(社説)AI時代の憲法 いま論ずべきは何なのか
   AI(人工知能)が日本国憲法の前に立ちはだかる――
                           2019年5月3日       朝日新聞 

 SFの世界の話ではない。学界や経済界では、現実に起こりうる課題として真剣な議論が交わされている。一部では、もはや人ごととは言えない状況がすでに生まれつつあるといってもいい。「AIによる人間の仕分けが、差別や深刻な排除を生む可能性があります」憲法学が専門で、昨年夏、さまざまな分野の専門家とともに『AIと憲法』を出版した山本龍彦慶応大教授はそう語る。

■揺らぐ「個人の尊重」
 懸念されるのは、たとえばこんな事態だ。企業の採用や人事、金融機関の融資の審査といった場面で、さまざまな個人情報に基づいてAIが人間に点数をつける。いったんAIからだめ出しをされると、その理由の説明もないまま、否定的な評価が知らぬ間に社会で共有され、ずっとついて回る。まさに、「個人の尊重」(13条)や「法の下の平等」(14条)という日本国憲法の基本的な原理に関わる問題だ。山本氏はAI自体に否定的なわけではない。経済合理性や効率性の追求に目を奪われるのではなく、「憲法と調和的なAI社会」の実現が必要だという。「激変する社会における新しい憲法論」。経済同友会の憲法問題委員会が先月、公表した報告書の一章だ。個人の購買履歴やウェブサイトの閲覧履歴などから、その人の趣味嗜好(しこう)、健康状態までAIに予測させるプロファイリングは、個人の尊厳やプライバシーを侵害しないか。選挙において、SNSを使って有権者を特定の投票行動に心理的に誘導する手法は、国民主権の原理を根底から揺るがす危険がないか。AIやビッグデータの活用など急速に進む技術革新が、私たちの生活を豊かにする一方で、人権や民主主義を脅かしかねないと警鐘を鳴らした。

■改憲ありきのひずみ
 時代の変化に応じて、憲法が定める普遍的な原理をどのように守っていくのか。徹底した議論の先に、あるいは憲法の条文を見直した方がよいという結論に至る可能性もあろう。しかし、今の安倍政権の憲法論議は、そうした真摯(しんし)なアプローチとは全く逆の姿に見える。3月半ば、神奈川県横須賀市の防衛大学校の卒業式。訓示の終盤で安倍首相は、司法が唯一、自衛隊を違憲とした1973年の札幌地裁の「長沼ナイキ訴訟」判決を取り上げた。会場には、判決当時、防大で学んでいた卒業生もいた。「皆さんも、心ない批判にさらされたかもしれません」。首相はそう語ったうえで「自衛隊の諸君が強い誇りをもって職務をまっとうできるよう環境を整えるため、全力を尽くす決意です」と、9条改正に意欲を示した。首相は2年前のきょう、9条への自衛隊明記を打ち出し、2020年を新憲法施行の年にしたいと表明した。しかし、この改憲で自衛隊の役割や位置づけは何も変わらないという。一方で、改正が必要な根拠については時々で力点が変わっている。憲法学者の多くが自衛隊を違憲といい、教科書にも「違憲」と書かれている。自衛官の子どもが肩身の狭い思いをしている……。今年に入ってからは唐突に、自衛官募集に自治体の協力が得られないことを理由に挙げだした。
 正確な事実を踏まえず、自衛隊が国民の間にすっかり定着している現実をも無視した首相の主張は、「改憲ありき」のご都合主義にしか映らない。

■主権者こそが考える
 昨年のきょうの社説は、森友・加計問題などで国の統治の根幹がないがしろにされる中、安倍政権が「憲法改正を進める土台は崩れた」と書いた。それから1年。森友・加計問題の解明はたなざらしのうえ、国の政策立案の基礎となる統計の不正も明るみに出た。政治や行政への信頼回復は道半ばであり、土台は崩れたまま、と言わざるを得ない。憲法に照らして、いま考えなければいけないテーマは、AI以外にもさまざまある。非正規の増加などで貧困が広がる中、憲法25条が国民の権利とした「健康で文化的な最低限度の生活」をどう描くのか。人口減少が進み、外国人労働者がますます増える「多民社会」の下、外国人の基本的人権をどう守るのか。「安倍1強」が極まり、首相官邸の「下請け機関」化したとも形容される国会の機能の立て直しや、時の首相による乱用を防ぐための衆院の解散権のあり方など、統治機構をめぐる議論も活性化させたい。憲法に縛られる側の権力者が、自らの思い入れで、上から旗をふる改憲は、社会に亀裂をもたらし、憲法の価値をかえって損なう恐れもある。豊かな憲法議論は、主権者である国民が主導するものであるべきだ。

 (社説)令和の憲法記念日に、国会の復権に取り組もう

                            2019年5月3日  毎日新聞

 憲法は国の背骨と言われる。
 日本国憲法が施行から72年の時を刻み、姿を変えずに令和の時代へとたどり着いたのは、基本的によくできた憲法であるからだろう。ただし、憲法典そのものが修正なしの長寿を保っているからといって、現実の国家運営が健全だということにはならない。
 大事なのはむろん現実の姿だ。国民の代表が集う国会は、絶えず憲法について論じ、その価値体系に磨きをかける努力が求められる。安倍晋三首相が政権に復帰して6年半になる。歴代で最も改憲志向の強い首相は「改憲勢力」の拡張に執念を燃やし、選挙でそれなりに勝利してきた。それでも衆参両院の憲法審査会は停滞したままだ。

 無理を積み重ねた首相
 なぜだろうか。野党の硬直的な態度が一因であることは確かだろう。しかし、本質的な原因は物事の筋道を軽んじる首相の姿勢にあるのではないか。ちょうど2年前、安倍首相は改憲派集会向けのビデオで憲法9条への自衛隊明記案を打ち上げ、「東京五輪のある2020年に新憲法施行を」と期限まで付けた。いずれも自民党内での議論を積み上げたものではない。国会で真意をただした野党議員には「(インタビューを掲載した)読売新聞を熟読してもらいたい」と言い放った。昨秋、党総裁3選を果たすと、憲法に関わる国会や党の要職を側近で固め、与野党協調派を排除した。今年2月の党大会では、憲法が自衛隊を明記していないから自治体が自衛官募集に協力しないと、言い掛かりのようなことまで言っている。
 首相の軌跡をたどると、やはり幾つもの無理が積み重なっている。国内最強の実力組織である自衛隊を憲法上どう位置づけるべきか。その問題提起は間違っていない。ただ、日本の防衛政策は憲法9条と日米安全保障条約のセットで成り立っている。9条に自衛隊と書けば、自衛官は誇りを持てるといった情緒論に矮小(わいしょう)化すべきではない。ましてや9条改正で日本の抑止力が増すかのような右派の主張は、少子化対策と憲法に書けば人口減が止まると言っているようなものだ。だから9条の見直し議論は、日米安保体制や、不平等な日米地位協定の改定を含めてなされるべきだ。その作業を避ける限り、政権として「戦後レジームからの脱却」をうたいながら、沖縄には過酷な戦後レジームを押しつけるいびつさが続く。
 今、憲法をめぐって手当てが必要なのは、9条の問題よりもむしろ、国会の著しい機能低下だろう。その最たるものは首相権力に対する統制力の乏しさだ。
 議院内閣制にあって、国会はあらゆる政治権力の源泉である。国会の多数派が首相を選び、首相は内閣を組織して行政権を行使する。ところが、「安倍1強」が常態化してくるにつれ、内閣は生みの親に対してさほど敬意を払おうとしなくなった。親にあれこれと指図する場面さえも目立ってきた。

 貧弱なままの監視機能
 昨年の通常国会では森友学園をめぐって財務官僚による公文書改ざんが発覚した。行政府が国会を欺くという前代未聞の事態なのに、国会による真相究明はまったくの尻すぼみで終わった。首相が麻生太郎財務相を更迭することもなかった。国会の最も重要な役割は、社会一般のルールとして法律を制定することだ。多くの国民の利害にかかわるため、法案の妥当性は多方面から注意深く吟味されなければならない。それには正確な情報が要る。
 しかし昨秋、外国人労働者の受け入れ拡大に向けて政府が提出した入管法改正案は、新制度の具体的な内容をことごとく法務省令に委ねる立法府軽視の形式になっていた。憲法の基本思想は権力の分立による「抑制と均衡」だ。立法府が行政府に必要な統制力を働かせて初めて健全な憲法秩序が生まれる。平成期を通した一連の政治改革で首相権力が飛躍的に拡大したのに、国会の行政監視機能は貧弱なままに留め置かれた。ここに国政の構造的な問題があるのは明らかだろう。
 平成の目標が首相官邸機能の強化だったなら、令和の目標は国会の復権であるべきだ。国政調査権の発動要件に、西欧のような野党配慮を盛り込むだけでも国会は変わる。国会と政府の均衡を取り戻すことが生産的な憲法対話の近道だ。
 

 (主張)憲法施行72年 まず自衛隊の明記が必要だ

                       2019年5月3日 産経新聞
 ■国柄に沿う「天皇条文」運用を
 御代替わりの余韻がまださめやらぬ3日、日本国憲法は施行72年を迎えた。天皇陛下は即位後朝見の儀のお言葉で「国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」と述べられた。上皇陛下は退位礼正殿の儀における天皇として最後のお言葉で、令和の時代について、平和で実り多くあるよう願われた。 新しい御代も平和をしっかりと保ちつつ、国と社会の発展、繁栄に努めたい。平和は常に国民の願うところである。

≪自衛隊と安保が守った≫
 そのためには一体どうすればよいのか。憲法改正は急務の一つとなっている。
現憲法が制定されてから、日本は幸いにも戦争をすることはなかった。ただし、憲法第9条が平和を守ってきたと考える人がいるとすれば、大きな間違いだ。突き詰めて言えば、自衛隊と日米安全保障条約に基づく米軍の抑止力が日本の平和を守ってきたのである。
 抑止力を高めることが現代の安全保障の根幹といえる。これを理解しない陣営は9条を旗印にして、国民を守るための現実的な安全保障政策をことごとく妨げようとしてきた。これはなにも冷戦期だけの話ではない。現在進行形の深刻な問題だ。周辺の安全保障環境は厳しく、日本は平和な世界に住んでいないのが現実だ。世界第2位の経済力を背景に軍拡を進める中国は尖閣諸島をねらっている。国際法を無視して南シナ海の人工島の軍事化を進め、習近平国家主席は台湾への武力行使を否定しない。北朝鮮は核・ミサイル戦力を放棄しない。米朝交渉の停滞をよそに軍事力の強化に走っている。深刻な脅威は去っていない。ところが、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党などの一部野党が4月22日、集団的自衛権の限定行使を容認する安保関連法の廃止法案を参院へ提出した。安保関連法の制定で日米は初めて守り合う関係になった。同盟の抑止力は強化され、北朝鮮危機への対応に間に合った。
 冷戦時代の古い憲法解釈にこだわり、脅威に対処する同盟の抑止力を損なう廃止法案を提出した野党は現実を見失っている。戦後の学校教育は、普通の民主主義国が国防のため軍隊を持っていることや同盟と抑止力の意義、周辺国の脅威を教えてこなかった。「平和憲法」を金科玉条とする勢力の存在が安全保障に関する国民教育の妨げとなってきた。これがある種の「平和ぼけ」にもつながっていないか。「戦力の不保持」を定めた9条2項を削除して軍の保持を認めることが9条改正のゴールだが、その前段として憲法に自衛隊を明記することは意義がある。

≪参院選で改憲を訴えよ≫
 防衛が国の大切な役割で、平和を守るために自衛隊があることを憲法に明記したい。そうすることで、学校現場のいたずらな軍事忌避の風潮を改める契機にもでき、日本の安保論議の底上げにつながる。安倍晋三首相や自民党は夏の参院選で、令和の平和を守るためにも憲法改正の必要性を積極的に訴えるべきだ。日本が取り組むべき憲法上の課題は改正にとどまらない。憲法の天皇関連条文は元首の明文化など改正が必要だが、それ以前に条文の解釈や運用を、現実の国柄に合わせていく努力が必要である。今回の御代替わりは政府や国会が主導したものではない。上皇陛下の譲位のご希望を知った国民がかなえてさしあげたいと願い、政府や国会を後押しして実現した。このような天皇と国民の絆こそ、古くからの国柄の現れだ。退位礼正殿の儀では、譲位特例法に言及した安倍首相の国民代表の辞が、お言葉に先んじた。政府内には、お言葉を先にすると天皇が「国政に関する権能を有しない」とした憲法第4条に触れるとの懸念があったという。
 このような憲法解釈は事実を踏まえず狭量にすぎる。御代替わりは上皇陛下のお考えが契機で、譲位特例法はその手続きである。皇室に関わる重要事についてまで天皇のご意思をまるでなかったようにするのは近代憲法を持つ前から存在してきた国柄と象徴たる立憲君主の権威を損なう。天皇と国民の絆という国柄を尊重した憲法の運用に努めてほしい。

  (社説)憲法施行72年 令和の時代も守り続けて
            
                             2019年5月3日     琉球新報
 2020年の改正憲法施行を唱える安倍晋三首相の下で憲法は危機を迎えている。辺野古新基地建設のため昨年12月に政府が強行した土砂投入にこそ、人権よりも国家や軍事を優先する安倍改憲の本質が表れている。民主主義をないがしろにする政権の暴走を止めなくてはならない。

 天皇の代替わりの中で、日本国憲法は施行から72年を迎えた。新しい時代も平和が続くことを願う国民の期待を踏まえると、今年ほど憲法の持つ意義と価値を見つめ直す機会もないだろう。
 平成の30年余は、現憲法の下で即位した象徴としての天皇が、一つの元号を全うする初めての時代になった。
 上皇さまは1989年の即位に当たり「憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」と語り、在位中で最後の昨年12月の誕生日記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)している」と胸の内を明かした。
 憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と、憲法の尊重擁護の義務を定める。先の大戦の反省に立ち、権力者が暴走して国家を思うままに操ることがないよう、法によって国家権力を縛る「立憲主義」を規定した条文だ。
 憲法の擁護者としての上皇さまの姿勢は単に個人の心掛けではなく、憲法により主権者となったわれわれ国民との最も重要な約束事だった。
 ところが内閣の長として同じく憲法尊重義務を負う安倍首相は、ことあるごとに改憲への意欲を語ってはばからない。2017年の憲法記念日には憲法9条に自衛隊を明記することを柱に「20年の改正憲法施行」の号令をかけ、自民党は改憲4項目の条文案をまとめた。
 集団的自衛権を認めていない憲法解釈をねじ曲げて安全保障法制を成立させ、自衛隊による米軍支援の領域を地球規模に拡大した。憲法を無視して現実を変更しておきながら、「現実に即した」憲法にすると改憲を正当化する論法は詭弁(きべん)と言うほかない。
 辺野古埋め立て反対の明確な意思を示した県民投票を顧みず、「辺野古が唯一」と開き直る政府の姿勢は憲法が保障する基本的人権を侵害するものだ。民主的な手続きを無視し、日米同盟の名の下に軍事強化を押し付ける。これで法治国家と呼べるのか。
 自衛隊明記の改憲がなされれば、戦力不保持を定めた9条は空文化する。南西諸島への配備が進められる自衛隊の存在は周辺地域との緊張を高め、沖縄の島々が再び戦禍に巻き込まれる危険がある。
 令和も戦争がない時代にするためには、国家権力を制約する平和憲法を守り続けていくことが不可欠だ。首相は憲法尊重擁護の義務を踏まえ、辺野古の埋め立て工事を直ちに断念すべきだ。