(社説)被爆74年の危機 核廃絶の道を開く想像力を    朝日新聞2019

 広島に原爆が落とされた日から、きのうで74年を迎えた。
 核をめぐり、国際社会にはいま、荒涼たる風景が広がる。数年前までの「核なき世界」への希望が後退し、核大国は再び、軍拡に転じようとしている。
 核を「使える兵器」にする。そんな言葉さえ政治指導者から発せられる。まるで、74年前に被爆者たちが浴びた熱線も、広がる業火も知らぬかのように。
 核戦争は例外なく非人道的な殺害と破壊行為で、決して許されない。そう断じ、核兵器を禁じる条約をつくりあげた国際世論との溝は広がるばかりだ。

 ■高まる核のリスク
 「2020年、朝鮮半島の偶発軍事衝突が、北朝鮮による核攻撃に拡大する」。そんな小説が昨夏、米国で出版された。トランプ大統領のツイッターが意図せぬ反応を呼ぶ。米国も北朝鮮も誤算を重ね、働くはずの安全弁が外れていく――。その想定を、絵空事とばかりいえない現実の世界がある。
 「核兵器が存在し、抑止論に頼り続ける限り、いつか使われるのは必至だ」。著者のジェフリー・ルイス博士は言う。米ミドルベリー国際大学院の教授で、北朝鮮問題にも精通する軍縮の専門家だ。
 国連軍縮研究所のドゥワン所長は今春、「核兵器が使われるリスクは、第2次世界大戦後で最も高い」と警告した。
 その大きな理由は、米国とロシア、中国の競合の激化だ。とりわけ米ロは、世界の核兵器のうち9割、計1万2千発以上を今も保有している。
 核不拡散条約で核保有の権利を認められてはいるものの、引き換えに果たすべき義務である核軍縮に背を向け、いまでは逆行するふるまいが目立つ。
 冷戦終結を導く象徴だった中距離核戦力(INF)全廃条約は今月、白紙に戻された。トランプ政権は戦力の更新に力を入れ、「より使いやすい核兵器」の開発に乗り出している。

 ■核禁条約をめぐる溝

 これにロシアは対抗姿勢を打ち出したほか、台頭する中国も新型ミサイルなどの開発に突き進む。競争の舞台はサイバーや宇宙空間にも広がり、兵器システムは複雑さを増している。
 こうした大国のエゴによる核軍拡は、紛争だけでなく、システムの誤作動や誤認による核戦争の危うさも高めている。
 核が新たに広がった地域についての懸念も深い。互いに核を持つインドとパキスタンは今年、戦火を交わし、中東では、イランの核開発を制限してきた多国間合意が揺らいでいる。
 進まぬ軍縮と、核リスクの拡大を座視することはできない。その共通の危機意識から多くのNGOや非核国が実現させたのが、核兵器禁止条約である。2年前に国連本部で122カ国が賛成して採択された条約に、核大国は反対している。核抑止にもとづく安全保障の現実を理由に掲げるが、その後も現実を正すどころか、悪化させているのが核軍拡だろう。
 理解に苦しむのは、戦争被爆国・日本の政府が条約の採択時に参加せず、いまなお否定的な態度を続けていることだ。国際世論と連帯する日本の被爆者たちの思いと、政府の行動との間には深い断層がある。
 冒頭のルイス博士が核戦争について執筆した動機は、14年から毎夏、広島を訪れたことだ。「より多くの人が被爆者の声に耳を傾ける」方法として、近未来のシナリオを編み出した。
 広島の小倉桂子さん(82)は6月、欧州連合首脳会議のトゥスク常任議長がやってきた時、自らの体験を語った。議長は、世界の首脳は被爆地を訪れ、自分で見聞すべきだ、と応じた。

 ■被爆者の視点に立つ

 長年に及ぶ被爆者の声は、核禁条約の礎となり、今後の国際世論づくりでも期待される。ただ、あの日を知る人々が少なくなる今、記憶をつなぐには、新たな世代が過去から学ぶ想像力がいっそう必要となる。
 この春、本館がリニューアルした広島平和記念資料館が、ひとつの道を示している。
 原爆の惨状を示す実物を通じ、被爆者や遺族の視点から一人ひとりの苦しみ、悲しみを伝える構成だ。被爆者たちが自ら目にした光景を描いた「原爆の絵」を、国内外から訪れた人々が食い入るように見つめる。被爆者とやり取りし、なり代わるように絵を描きあげる若者たちもいる。広島市立基町(もとまち)高校で美術を学ぶ生徒たちが、12年前から取り組んでいる。
 3年生の門脇友春さんは、14歳で入市被爆した女性から何度も話を聞き、情景の心象にたどりついた。道路に横たわる焼けた遺体の数々……。「絵には言葉の壁もありません。想像していくことから始まり、見た人が能動的に考えるようになる」
 核兵器が使われたら、身の回りはどうなるのか。被爆者の苦しみを想像し、自分に当てはめてみる。そうした市民一人ひとりの営みこそが、核を使わせず廃絶へと向かう武器となる。
 その決意を新たにしたい。

 ヒロシマ74年 核廃絶へ発信強めよう       中国新聞 2019月6

 本館の展示が春に一新された原爆資料館には連日、国内外から多くの見学者が訪れている。遺品の一つ一つをじっくり見てもらうことで感性に訴えかける狙いがうまくいっているようだ。真夏の日差しの中、資料館や周辺を歩きながら、原爆がいかに非人道的か、被爆地の訴えを改めてしっかり心に刻みたい。資料館のある平和記念公園や原爆ドームなど平和の発信拠点づくりを支えた法律がある。きょう6日で施行から70年を迎えた広島平和記念都市建設法である。
 この法律により都市基盤の整備が大きく進んだ。平和関連施設の整備費の3分の2を国から特別に補助してもらい、34ヘクタールを超す国有地が無償譲与された。
 わずか7条の短い法律だが、復興を後押しした恩恵は忘れがたい。同時に、この法律が掲げた崇高とも言える理念を忘れるわけにはいくまい。広島市を「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴」と位置付け、市長は「不断の活動をしなければならない」と定めている。
 新たな使命は私たち広島市民にも課せられている。衆院議長だった幣原喜重郎のメッセージが施行日の本紙に載っている。「市民各位も平和都市建設に全国民否全世界の期待のあることを自覚の上、世界平和と人類文化に寄与せられるよう達成にまい進されんことを切望する」
 幣原は首相として平和憲法の制定に深く関わった。広島や長崎に落とされた原爆について考え抜いた答えが戦争放棄だったに違いない。「原爆ができた以上、世界の事情は根本的に変わった。次の戦争では交戦国の大小都市がことごとく灰燼(かいじん)に帰すだろう」とも述べている。
 核戦争の勃発は70年前の杞憂(きゆう)だったと笑えるだろうか。取り越し苦労だと言えないのが現実である。とすれば、被爆地の役割は変わってはいないはずだ。
 米国やロシア、中国をはじめ核保有国の軍拡の動きは目に余る。米ロは史上初めて特定分野の核兵器全廃を定めた中距離核戦力(INF)廃棄条約を失効させた。新戦略兵器削減条約(新START)が残るものの、2021年2月に期限を迎える。万一延長されなければ、両国間の核軍縮条約は全て消滅する。核軍拡への歯止めがなくなってしまうのだ。
 米ロは小型核兵器も開発しているとされる。米国は実戦使用を想定した作戦の新指針までまとめている。言語道断である。核兵器をなくして平和な世界を願う国際社会の動きに逆行している。
 核兵器については、威嚇や使用はもちろん、保有も国際法違反とする核兵器禁止条約が2年前に採択された。おととしノーベル平和賞を受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN=アイキャン)」をはじめ市民社会と、非保有国の努力の成果と言えよう。広島、長崎の被爆者の貢献も大きい。
 その願いを結実させた条約は、発効に必要な批准国数の50の半分近くにまで迫っている。時間はかかるかもしれない。それでも、これまではタブー視されていた核兵器の使用を法的に禁止することが現実となりつつある。
 核兵器と人類は共存できないと訴えてきた被爆地の声が世界に届いているのは間違いあるまい。耳をふさいでいるのは「力による平和」を信奉する保有国と、日本をはじめ追随する国々の一部の政治家たちだけではないか。核兵器の保有・使用に固執し、国際社会の流れとの溝は深まっている。
 核廃絶へのうねりを一層強めるため、被爆地の声をさらに広める必要がある。
 来年春、5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれる。NPT第6条が核保有国に義務付けている「核軍縮への誠実な交渉」に正面から取り組むつもりがあるのか。人類全体を考える視点になぜ立てないのか。米ロ中に英国とフランスを加えた5カ国に厳しく問わねばならない。
 5カ国はいずれも国連安全保障理事会の常任国である。拒否権が認められている座にあぐらをかいて、禁止条約にも、自主的な核軍縮にも背を向け続けることは許されない。
 保有国の横暴に待ったをかけるのは、国際社会の責務だろう。今年秋に被爆地を訪れるローマ法王が、どんなメッセージを発するかに期待したい。1981年にローマ法王として初めて広島の地を踏んだヨハネ・パウロ2世は「広島を考えることは核戦争を拒否することです」と訴えた。世界に与えたインパクトは大きく、その後の要人の広島訪問の呼び水になったとも評されている。
 今の法王フランシスコは2013年の就任以来、核廃絶を繰り返し訴えてきた。禁止条約が採択されるとバチカンはいち早く批准した。原爆投下後の長崎で撮影されたとされる写真「焼き場に立つ少年」をカードに印刷して配布し、市民に訴えている。地球規模の視点に立った宗教者として責任ある行動と言えよう。
 「核兵器は使用だけでなく製造も含めて、非倫理的だということを強く訴えたい」と被爆地訪問に意欲的だという。核兵器保有について倫理面からも「NO」という意義は大きい。「核の傘」の下にいる人々への問い掛けでもある。
 核兵器がある限り、人為的ミスなどで使用される危険はゼロにはできない。核兵器をなくすしか平和な世界は実現できない。そのことを被爆地から強く発信し続けなければならない。平和都市法が広島に課した理念に沿った道でもある。

  原爆忌 凄惨な記憶の継承を着実に             読売新聞 2019月6
 
 核による惨禍を後世に語り継ぎ、軍縮の歩みを進める。唯一の被爆国として、粘り強く取り組むことが大切である。

 広島は6日、74回目の原爆忌を迎える。平和記念式典には約90か国の代表が参列する。9日は長崎原爆の日にあたる。
 被爆の資料を集める広島平和記念資料館は今春、28年ぶりに展示を刷新した。時間をかけて被爆の実相を見られるよう、動線を見直した。展示内容については、造形物より、遺品や写真などの実物に重きを置いたのが特徴だ。
原爆は都市を壊滅させた。爆風で折れ曲がった建物の鉄骨や、高熱でガラスや金属が溶けて固まった塊は、その威力を物語る。展示室には、丸焦げになった三輪車や弁当箱が並ぶ。2歳の男児の血がにじんだ下着もある。母親が「あんなにほしがった水を飲ませてやればよかった」と悔やんだことが記されている。
 日常が一瞬にして失われた。一人ひとりの人生に焦点をあて、原爆の凄惨(せいさん)な被害を浮き彫りにしている。500点以上の資料が訴えるメッセージは重い。
 被爆者の平均年齢は82歳を超える。語り部としての活動に限界を感じている人も少なくない。
 講演会場への送迎など、負担を軽減する支援を充実させる必要がある。映像や文章などによる証言の保存もさらに進めるべきだ。被爆地を訪れる外国人は年々、増えている。多言語での対応を充実させ、理解を助けることが求められる。平和への願いを世界に広く伝えることが重要である。
 半世紀前に発効した核拡散防止条約(NPT)は、米英仏中露を核保有国とし、軍縮の責務を課す。その他の国には査察などを通じて軍事転用を防いでいる。
 だが、米露の軍縮は後退している。中距離核戦力(INF)全廃条約は今月失効した。
 NPT再検討会議が来年、開かれる。運用状況の点検が目的だが、事前準備は難航している。NPT体制の維持に向け、核保有国は責任を果たさなければならない。非保有国の一部が発効を目指している核兵器禁止条約も、現実的とは言えまい。核保有国の参加が見込めない現状では、国際社会の亀裂を深めるだけだ。条約は核兵器の生産、保有、使用を禁じている。各国の安全保障環境を考慮しておらず、抑止力に与える影響が大きい。
日本は保有、非保有国の橋渡し役を務め、建設的に核軍縮を議論する環境を整えねばならない。
広島きょう「原爆の日」 困難でも「核廃絶」の道を         毎日新聞2019

 74年前のきょう、広島に原爆が投下された。多くの人命が奪われ、原爆症などの被害が今も続く。一方、被爆者の平均年齢は83歳に迫る。核による災禍の記憶を風化させない努力がますます求められる。
 広島市の原爆資料館本館が今年、28年ぶりに全面改装された。実物資料を中心とした展示に変えた。
被爆者一人一人の人生に焦点を当てた。死亡時の様子や戦後の苦労を計538点の遺品や写真を使って物語る。被害の実態をより強く訴えるのが狙いだ。肉親や本人の言葉、写真、遺品などを1カ所に集めた。見学者の想像力をかき立てる。狙いは効果を上げているようだ。
 13歳の中学生の場合は、被爆時に着ていたシャツと弁当箱が展示され、一緒に「どうしてお母さんより先に死んだの」という母親の手記が紹介されている。これが胸に迫る。
「あつい、あつい」。母親に背負われていた時、背後から熱線に焼かれ大やけどをし2歳で亡くなった男児の場合は、うめくような言葉と一緒に、笑顔を見せる乳児の頃の写真と被爆時にはいていたパンツが展示されている。
 戦争孤児や原爆小頭症の親子の歩みなどにも触れ、原爆が招く惨状を改めて浮き彫りにする。
 被爆地は国際的な取り組みにも力を注ぐ。今年の平和宣言で広島、長崎の両市は日本政府に対し、核兵器禁止条約への署名・批准を求める文言を初めて入れる。
 思いを受け止めるのは政治の役割である。国際社会はトランプ米大統領の登場以降、協調から対立の流れが止まらない。米露間の中距離核戦力(INF)全廃条約は失効し、軍拡競争の激化が懸念される。
 唯一の被爆国として日本は、困難でも核廃絶の流れを作る努力を続ける必要がある。
 原爆資料館を訪れる外国人が増えている。昨年度は入館者約150万人のうち3割近くを外国人が占めた。感想ノートには「被爆者の苦労を知り、今の自分たちがいかに幸せかが分かった」などと平和を願う言葉があふれる。
 核を使う愚かさは見学した人々に確実に届く。政府はこの輪を広げることに努めるべきだ。

  原爆忌に考える 小さな声を大きな力に           東京新聞2019

八月の広島には、海風がぴたりとやんで、暑さが一層際立つ時間が訪れます。夕凪(なぎ)です。木陰に逃れて耳を澄ませば、「小さな声」が聞こえてきます。
 広島電鉄の路面電車を降りたとたんに、豪雨のようなせみ時雨に見舞われました。
原爆ドームの横を通って元安川の橋を渡り、慰霊碑の前で両手を合わせると、以前、広島平和記念資料館の音声ガイドで聞いた吉永小百合さん迫真のあの声が、耳によみがえってくるようでした。
「熱いよ〜、熱いよ〜、おかあちゃん…」
むろん35度超の酷暑といえど、爆心地で4000度にも達したという原子爆弾の業火とは、比べるべくもないのですが。

◆全世界の人に届けと

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 資料館前の芝生広場はすでにテントで覆われて、平和記念式典の式場が整いつつありました。
「この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。ここに平和の塔の下、われらはかくの如(ごと)く平和を宣言する」
1947年8月6日。第1回平和祭(平和記念式典)。当時の浜井信三広島市長が高らかに読み上げた、最初の平和宣言です。「平和都市ヒロシマ」のいしずえを築いた人といわれる浜井さんは、復興への軌跡を記した「原爆市長」という自著で、その時の心情を語っています。
<いまここ広島の一角に発する声は小さくとも、どうか、全世界の人びとの耳にとどけと念じながら、この平和宣言を読みあげた>
浜井さんの「小さな声」は戦後初の国際放送の波に乗り、米国にも届けられました。
「広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、今、私たちは、強く平和を願います」
 去年の平和記念式典で小学生2人が読み上げた恒例の「平和への誓い」。「私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります」と結ばれました。
「小さな声」に耳を傾け、未来に向けて平和を誓う子どもたち。「原爆市長」の理想と信念は、脈々と息づいているようです。
「原爆ドームから全力疾走で55秒のところ」に住むという詩人のアーサー・ビナードさんはこの春、新作紙芝居「ちっちゃいこえ」(童心社)を7年がかりで完成させました。
被爆の実相を生々しく描いて名高い丸木位里、俊夫妻の連作絵画「原爆の図」を大胆に再構成して色彩などに工夫を加え、新しい物語に仕立て直した作品です。

◆「サイボウ」が主人公

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人体を構成するサイボウ(細胞)が、原爆の放射能にむしばまれ、息絶えるまでの物語。主人公はサイボウ、つまり命そのものです。

もしサイボウのこえが

ずっときこえていたら

ずんずんるんるん

ずずずんずんるんるんるん

きみはきっといきていけるんだ

ビナードさんは、7年かけて考えました。

「『原爆の図』は、『生命の図』だと思うんです」

サイボウたちの「ちっちゃいこえ」は、私たち人間の内なる命の声。自らを傷つけ、滅ぼしてしまう原爆の理不尽さ、戦争の愚かさを、その持ち主に日々懸命に伝えようとしています。

ね、きみのなかの

ちっちゃいこえは

きこえてる?

45年の今日、広島は快晴でした。35万都市の上空600メートルで核分裂が起きた瞬間に、直下では、あらゆる命が死に絶えました。消滅したというべきか。
爆心地の被爆体験を語れる命は、はじめから存在しない。それが「爆心の実相」です。
しかし、例えばあの原爆ドーム。“骨と皮”だけにされてしまった無残な姿を、毎日毎日観光客の自撮りのレンズにさらし、必死で何かを訴えようとしています。

◆被爆の歴史を語る街

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夕凪の街で耳を澄ませば、比治山の背後の入道雲が、せみ時雨が、八月の太陽が、山川草木に宿る命の一つ一つが、石が、瓦礫(がれき)が、コンクリートが、「ちっちゃいこえ」で語りかけてくるはずです。

世界中のだれもが、二度と過ちを繰り返してはならないと。

私たちはヒロシマ、そしてナガサキで「ちっちゃいこえ」を拾い集めて、大きな声で伝えなければなりません。この世界から核兵器が消えてなくなる、その日まで。

 原爆の日 脅威見据え平和を守ろう            産経新聞 2019

 令和となって初の原爆の日を迎えた。戦争があった昭和の時代が遠くなっても、犠牲者を追悼し続けたい。
 原爆によりおびただしい人々が犠牲になった。9日には長崎も原爆の日を迎える。体験を語り継ぎ、平和への願いを胸に刻みたい。
平和を守るには、現実の脅威を見据えた対応が欠かせない。この日はそのことを再確認する日でもあるべきではないか。
広島市の松井一実市長が平和宣言を発表する。前もって発表された骨子によると、政府に核兵器禁止条約への署名、批准を求める文言が盛り込まれる。
核兵器を違法化する同条約は2年前、核保有国が参加しないまま国連で採択された。現実性のある条約とはいえない。
核兵器による反撃が抑止力となって、核兵器の使用を踏みとどまらせているのが現実だ。好むと好まざるとにかかわらず、日本を守っているのも米国による核の傘である。日本が条約に署名することは核の傘を否定することであり、自国の平和を危うくする。

核兵器廃絶の思いは尊い。しかし、その思いを唱えるだけでは平和は守れない。
敗戦と唯一の戦争被爆国という体験の反動として、戦後の日本では空想的平和論が声高に語られることになったが、平和に何が必要かを見誤ってはならない。
原爆の惨禍を体験した国だからこそ、二度と国民をそのような目に遭わせないという強い決意のもとで、抑止力を高める具体的方策を講じなければなるまい。
北朝鮮は日本全域を射程に収める弾道ミサイルと、核兵器を手放そうとしていない。日本の大きな脅威である。日本は自らの防衛問題として真剣にこの脅威と向き合わなければならない。
米国とロシアの中距離核戦力(INF)全廃条約は失効した。米国はアジア太平洋地域に地上発射型の中距離ミサイルを配備したい意向を示している。日本が置かれる安全保障環境は刻々と変わっている。理想論ではなく現実に即した議論をなす必要がある。
折しもトランプ大統領は日米同盟の不公平さを訴えている。日本は自主的に自国を守る能力を強化し、積極的に世界の平和にも貢献すべきである。原爆の犠牲者への鎮魂の念とともに、その思いを新たにしたい。