(社説)原発被害からの復興 福島の「いま」と向き合う
                          2019年3月10日   朝日新聞

 東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故から8年。福島県で今も、人々の心に影を落とすのは、放射能をめぐる「風評」と「風化」の問題だ。
 原発周辺は住民の帰還が進まず、難しい課題を抱える一方、それ以外の多くの地域では、放射線量が平常の水準に下がっている。食品の安全対策も効果をあげている。だが県外を中心に、汚染の被害や健康への悪影響についての誤解、全体的に不安な印象などは消えていない。福島の現状は十分知られておらず、むしろ見聞きすることは減りつつある。

■「風評」「風化」の悩み
 地元では苦悩や葛藤が続く。
 例えば、原発の敷地にたまり続ける低濃度の汚染水をどうするのか。県産米の「全量全袋検査」をどう縮小していくか。汚染水問題で政府は、浄化処理して海に流す案を有力視する。だが、風評被害を心配する漁業団体や住民らが反発し、解決の糸口は見えない。風評は現実に復興の足かせとなっている。県内の農業産出額は事故前の9割にとどまる。観光業もまだ回復途上だ。福島産の農作物や魚は、厳しい検査で安全を確かめて流通している。米は15年産以降、「基準値超えゼロ」が続く。
 それでも、買い控えは解消していない。消費者庁の先月の調査では、放射性物質を理由に福島産の購入をためらう人は約13%。食品検査のことを知らない人は、約45%にのぼった。
問題の根っこには、放射線についての知識や関心、「安心」の感覚は、人によって違いが大きいという実情がある。「福島への関心が時間とともに薄れる中、何となく悪いイメージがうっすら固定化した人は、かなり分厚く存在するのではないか」。放射能と食の問題に詳しい社会学者、五十嵐泰正・筑波大准教授は、こうみる。

■問題を克服するには
 風評を乗り越えるには、いくつものハードルがある。
 行政や関係業界は、放射線の科学的知識や安全対策の発信を続けている。事実を広めるアプローチは大切だ。しかし、それだけでは限界がある。放射能を特段、意識しない多くの消費者に福島産を買ってもらうには、まず売り場に置かれる必要がある。流通業者には商品を正当に評価する姿勢が望まれる。供給側が「おいしさ」などの魅力を磨き、イメージを高めることも欠かせない。
 ただ、漠然と不安を抱いたり、放射線のリスクに敏感で意識的に福島を避けたりする人もいる。福島の生産者側との間に溝やあつれきもみられる。事故の後、原発や放射線対策にかかわる行政や専門家への不信が社会に広がった。8年を経ても、放射能や風評がからむ課題について冷静に議論し、広く納得をえられる解決策を探る素地は整っていない。

 この状況をどう克服するか。ヒントが地元にある。
■「分断」を超えて
 船に乗って、福島第一原発の沖で魚を釣る。放射性物質の濃度を測り、結果を公表する。福島県いわき市の地域活動家、小松理虔(りけん)さん(39)は、こんな取り組みを5年前から続けてきた。調査は約30回を重ね、数百人が「呉越同舟」した。放射能が気になる市民、行政や専門家、脱原発や復興支援の活動家……。そこで、人の心を動かす力に気づいたという。放射能が「何となく不安」な人にも、体験とデータが重なって納得感が生まれ、「何となく安心」に変わっていく。一緒に釣りをすると、立場を超えてみながよく笑う。小松さんが心がけるのは、楽しさを前面に出して興味をひくことだ。「当事者を限定せず、多くの人に福島にかかわってもらうことが、風評や風化にあらがう力になる。共通の体験は、『分断』を乗り越えるきっかけにもなりうると思う」 事故の被害をめぐっては、「放射能が心配/気にしない」のほかにも、「避難を続ける/地元に戻る」「原発はなくすべき/必要」など、多くの分断の軸が交錯する。ネット上では激しい攻撃の言葉が飛び交う。多くの人にとって「ややこしそうな」テーマとなり、日常の中で話題にしにくい空気は地元にもある。
 この状況は、数十年かかる廃炉などの後始末や、住民が散り散りになった地域社会の再生をいっそう困難にしている。

 だが、原発推進の国策の末にもたらされた苦しみを取り除くのは、社会全体に課せられた重大な責任である。福島にどう向き合うか、問われ続ける。まずは等身大の姿を知り、情報やイメージを更新する。そして、こじれた状況を一つひとつときほぐし、人々がそれぞれの考えを尊重しながら建設的に語り合える環境を取り戻す。福島が開かれた復興の道のりを歩めるよう、世の中のスイッチを入れ直したい。

(社説)過酷事故8年の原発 政策転換はもはや必然だ
                       2019年3月10日   毎日新聞

 世界を震撼(しんかん)させた原発過酷事故から8年。東京電力福島第1原発の構内は整備が進んだが、当時の悪夢の爪痕は厳然として残る。
 メルトダウンした1〜3号機の中には溶けて構造物と混じり合った燃料デブリ計約900トンがそのまま存在する。先月、特殊な器具でデブリに触れることはできたが、取り出しの見通しが立ったわけではない。 廃炉のゴールは何十年先なのか。何兆円の費用がかかるのか。わかっているのは道のりの困難さだけだ。 一方、この8年で誰の目にもはっきりしてきたことがある。持続可能性のない原発の未来像だ。こうした状況で、私たちがめざすべき道は何か。現実を直視し、エネルギー政策を転換していくことが急務だ。

廃炉作業の道のり遠く
 東電は今後、燃料デブリを詳しく分析し、2021年から本格的な取り出しを始める計画だ。しかし、原子炉建屋内は放射線量が極めて高い。スケジュールありきで作業を急げば思わぬトラブルに直面するだろう。作業員の安全をないがしろにすることがあってはならない。
 事故直後からの課題である汚染水問題も作業の困難さを象徴する。対策の切り札とされた「凍土遮水壁」は完成したものの、原子炉建屋への地下水流入は止まらず、処理水は構内のタンクにたまり続けている。
 放射性トリチウムが残留するこの水をどうするか。薄めて海に放出すれば確かに作業の安全性は高まる。しかし、漁業者らから懸念の声が上がるのは当然のことだ。政府と東電は、透明性のある国民的な議論を積み重ねなければならない。
 こうした困難な廃炉作業を尻目に政府は「原発維持政策」を進めてきた。福島の事故以降、再稼働した原発は9基。例外だった運転40年を超える老朽原発の延命も「原則」となった。被災した老朽原発「東海第2」を再稼働させる計画さえあり、「原発依存度の低減」という政府の方針は有名無実化しつつある。

 一方で、小規模原発の廃炉決定も相次ぐ。東電の被災原発を除くと7原発11基。事故後に求められるようになった安全対策の費用が回収できないとの経済合理性からの判断だ。
 高額の安全対策費は「原発輸出」の破綻にもつながった。今年に入って日立製作所が英国での原発建設計画を凍結、三菱重工業もトルコでの建設計画から事実上撤退する見通しだ。東芝はすでに海外の原発事業から撤退。安倍政権が成長戦略と位置づけてきた原発輸出に経済性がないことはもはや明らかだ。
 こうした状況をみれば事故当事国である日本での原発新増設は事実上不可能だ。少なくとも西側諸国では原発が持続可能性のない斜陽産業となったことを政府は認識すべきだ。
 その上で、昨年改定したエネルギー基本計画の「30年度に原発比率20〜22%」を見直し、新たなエネルギー政策の構築に踏み出さねば、対応が後手に回るばかりだ。

再生エネ活用に投資を
 中でも重要なのは再生可能エネルギーの「主力電源化」だろう。もちろん、それは簡単な課題ではない。太陽光や風力で従来の原発分をどう補うのか。変動する再生エネの調整に火力発電を使うと温暖化対策に逆行する、という問題をどう解決するのか。一朝一夕にはいかない。
 ただ、これまでの原発依存政策が再生エネの成長を妨げてきたことも確かだ。世界で拡大する太陽光パネルや風力発電機の市場で日本の影が薄くなってしまった背景にも、政府の失策があるだろう。
 今後は、再生エネを活用するための投資にこそ力を入れるべきだ。「国のインフラ」としての送電網の整備、原発優先の給電システムの見直し、原発廃炉で余った送電網の有効活用などが重要だ。同時に、再生エネを安定運用するための気象予測や電力需要予測、需要と供給のバランスを取るシステム、蓄電池の開発など、日本の得意分野をビジネスとして発展させる方向にかじを切ったほうがいい。今後、国内外で多数の廃炉が必要となることを思えば、廃炉人材を育成し、廃炉ビジネスを展開する戦略も立てるべきだ。
 事故炉と通常の原発の廃炉作業は異なるとはいえ、福島の経験を一般の廃炉に生かすこともできるはずだ。福島で得られる知見を統合し、一般の廃炉技術の開発につなげる。官民が協力し、「原発後」の産業にも活路を見いだしてほしい。

 (社説)3・11から8年 再生の光、復権の風                                    2019年3月10日   東京新聞

 国は福島県を「再生可能エネルギー先駆けの地」と位置付ける。でも、忘れないでほしい。太陽や風の電気には、脱原発の願いがこめられていることを。
 福島県飯舘村は、福島第1原発の30キロ圏外にもかかわらず、あの日の風向きの影響で放射性物質が降り注ぎ、全村避難を余儀なくされた。おととし3月、避難指示は解除されたが、事故以前、約六千人いた村民は、一割しか戻っていない。
 高原の美しい風景が、都会の人に愛された。「までい」という土地の言葉に象徴される村人の生き方も。「丁寧、心がこもる、つつましさ」という意味だ。

 原発事故は「までい」な暮らしを引き裂いた。

◆自信と尊厳を取り戻す
 2014年9月に設立された「飯舘電力」は、「までい」再生の象徴だ。村民出資の地域電力会社である。
 設立の理念は、こうだ。

 <『産業の創造』『村民の自立と再生』『自信と尊厳を取り戻すこと』をめざして飯舘村のあるべき未来を自らの手により造り成すものとする−>原発事故で不自然に傷つけられたふるさとの尊厳を、村に豊富な自然の力を借りて、取り戻そうというのである。現在、出力49.5キロワットの低電圧太陽光発電所、計43基を保有する。年末には55基に増設する計画だ。
 当初は、採算性の高い1,500キロワットの大規模発電所(メガソーラー)を造ろうとした。ところが設立直後、東北電力送電網が一基50キロワット以上の高圧電力の受け入れを制限することにしたために、方針を転換せざるを得なかった。
 3年目には、風力発電所を建設しようと考えた。やはり東北電力に「接続には送電網の増強が必要で、それには20億円の“受益者負担”が発生する」と言われ、断念したという。

「風車が回る風景を、地域再生のシンボルにしたかった…」
 飯舘電力創設者の一人で取締役の千葉訓道さんは、悔しがる。
送電網が“壁”なのだ。送電線を保有する電力大手は、原発の再稼働や、建設中の原発の新規稼働も前提に、太陽光や風力など再生可能エネルギーの接続可能量を決めている。原発がいつ再稼働してもいいように、再エネの受け入れを絞り込み、場所を空けて待っている。「送電線は行列のできるガラガラのソバ屋さん」(安田陽・京都大特任教授)と言われるゆえんである。

◆原発いまだ特別待遇
 発電量が多すぎて送電網がパンクしそうになった時にも、国の定めた給電ルールでは、原発は最後に出力を制限される。
 あれから8年。原発はいまだ特別待遇なのである。
電力自由化の流れの中で、20年、電力会社の発電部門と送配電部門が別会社に分けられる。しかし今のままでは16年にひと足早く分離した東京電力がそうしたように、形式的に分かれただけで、同じ持ち株会社に両者がぶら下がり、「送電支配」を続けるだろう。大手による送電支配がある限り、再エネは伸び悩む。
 先月初め、「東京電力ホールディングス」が出資する「福島送電合同会社」が、経済産業省から送電事業の許可を受けた。「先駆けの地」の先行例として、福島県内でつくった再生エネの電力を、東電が分社化した子会社の「東京電力パワーグリッド」の送電線で、首都圏へ送り込む計画だ。

 大手による実質的な送電支配は変わっていない。「発電事業にも大企業の資本が入っており、私たちには、何のメリットもありません」と、千葉さんは突き放す。福島県の復興計画は「原子力に依存しない、持続的に発展可能な社会づくり」をうたっている。千葉さんは、しみじみ言った。
 「私たちがお日さまや風の力を借りて、こつこつ発電を続けていけば、いつかきっと原発のいらない社会ができるはず−」

◆再エネ優先の送電網を
 最悪の公害に引き裂かれたミナマタが、日本の「環境首都」をめざして再生を果たしたように、脱原発依存は、最悪の事故に見舞われたフクシマ再生の基本であり、風力や太陽光発電は、文字通り再生のシンボル、そして原動力、すなわちエネルギーではないのだろうか。脱原発こそ、福島復興や飯舘復権の原点なのだ。原発優先の国の姿勢は、福島再生と矛盾する。例えば飯舘電力などに、地域再生の活力を思う存分注ぎ込んでもらうべく、再エネ最優先の電力網を全国に張り巡らせる−。
 今「先駆け」として、やるべきことだ。