平成という時代 第4部 伝える/7 平和運動、若者起点に

  元SEALDsメンバー・林田光弘さん(26) 毎日新聞2019年3月30日 東京朝刊

 「核兵器のこれからを自分の問題として考えてほしいんです。署名がそのきっかけになればいい」。まっすぐなまなざしに決意がにじんだ。学生団体SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)元メンバー、林田光弘さん(26)=神奈川県在住=は今、被爆者とともに核兵器廃絶を訴える「ヒバクシャ国際署名」に取り組む。2020年までに数億人を目指し、これまで国内外で830万人超が署名を寄せた。
 15年に友人らと結成したSEALDsは、安全保障関連法案を巡りソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で反対デモを呼び掛けるなどして若者の政治参加の新たな在り方を示した。「インターネットを使えば誰でも運動の起点になれる。一人一人が法案に反対するメッセージを発することから始まり、その怒りを表現する場としてSEALDsという枠組みをつくりました」
 長崎市出身の被爆3世。明治学院大生だった13年に友人らと前身の「SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)」を結成した。当時、SNSでつながる若者が原動力のデモは世界で起きていた。北アフリカや中東の民主化運動「アラブの春」、米国で格差是正を求めた「ウォール街を占拠せよ(OWS)」がそうだ。
 林田さんは幼い頃から被爆者の体験を聞いてきた。15年8月28日、安保関連法案への反対集会があった国会前で、親しい被爆者の男性から「『たった一つの命だから』に続く言葉を考えてごらん」と問いかけられた体験を交えスピーチした。
 「この場を借りて答えを返したい。たった一つの命だから、どんな命にも誠実な人でありたい。大切な人を失いたくないし、死にたくない。何よりどんな命も奪いたくない。誰も殺したくない。この手で銃ではなく、人の手を握ることで命を守りたい。僕は安保法制の改定に反対します」
 反対の声は大きなうねりになり、同月29、30両日には全国300カ所以上で集会やデモがあった。だが9月、同法は成立。「政府は耳を傾けないといけないはずなのに、ことごとく無視された。でも、絶望して黙っていたのでは意味がない」その後も続いた若者たちの活動は16年の参院選で野党共闘成立に貢献したが、改憲勢力が伸長する結果に終わる。「立候補者の選定過程はどの党も旧来の体制を引き継ぎ、それぞれの組織の論理で動いていると感じた」
 8月、SEALDsは解散。メンバーが社会人になるなどして、一緒に活動を続けるのは難しくなった。林田さんはその後、日本原水爆被害者団体協議会代表委員の田中熙巳さん(86)から誘われ、ヒバクシャ国際署名の活動に加わった。自分より若い高校生や大学生相手に出張授業をする機会も最近は多くなった。祖父母さえ戦争を経験していない人も多い世代だ。
 「彼らは戦前、戦中、戦後史を知っている人たちと共有できる基礎がなく、見ている景色が全く別だ。だからまず、問題をより身近に感じてもらう工夫が必要です」。授業は映画・ドラマ化された漫画「この世界の片隅に」のような若者に関心を持ってもらえる話から始める。
 サラリーマンとなって昨年結婚し、長女が生まれた。「一つの命が思っていたよりはかなくて、育てることが大変だということが身にしみた。ありのままにただ存在することが、どれだけすごいことか分かった」。平和への思いは一層強くなった。
 平成の時代、日本は戦争を経験しなかった。戦争で核兵器が使われることは世界でもなかった。だが、なくならなかった。自分の被爆や戦争の体験を語れる人は少なくなり、体験の継承は日ごとに重みを増す。
 林田さんは言う。「経験していない自分には語る資格がないと思っている人がいるが、そうではない。被爆者が原爆投下とその後の人生でどんな傷を負ってきたかを聞き、語り継ぐことはできる。核兵器を使わせないという思いを引き継ぎ、戦争をしないという誓いを守り続けなくてはならない」いかに語り継ぐか。より良い時代をどう描き、行動するのか−−。
 次代を生きる私たち一人一人が問われている。【福島祥】