●時代の風
民主政治の危機 市民は「当事者」自覚を
小倉和夫・青山学院大学特別招聘教授
毎日新聞2019年2月10日 東京朝刊
世界各地で民主政治の危機が叫ばれている。そして、その背景として社会的、経済的格差の拡大や、グローバリゼーションへの反動、ネット社会における浮動的な政治集団の影響などが指摘されている。数十年前、国連総会で国際人権規約が論議された際、ソ連を中心とする社会主義国のいくつかが「民主的社会」という言葉に代えて、「民主的国家」の実現という表現を主張したことを想起せねばなるまい。「西側のいわゆる民主的社会は実態はブルジョア階級が作り上げたもので、そこでは人民の真の権利と平等が実現されていない」という主張であった。もとより、この主張の全てを是認はできない。しかし、「国民全体が『政府は自分が選んで作ったものだ』と思えるような国家でなければ、真の民主政治が成り立たない」という点は正しい。言い換えれば、政府、政権に対する国民の当事者意識である。
かつて、あるフランスの知識人と大学の自治について議論した際、「フランスの大学のほとんどは政府に人事と財政を握られているが、これでは政治権力に反抗してまで大学の自治を守ることは困難ではないか」と問うと、なんと「共和国(フランス)では、政府は市民が作ったもので、政府は市民の権利を守るために存在しており、大学の自治を守るべき存在だから懸念はない」と応答され、いささかあぜんとしたことがある。しかし、考えてみれば、これぞフランス革命の精神が今も生きている証拠かもしれない、と思った。
一方、第二次世界大戦後の日本では、民主政治体制に対する市民の真の当事者意識が、いささか薄い気配がある。日本の民主主義は、敗戦と米国の占領政治によって植え付けられたものであって、内生的なものではないという見方もある。(現に、最後まで「転向」せずに獄中につながれていた社会主義、共産主義者を解放したのは、占領軍であった事実は、そのことの象徴の一つだろう) 確かに、その面はあるが、もう一つの歴史的事実にも目を向けなければならない。
それは日本の降伏を強いたポツダム宣言の受諾に当たって、日本は「国体の護持」という条件を付け、連合軍もこれに明確な異議は唱えなかったこと、そして、内乱を回避して終戦を実現したのは、他ならぬ「ご聖断」とそれに従った国民によるものであったことである。このことは、戦後日本の政治体制は日本国民自身の選択によるものでもあることを含意している。
戦前においても自由民権運動の志士、大正デモクラシーの推進者、軍部や治安当局に反抗した自由主義者、社会主義者たちがおり、その伝統は、戦後の民主主義体制の定着を支えてきたと考えるべきである。
ただし、戦後日本の民主主義体制の大きな問題点は、憲法9条の関連や、米軍駐留の条件を取り決めた日米地位協定などを巡り、表向きは合法である「疑似合法性」という「偽善」がまかり通ってきたことである。この疑似合法性こそ、ナチスがドイツの政権を取った基礎であり、日本においても治安維持法の下での「合法的」措置が民主主義の一面を崩壊させたことに思いをはせなければなるまい。
さらに留意しなければならないのは、憤まんを「占有する」者の存在と、その目標の固定化である。ナチスは、敗戦国ドイツに過酷な条件を負わせた第一次世界大戦後の国際秩序「ベルサイユ体制」に対するドイツ国民の憤まんを占有し、憤まんの目標をフランスに集中した。戦前の日本では、軍部が少なくとも一定期間、政党政治と財閥支配に対する国民の憤まんを占有し、矛先を欧米の「アジア侵略」に固定した。現在、日本国民の漠然とした欲求不満は、厭(えん)中(国)、嫌韓(国)、反朝鮮に集中し、そうした感情を持つ人々は、それほど表には出ていないにしても、中堅、若手の間で広がり、固まっている気配がある。
1928年5月のドイツ国会選挙で、わずか2・6%の得票率しかなかったナチスは、5年後の33年には43・9%の得票を得た。それは、29年から世界を襲った経済恐慌のせいとばかりは言えない。
民主政治という堤防は、まさにアリの穴から崩壊する恐れがある−−。そこに市民自身が常に強い自覚を持っていることが必要ではあるまいか。
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