(社説)天安門事件30年 中国の弾圧強化を憂慮する
                         2019年6月5日       読売新聞 

  人権や言論の自由を巡る状況は、著しく後退した。強権的な監視国家へと変貌へんぼうしつつある中国の現状を深く憂慮する。中国の共産党政権が、民主化を求めた学生らを鎮圧し、多数の死傷者を出した天安門事件から、4日で30年となった。共産党は民主化運動を「反革命暴乱」と断じ、武力による弾圧を正当化した。党はその後、一党支配体制の強化による安定と経済成長を最優先し、民主化に背を向けてきた。事件に関する情報は隠滅され、事件自体を知らない若者も少なくない。真相が解明されぬまま、風化が進んでいるのは遺憾である。
 看過できないのは、習近平政権が反体制派や少数民族への締め付けを加速していることだ。
 人権派弁護士や活動家が大量に拘束され、不当な長期拘留が続く。事件の再評価を昨年求めた大学教授は停職処分となった。中国西部・新疆ウイグル自治区では、イスラム教を信仰する少数民族のウイグル族らが「治安維持」などの名目で、収容施設に拘束されている。米国務省は3月の報告書で、200万人以上が収容されている可能性を指摘した。中国では、ネット空間が政府の情報管理に利用され、強権統治を支えている。党や政府に批判的な言動が、人工知能(AI)や監視カメラで即時に把握され、封じ込められる。「国家の安全」を理由に正当化できる措置ではない。習氏は「一つのモデルで全ての国の問題を解決することはできない」と述べ、米欧が求める民主化を受け入れない意思を示す。中国が豊かになれば政治改革に踏み出す、という日本や欧米の見通しは甘かったと言わざるを得ない。ポンペオ米国務長官は「中国が国際システムに融合され、開かれた寛容な社会に変わるという期待は打ち砕かれた」と述べた。人権や自由などの基本的価値観すら共有できない中国が、「平和発展」を唱えても国際的な信頼は得られまい。通商や安全保障、ハイテク技術を巡る米中対立の根源には、異質な大国への不信があることを習政権は認識すべきだ。
 共産党は、国民の生活水準を向上させ、一党支配への不満を抑え込んできた。だが、これまでのような高度成長は望めない。貧富の格差が広がり、環境汚染などの社会問題も深刻化している。
 習政権は、強権的な手法をどこまで拡大し続けるのか。国際社会は問題点を粘り強く指摘し、改革を促さねばならない。

 (社説)天安門事件30年 真相究明に背向けるな
                   2019日        東京新聞
 中国が民主化デモを武力鎮圧した1989年の天安門事件から4日で30年となった。中国は事件封印に躍起だが、国際社会で信頼される真の大国を目指すなら、真相究明に背を向けてはならない。
 中国報道官は5月下旬の記者会見で、外国報道陣が事件について聞くと「政府は早々に1989年の『政治的風波』に対する評価を定めている」などと答えた。
 中国語で「風波」とは「騒ぎ」を表す。中国公式発表ですら犠牲者319人とする大事件を「風波」と言うのは、民主化弾圧との批判をかわす狙いに映る。中国は一顧だにしないが、英政府は犠牲者を3000人とも推計する。
 発生日付から「6.4」と呼ばれる事件は国内ネットで検索できず、学校でも教えられない。本紙報道によると、ある高校生が北京の中学時代の同級生に聞いたところ、事件を知っていたのはクラスで2人だけだったという。事件から30年後の中国の実情である。
 中国は、「天安門後」に生まれた若者には事件を封印し、事件を経験した世代には厳しい報道統制で批判や論評を禁じてきた。どの国にも直視したくない恥ずべき過去はあろうが、総括や反省をせず、国民や国際社会の記憶から消し去ろうとするのは、とても誠実な態度とはいえない。事件当時の学生指導者の1人で懲役13年の判決を受けた王丹氏(50)は、亡命先の米国で本紙の取材に「状況は事件当時より悪化している。悲しいが、短期的には中国の民主化が進む希望はない」と悲観的な見通しを示した。王氏は事件に先立つ89年4月に天安門広場で演説し、党や政府の指導者と子弟の資産公開や民間新聞の発行などを訴えた。学生らの運動は、政治腐敗への抗議や社会格差是正など民主化要求を核とするものであったといえる。
 だが、当局は彼らに「動乱分子」のレッテルを貼ったままだ。犠牲者遺族でつくる団体「天安門の母」は95年以来、真相究明や責任追及を求める公開書簡を出してきたが、事件再評価の動きはない。127人が名を連ねた「天安門の母」のうち、56人が鬼籍に入った。
 中国の国防相は2日、シンガポールでの会議の際の質疑応答で、軍による制圧を「正しいやり方」と正当化した。事件を封印する姿勢より強硬で開き直りにも映る。遺族らは納得できないだろう。誠実に真相究明に向き合ってほしい。
 (社説)天安門30年 弾圧の歴史は消せない
                         2019年6月4日 朝日新聞
 あの夜、いったいどれだけの血が流されたのだろうか。
1989年6月4日。中国の民主化を求めた学生らが、人民解放軍の部隊によって殺された。天安門事件から、きょうで30年の節目である。
 いまも真相は闇に包まれている。死者数を当局は319人としているが、実際ははるかに多いとの見方が根強い。
「動乱」「反革命暴乱」と当局は決めつけたが、学生らは対話要求など平和的な運動をしただけだ。遺族はそう訴え、再評価や名誉回復を求めている。共産党政権はこうした声に応えて真相解明を進め、公表すべきだ。ところが、現実にはその逆のことが行われている。国内メディアは事件について何も伝えず、ネットでの検索もできない。関連する言葉をSNSで発信するのも難しい。少なからぬ若者らは事件自体を知らないという。
 今年は建国70周年。共産党はこの間の中国の発展は自らの政策の正しさを示すと宣伝している。ならば、なぜ真実を隠すのか。天安門事件を歴史から消し去ってはならない。共産党政権はかねて強権発動の理由として「社会の安定」を挙げる。だが長期的な安定を望むなら、人々の不満や願いを抑えつけるのではなく、政治に生かす改革こそ必要だ。
 この30年間、経済は発展し、国民の暮らしは豊かになった。だが、思想や言論をめぐる環境はどれほど変わったか。
 ノーベル平和賞を受けた劉暁波(リウシアオポー)氏はおととし、政権転覆扇動の罪に問われたまま事実上の獄死を遂げた。人権派の弁護士らは長期拘束が相次ぐ。「安定」の名で異論を封じる統治は、ネット時代になってさらに徹底している。あのとき学生らが渇望した民主化は今なお押しつぶされたままだ。
 どんな体制の国であれ、国民の命と自由を奪う正当性などありえない。軍事弾圧が「正しかった」と言い続ける限り、共産党政権に正義はない。
 事件は対外的な国の姿にも色濃く尾を引いている。中国が「通商の自由」「平和発展」などを語っても不信感が拭えないのは、人権や自由という基本的な価値の共有もできない国情を事件が思いださせるからだ。
 当時、西側主要国が対中制裁を続けたなかで、日本はいち早く経済支援の再開を表明した。孤立させれば、かえって民主化が遅れてしまうと主張した。その見通しは甘かった。だが中国の改革を促す意欲は今こそ発揮すべきだ。あの事件の総括と民主化なくして、中国の真の発展はない。そう言い続ける責務を日本は果たしていきたい。
 (社説)天安門事件から30年 「異質な大国」誕生の原点
                     2019年6月4日 毎日新聞
 民主化を求めて天安門広場に集結した学生らが中国軍に弾圧され、多くの死傷者を出した1989年6月4日の天安門事件から30年を迎えた。中国は世界の第2の経済大国になったが、政治改革の兆しはなく、むしろ国民の監視を強めている。
 事件で政治改革の動きがストップした結果、民主化を伴わない大国が誕生した。中国は現在の米中対立にも、この異質さが影響していることを自覚すべきだ。
 民主化運動は開明派の指導者だった胡耀邦(こようほう)氏死去をきっかけに広がり、100万人以上が参加した。当時の趙紫陽(ちょうしよう)総書記は学生らに同情的だったが、最高指導者のトウ小平氏は戒厳令布告を指示し、弾圧に踏み切った。趙氏は事件後、解任された。
 一方で戦車の前に立ちふさがる男性の映像などが衛星放送を通じて世界に伝えられ、社会主義体制の非情さを世界に見せつけた。同年11月の「ベルリンの壁」崩壊など東欧の変革にも影響を与えたといわれる。
 中国自身の変革にはつながらなかった。トウ氏はソ連崩壊直後の92年、全面的な市場経済導入に踏み切り、国民生活を向上させることで政権の正統性を保とうとした。
 その後の中国は経済優先の実利主義で高度成長路線をひた走ってきた。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟後はグローバル化の恩恵を受け、「世界の工場」となった。しかし、高度成長が終わり、政治改革に手をつけなかったツケが回ってくる時代に入ったのではないか。
 近年、権利意識に目覚めた住民が権力者の不正や環境汚染に抗議する事件は後を絶たない。習近平政権は人権派の弁護士を拘束し、人工知能(AI)利用の監視強化で批判を封じ込めようとしている。ネットで天安門事件の情報を調べようとしてもAIが自動的に排除する実情はSF的な全体主義国家を思わせる。
 米国ではトランプ政権だけでなく、野党・民主党にも中国批判が渦巻く。価値観を共有しようとしない大国への拒否感の表れだろう。
 中国国内にも「反革命暴乱」とされた天安門事件の再評価、学生らの名誉回復を求める声は根強い。習政権がそうした声に耳を傾けない限り、「異質な大国」への国際社会の警戒感は簡単にはなくなるまい。
 (主張)天安門事件30年 終わりなき弾圧を許すな                          2019年6月4日 産経新聞

■覇権助けた対中政策に猛省を
中国の民主化を訴える学生らに対し、戒厳部隊が血の弾圧を加えた1989年6月4日の天安門事件から30年を迎えた。事件後、中国から逃れた民主活動家らを迎え、この日は海外で追悼行事が行われる。自由と民主主義を訴え、犠牲となった人々を悼みたい。最高実力者だったトウ小平氏ら中国共産党指導部は、学生らの運動を「反革命暴乱」と断罪した。今日まで共産党はこの評価を固持し、民主化に踏み出す政治改革を完全に拒んでいる。弾圧の罪を悔いない独裁政権が、世界第2の経済大国を支配する現実を改めて認識しなければならない。

≪国内外に事実の開示を≫

 天安門広場を埋めた学生らは、戦車、装甲車を擁する戒厳部隊によって駆逐された。
この過程で一体何人が犠牲となったのか。事件をめぐる基本的な事実すら30年を経て開示されていない。極めて遺憾である。当時の李鵬首相は事件の約3カ月後に犠牲者を「319人」と述べた。他方、海外での報告などは犠牲者を数千人から1万人規模とみる。事件の真相を明らかにすることこそ、異常な現状をただす最低限の一歩である。
共産党政権下の中国では、災厄を招いた大躍進運動、文化大革命の犠牲者も公表されていない。だが、国際社会で中国の存在感が高まった現在、毛沢東時代と同じ隠蔽(いんぺい)を見逃してはならない。
 党指導部がどう押さえ込もうとも、国民を銃で弾圧した罪科は免れ得ない。事件を見直し、再び政治改革に踏み出すことが、最終的に中国国民の福祉に最良の選択肢であることは疑いない。粘り強く実現を求めたい。
 習近平国家主席は、事件処理の中心にあったトウ氏の影響から離れて選出された。父が改革派長老だったことを踏まえれば、習氏が事件の見直しに正面から取り組む余地もあったのではないか。ところが、習氏は汚職排除を口実に党内の政敵粛清に力を傾注した。相次ぐ治安立法やハイテクも駆使した国内統制で終わりのない弾圧を繰り広げている。
 憲法改正による国家主席の任期制廃止は、毛沢東時代の教訓だった長期独裁への歯止めを捨て去る最悪の暴挙だった。
 当時学生リーダーだった王丹氏は、中国の人権状況が「天安門事件前と比べて、はるかに悪くなった」と述べた。正しい情勢認識であり、もはや習政権下の中国と民主や法の支配という価値観を共有できないことは明白である。トウ氏が進めた改革・開放政策に対して、日米欧は積極的な関与を取った。旧ソ連への対抗策に加え、中国が豊かになればやがて民主化するとの期待があった。

≪日本は人権で旗を振れ≫
 その期待が誤っていたことは、中国が巨大な経済、軍事力を背景に対外覇権を強め、独裁を進める今日の姿で証明済みである。
 事件の直後、日本は円借款の凍結など米欧とともに対中制裁に加わった。関与の誤りを修正する重要な機会だったが、海部俊樹内閣は円借款の再開で世界に先駆け対中制裁の解除に動いた。
 事件と同じ89年には、東欧のポーランドで自由選挙が実施され、東西分断の象徴だったベルリンの壁が崩壊した。世界で社会主義体制が終焉(しゅうえん)に向かう歴史的な転機にあって、日本は国民虐殺の責任を問うことなく中国の独裁政権の再起に手を差し伸べたのだ。
 この教訓を胸に刻み、対中政策が中国の覇権を再び助長することのないよう政府に求める。
 米国との緊張を受け、中国は対日関係の改善を急ぐ。安倍晋三首相も日中関係が「完全に正常な軌道」に戻ったとの判断だ。中国は習政権の進める巨大経済圏構想「一帯一路」に日本の参入強化を求めている。構想は中国の対外拡張戦略であり、この構想で日本が安易に関与しては事件の教訓が無に帰する。
 6月には20カ国・地域首脳会議(G20サミット)出席のため習氏が来日する。事件の惨劇から30年にあたり、日本は事件を忘れない姿勢を示すべきである。
 中国に民主化を促すことは、日本の国益にも合致するはずだ。状況悪化が伝えられる中国の人権問題で、日本が世界の先頭に立つことも重要だ。
 自由と民主主義の価値観を確認して中国に向き合いたい。