連載 原発のたたみかた 6 大学の研究先細り 学科、イメージ悪化で改名
                                            毎日新聞2020年3月26日
  






原子炉のリスク評価などを研究する牟田仁・東京都市大准教授(右奥)の研究室
=東京都世田谷区で(牟田氏提供)

 原子力に関連する大学や企業では近年、人材の育成や確保が難しくなってきている。大学で学ぶ場が縮小し、東京電力福島第1原発事故後は原子力関係の学部へ入学する学生も増えていないという。原発の廃炉作業は30~50年の長丁場。関連企業は人材を投入し続けられるか、危機感を募らせている。【斎藤有香】


 ●一時、脚光浴びたが3月に運転再開した日本原子力研究開発機構の試験研究炉「原子炉安全性研究炉」。
原発事故時の核燃料の破損に関する実験ができる=茨城県東海村で(同機構提供)

 第二次世界大戦後、大学の学部で原子力関係の教育が始まったのは、1950年代後半のことだ。58年の京都大の原子核工学科を皮切りに、国立大を中心に「原子核」「原子力」などの名を冠した関係学科が設置された。しかし、79年に米国のスリーマイル島で、86年には旧ソ連のチェルノブイリで原発事故があり、こうした学科の名称は「量子」「環境エネルギー」などと原子力が伏せられるようになった。
 岡本孝司・東京大教授(原子力工学)は「放射線治療など、多方面に原子力が活用され始めたことも名前が変わった要因だが、原発事故の影響でイメージが悪くなり、『原子力』では学生を確保できない懸念があったのでは」と話す。
 ところが、2000年代になって状況が変わってくる。米国では、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出を抑えようと、原発が温暖化対策として見直され、再び脚光を浴びるようになった。こうした機運が「原子力ルネサンス」として日本でも広まり、各大学が再び原子力関連の学科を設置し、学生数を増やそうとした。その流れを止めたのが、11年3月の福島第1原発事故だ。

 ●事故後入学者1割減
 文部科学省によると、原子力関連学科の入学者数は10年度で317人。それが、事故後は募集定員が減らされ、12年度に約1割減って269人となり、その後は横ばい傾向が続くという。さらに、教育環境が悪くなり、質の低下も懸念されている。79年には平均して23科目あった原子力関係の学部の科目数は、19年になると14科目に減っていた。
 学生たちの実習の場も先細りしている。実習に使われる試験研究炉は95年に20施設が稼働していた。ただ、現在は多くが建設から40年以上がたって廃炉になったり、原発の新規制基準の審査を受けたりして、使用できる炉が減少。運転できる研究炉は、今年3月に運転再開した日本原子力研究開発機構の原子炉安全性研究炉(茨城県)など4施設にとどまる。
 そんな中、08年に原子力安全工学科を設置した東京都市大では、福島第1原発事故を機にリスク工学や廃炉の専門家を教員として招いたこともあり、落ち込んだ入学者が徐々に増えてきている。
 牟田(むた)仁准教授(原子力安全工学)は「目的意識が高い学生が増えた」という。牟田准教授の研究室に所属する同大3年の畠中陸さん(22)は「原子力のリスクについて知りたいと思い、この学科を選んだ。親から『これから福島第1原発の廃炉で人手が必要になる』と後押しされたこともあった」と話す。

 ●人材確保に企業苦心
 人手不足を背景に、就職活動で学生に有利な「売り手市場」が続く中、原子力関連の企業は人材の確保に苦心している。
 日本原子力産業協会は各地で企業説明会などを開き、原子力産業界の人材確保を支援している。原子力関連の企業の参加数は、福島第1原発事故後の12年度が最も少なく34社だったが、その後は増加。19年度は81社で過去最多となった。
 だが、学生の参加数は減少傾向だという。今年2月初旬、東京都内で開かれた合同説明会に参加した学生は140人。18年度の213人と比べ3割以上減り、06年度に開催を始めてから過去最低となった。同協会の喜多智彦・人材育成部長は「新型コロナウイルスの影響などもあるが、原子力産業に関心を持つ学生が少なくなってきているのでは」と危機感を抱く。
 九州電力玄海原発2号機(佐賀県)など各地の原発では廃炉が相次ぎ、更地にするまで30~50年かかるとされている。福島第1原発も「廃止措置終了」は11年12月から30~40年としている。廃炉作業では、原子力の専門家だけでなく、電気や機械系を学んだ学生も求められているという。喜多部長は「原子力工学の分野以外の学生確保も重要だ。ただ、人材採用のニーズは高まり売り手市場の今、原子力を選ぶ学生が減っているとも考えられる」と打ち明ける。
 東大の岡本教授は、人材確保のためには総合的な観点での人材育成がカギになるとみている。「30年以上続く廃炉作業の『メインプレーヤー』は今の高校生、大学生になる。原子力だけでなく土木、機械、化学など、多分野で人材を育てていく必要がある」=つづく(原則、毎月第4木曜日掲載)

大学の原子力関係学科の変遷
 当初(年は設置時期) 現在(年は改組・改称の時期)

北海道大  1967年      2005年
      原子工学科      機械知能工学科
東北大    62年        04年
     原子核工学科     機械知能・航空工学科
                /量子サイエンスコース
東京大    60年        00年
     原子力工学科     システム創成学科
名古屋大   66年        17年
     原子核工学科     エネルギー理工学科
京都大    58年        94年
     原子核工学科     物理工学科
大阪大    62年        06年
     原子力工学科     環境・エネルギー工学科
神戸大    72年        08年
     原子動力学科     マリンエンジニアリング
   (当時は神戸商船大) 学科
九州大    67年        98年
     応用原子核工学科   エネルギー科学科
東京都市大  08年
     原子力安全工学科   (変わらず)
    (当時は武蔵工業大)
東海大    71年
     原子力工学科     (01年に募集停止)
       06年        10年
     エネルギー工学科   原子力工学科
福井工業大  05年
     原子力技術応用工学科 (変わらず)
近畿大    61年
     原子炉工学科     (02年に募集停止)
 ※文部科学省の資料を基に作成