「やっと」と言うべきか。新型コロナウイルス感染拡大に伴い「緊急事態宣言」が7日、発令された。「遅いですよ。都道府県が法的な手段をとれるようもっと早く出すべきだった」。鳥取県知事時代に災害対策の陣頭指揮を執った早稲田大教授の片山善博さん(68)は、いら立ちを隠さない。
 3月にさいたま市で開かれた格闘技団体「K―1」のイベント。集団感染を懸念した埼玉県知事は会場に出向いて自粛を求めたが、主催者は予定通り実施した。「知事はすごすごと帰るしかなかったが、法的な裏付けがあれば堂々と中止を求められた」と歯がゆさを語る。
 安倍晋三首相がこだわったのが、緊急事態宣言とセットで打ち出した経済対策だ。108兆円に上る規模を「史上最大」「世界的にも最大級」と誇った。
 「かつてない規模だと胸を張ることに何の意味があるのか。規模の大きさでウイルスを封じ込められるのでしょうか。情けないほどピントがずれています。今やるべきは経済対策ではなく、ウイルス対策と生活や雇用などのセーフティーネットづくり。まずは一日も早く終息させ、国民の命や健康を守るべきです」。それには人の動きをできるだけ止めること、PCR検査(遺伝子検査)の徹底や医療崩壊の阻止、有効な薬を見つけて投与できるように手立てを講じることが必要だと考える。
 政府は緊急事態宣言を出した後、休業要請先を限定し、理髪店などを除外した。「与党と関係の深い業界の声を優先させるなどという考えは捨て、割り切ることが難局を乗り切る早道。終息までの間に経済は落ち込む。でも平時に戻れば、必ず景気は回復するし、必要なら景気対策を打つ。経済についてはそのメッセージさえあればいい。観光クーポン配布などは今のところまだ先の話。パフォーマンスばかり目立ち、ピントがずれています」
 7日夜に記者会見した安倍首相は、ホテルチェーンの社長に軽症者を受け入れるよう自ら依頼したと胸を張った。「首相がやることと、都道府県がやることの区別がついていない。ホテルを借り上げる契約は都の仕事。国は、都道府県が軽症者の取り扱いを柔軟にできるよう制度を改正しておくべきだった」
 これまでは感染症法に基づき、陽性になった人は無症状や軽症でも入院させなければならなかった。そのため、ベッドを軽症者が占め、重症者が入院できない事態が懸念された。4月に入ると感染者が急増し、厚生労働省は軽症者をホテルや自宅などで療養させることを検討するよう都道府県に通知した。後手に回った政府対応に「泥縄でしかない」とため息をつく。
 なぜ、積極的にPCR検査をしなかったのか。片山さんは感染症法の観点から答えを探る。「検査を増やして感染者が増えれば、入院患者が増えてベッドが埋まる。だから重症者を見つけることが主眼だと強調し、軽症者の検査を抑えたのではないか。であればこそ、軽症者を病院以外の施設に入れられるように制度を早い段階で柔軟にしておくべきだった」
 片山さんは、収入半減世帯に30万円を給付する対策などは「場当たり的」で不安除去につながらないと考える。全世帯に2枚配る布マスクについては「苦笑せざるを得ません」と言う。布マスクを思い付いたのはなぜか。片山さんが注目するのが、安倍首相が「3月は月6億枚以上、供給を確保します」と宣言した2月29日の記者会見だ。「おそらく6億枚を確保できなかったのでしょう。世帯に2枚配れば納得してくれると考えたのかもしれない」と推察する。
 危機にひんした時、政権の本質があぶり出される。「これまでもいいかげんな説明を重ねてきました。五輪招致の際に東京電力福島第1原発の汚染水はアンダーコントロールだと言ったり、森友・加計学園問題を巡る不可解な釈明だったり。これまでは国民は時間がたてば忘れてくれたのかもしれませんが、マスクは今も最大級の関心事。いいかげんなことをきっぱり言うという手法が、今回ばかりは通用しなかった」

 鳥取県西部地震が発生した2000年、同県知事だった片山さんは全国で初めて住宅再建のため個人に公的補助を行った。「国は、県のお金であっても公金を個人の資産形成に投じることは認められないと、圧力をかけてきました。でも、家を建て直す気力も資力もない人たちは地元を出るしかない。公共事業で道路や橋を直しても、住民がいなければ意味がない。第一に考えるのは、地域での安定した生活です」
 それは新型コロナが広がる今の局面にも当てはまる。「セーフティーネット構築が必要なのは、日本社会を守るため。感染が収まるまではまともに事業が続けられず、生活を維持できない。国民がへこたれてしまうから、政府による生活再建策が必要なのです」。手当てをすべきは、社会保障の網からこぼれ落ちてしまう人々だ。「これは政権があまり関心を寄せてこなかった分野で、いわば土地勘がない。だから的確な手を打てず、どうしても経済対策が優先されてしまう」
 今こそ周囲の英知を結集する時。しかし、長期政権のひずみはここにも表れている。「各省には専門家がいるのに、意見が集まってきていないように見える。異論があっても、進言すればしかられる。物言えば唇寒し秋の風。官邸から指示されたことだけやればいい。霞が関はそんな組織になってしまった」。政権の周りがそんたくや保身を考える役人ばかりになれば、霞が関が機能するはずもない。

 片山さんは鳥取県知事を2期務め、菅直人内閣では総務相に就いた。在任中の11年、東日本大震災に直面。菅元首相は福島第1原発事故発生の翌日、混乱する現場にヘリコプターで訪れ、批判を浴びた。「原発事故は放射能との闘いだった。菅さんはそのオペレーションの総指揮官として全体像を把握し、組織をフル稼働させるという自らの立場を必ずしも十分に認識していなかったようだ」。それは今の安倍首相にも当てはまる。「危機に遭遇した時の2人はよく似ている。安倍首相も率先して目立つことばかりしているようです。学校の一斉休校要請にしても、ホテルチェーンへの軽症者受け入れの依頼にしても」
 危機に対応するリーダーには、何が求められるのか。「大所帯を切り盛りして、要所を見極め、広く目配りができる能力です。組織管理能力がある人をトップに選ぶという視点がとても重要」。先の見えない国難にあり、その言葉は重く響く。

 「安倍政権がこのような体質になったのも、野党を頼りなくしたのも、選挙で1票を入れた国民の責任です。民主主義とは、自業自得の仕組み。国民が選んだ結果、報いがくるわけです」。そのメッセージは、私たち一人一人に向けられている。【鈴木梢】

 ■人物略歴

片山善博(かたやま・よしひろ)さん
1951年生まれ。旧自治省を経て鳥取県知事2期。旧民主党政権で総務相を務め、慶応大教授を経て2017年から早稲田大教授。