はじめに  連帯・友愛・絆の意味を考える

    ―映画「ボタ山の絵日記」から見えてくるもの


 筆者もかかわっている「働く文化ネット」というNPO法人が、このほど「日本の労働映画百選」の選定を行い発表した。明治以降今日まで、日本で撮影された映画のうち「労働者の仕事や暮らしの実態を直接の描写対象とするもの、労働者の仕事とくらしの維持・改善をめざす運動や取り組みを描くもの」を労働映画と定義し、該当する映画1281本の目録を作成するとともに、代表作100本を「日本の労働映画百選」として選んだのである。
 百選に選ばれた映画の1本に今から60年ほど前、筆者が小学生時代だった1957(昭和32)年に撮られた「ボタ山の絵日記」という39分のドキュメンタリー映画がある。これは九州北部の炭鉱地域の小学校長期欠席児童の生活と労働、彼らを学校に復帰させるために力を注ぐ教職員、地域の人々の活動の記録である。

小中学校の教科書無償化は1964年から順次始まり完全実施されたのは69年だった。それ以前は、貧しさゆえに教科書が買えず学校に通えない子どもたちが全国で100万人を超え、全国的に深刻な問題だった。特に北九州の産炭地では長期欠席児童が多かったのである。

「ザリガニ」のシーンに子どもたちの労働と生活、連帯が見える
 映画の中に、下はまだ3歳ぐらいの小さな子どもから上は高学年の学校に通えない10人の子どもたちが、そろって沼地にザリガニを獲りに行き、獲ったザリガニを分配する5分ほどのシーンが出てくる。
「魚が買えないのでザリガニを食べます。これを蒸して塩を振って食べるのです」というナレーションとともに子どもたちがそれぞれ泥んこになって楽しそうに笑顔でザリガニを獲る姿が映される。獲れたザリガニは86匹、それぞれの家の人の数は全部で28人、地面に86÷28の計算式が書かれ、答えは3あまり2と計算していく。
 「やはり大きい子がたくさん獲りました。けれども分けるときは公平に分けるのです」。一番たくさん獲った徹夫君は「お父さんと2人で6匹」、1匹も取れなかった三歳の広ちゃんは5人家族なので「15匹もらいました」と順次家族数に応じて分配されていく。みんなが家路につきかけたその時、最後にあまった2匹を徹夫君が広ちゃんのバケツに入れてやるのだった。
「学校に行けなくなった子どもたちがみんな浮浪児や乞食になるわけではありません。子どもたちは社会人としての道徳を守っております。その点私たちはもっと子どもの人格を尊重していいのではないでしょうか。貧乏人を軽蔑する大人の考え方が子どもを悪くしているのです」というナレーションが胸に響く。
わずか5分の映像の中に、ザリガニを獲る子どもたちのはたらき、遊び、生活が分かちがたく渾然一体となっていること、10人の子どもたちに育まれている信頼し合う豊かな人間関係が伝わってくる。何よりも、誰が教えたわけでもない「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」という連帯の原型が見えるのである。
 
 果たしてこれが「公平」なのだろうか―若者たちの反応
 最近、講演する機会があるたびにこの「ザリガニ」の映画を上映して、参加者の感想を聞いてみることにしている。すると、「う~ん、美しいねぇ。でも、一番たくさん獲った徹夫君がたった6匹で、1匹も獲っていなかった広ちゃんが15匹とあまりの2匹で17匹貰うって、何かおかしくない? かえってこれ不公平だよ」。これが、見終わった幾人かの若者の反応である。
 考えてみれば、20~40歳ぐらいの若者は、いわゆる失われた20年に生まれ育ってきた世代である。学校でも職場でも自己責任論や能力成果主義が覆い尽くした時代を過ごしてきた。だからといって、そうした若者に助け合い、相互扶助、連帯の心が全く育っていないわけではない。この映像を「美しい」と感じているのだから。けれども、能力に差がある以上、結果についてもある程度の差があって当然で、この場合、徹夫君はもう少し多く受け取るのが公平だというのだ。

価値観の転換をもたらした日経連の「新時代の日本的経営」―人間関係の分断と連帯の喪失
 1995年、日経連(現在の経団連)は、雇用を長期蓄積能力活用型・高度専門能力活用型・雇用柔軟型の3グループに分けるという「新時代の日本的経営」を発表する。それは、できるかぎり常用雇用から有期・派遣労働にシフトさせて、株主利益を最大化させるという方針であり、一言でいえば「企業は雇用に責任を持たない」という宣言に等しかった。事実それ以降、労働に関わる法制度は次々と緩和され、労働の現場で強調され出したのが「能力・成果主義賃金」であった。今日では否定的に語られることが多い「年功序列型賃金」だが、そもそも日本の企業は昔から能力や成果に応じて労働者を処遇してきたのであり、硬直的な年功賃金を採用してきたわけではない。同期で入社しても、10年、20年と経つにつれて能力や実績に差が生じてくる。そうした誰が見ても明らかな能力差に応じて人事処遇をはかり、それぞれの能力に応じた仕事を割り振ることで職場内の秩序と働く者どうしの協力関係を保ってきたのであった。
 能力成果主義の過度の強調は、これまでの職場の秩序と協力関係、人間関係を希薄にさせてしまった。隣にいる同僚が競争相手に変化してしまったからである。たとえていえば、椅子取りゲームだ。椅子に座れなかった一人がまず職場から排除される。するとまたつぎのゲームが始まる。そして、社会的弱者から順に次々と職場から排除される姿を想像すればいい。残った労働者は排除されまいと、増々長時間労働を余儀なくされていく。そのことによって働くものどうしが分断され、労動現場の荒廃がすすんだのであった。今では、自分が孤立してしまっていると感じることさえ、「自己責任」だと自分を責めることが普通になってしまったように思えるのだ。人間関係の分断と孤立、連帯の喪失が日本社会に蔓延するきっかけを作ったという意味で、日経連の「新時代の日本的経営」は実に罪深い。

 連帯とは結構やっかいで煩わしい
 ところで、協同組合や労働組合のテキストには「困ったときはお互いさま」「支え合い・助け合い」「連帯・友愛・絆」の言葉が並んでいる。きれいに聞こえる言葉だが、その実践となるとこれがかなり難しい。
そもそも2人以上いないと、支え合い・連帯は生じない。けれど、支え合う人はいつも仲が良い時ばかりとは限らない。煩わしく思うときもあれば、対立したり時に喧嘩することもある。「1人は自由、気楽でいい、でも1人は寂しい。2人でいると楽しい、でも煩わしい時がある」。人間社会は結構やっかいで煩わしい。たとえて言えば、近所づきあいを考えてみればいい。「うっかりお米と味噌を切らせたのでお隣さんちょっと貸して」ということは、さすがに最近はなくなったが、「実家からリンゴを送ってきたのでお裾分け」なら今でもあるだろう。「新鮮なリンゴを有難う」とはいうものの、あとのお返しを考えると「煩わしいなあ。その点、コンビニは便利だ、米もリンゴも売っている、何より煩わしくない」。でも決定的に違うことがある。コンビニは10円足りなくても売ってくれないし助けてくれない。コンビニが悪いと言っているのではない、お金を媒介にする場合には限界があると言っているのだ。
 「連帯」は2人以上の人が共同して責任を引き受けることを意味している。「絆(きずな)」は家族や友人など、人とひとを離れがたくしている結びつきのことをいうが、絆は「ほだし」とも読み、馬の足をつなぎとめる縄、刑具として用いる手枷足枷が語源である。転じて、人の心や行動の自由を縛るものという意味でもある。連帯することと自由を縛ることとは、実は表裏の関係にあるといえよう。
 結局のところ「人間が生きていく」ということは、他人との関係で多少の煩わしさも受け入れ、お互いの違いを認め合って、少しずつみんなが折り合いをつけながら生きていくことに他ならない。それが連帯・友愛・絆の意味だと思うのだ。

 人間の関係性を作り直す―連帯の回復
 連帯することを見失いがちな現代に生きる我々は、あるいは、鵜匠に操られる鵜の姿に似ているのかも知れない。本来、鵜は群れで行動する。採餌の時には隊列を組んで動くので、相互扶助が働きやすい。鵜匠が12羽の鵜を個別に操るとき、それぞれの鵜はもともとの関係性を分断され、相互扶助の原理が働かなくなってしまう。
 この四半世紀の間に急速に色あせてしまった人間どうしの関係性を作り直すところから始めない限り、連帯の回復は難しいのではなかろうか。子どもたちの生活、遊び、豊かな関係性、ザリガニ獲りの労働と分配のありようをとらえたわずか5分の映像から、考えさせられることは多い。

 本書は江戸時代から今日までの日本の協同組合(消費生活協同組合、労働金庫、こくみん共済コープcoop《全労済》)と労働組合の関係性を、具体的なエピソードを交えて綴ったものである。第Ⅰ部は、労働者福祉中央協議会(中央労福協)が毎月発行しているニュースレターに連載した5年間のコラムがベースになっている。毎号1000字ほどの短文でそれぞれテーマが異なるので、関心のある項目から読んでいただいて構わない。第Ⅱ部は、それを通史的にまとめたものになっている。そのため、少し重複するところはあるが、歴史的に概観する場合にはあわせて参考にしていただきたい。第Ⅲ部は、労働運動と労働者自主福祉運動の未来に向かって若干の問題提起となっている。
 歴史を辿れば、協同組合と労働組合は車の両輪、コインの表裏の関係として始まっているのが分かる。明治時代に労働運動が台頭し始めて以来、労働組合と協同組合の協力関係は常に濃密で、戦後の労働組合も生協や労働金庫や全労済を「わが事」としてとらえていたのであった。ところが、近年その関係が変化をきたすようになっている。生協や労働金庫、全労済の事業が成長し発展するにつれて、労働組合との関係があたかも「業者」と「お客さま」のように変化してきたといえようか。
「歴史を忘れた民族は滅ぶ」という格言がある。これは、過去5000年の世界の文明を、それぞれ発生・成長・衰退・解体の過程を詳細に分析したイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーの膨大な歴史書から導き出した結論だという。しかしこれは、民族・文明に限らず、あらゆる組織や団体にも当てはまる警句であると思う。

 本書が、協同組合や労働運動に関わる方々の、自らの拠って立つ存在基盤を再確認するうえでの一助になれば幸いである。


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