(社説) ローマ教皇 被爆地からの重い訴え  朝日新聞 2019年11月25

 平和の実現にはすべての人の参加が必要。核兵器の脅威に対し一致団結を――。核軍縮の国際的な枠組みが危機にある中、被爆地から発せられた呼びかけをしっかりと受け止めたい。
 13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた。
 教皇は2年前、原爆投下後の長崎で撮られたとされる写真「焼き場に立つ少年」をカードにして教会関係者に配った。今回、長崎の爆心地に立って「核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすと証言している町だ」と語り、「記憶にとどめるこの場所はわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さない」と力を込めた。
 ローマ教皇の来日は1981年以来、38年ぶり2度目だ。前回来日したヨハネ・パウロ2世が平和外交を展開して東西冷戦の終結に影響を与えるなど、教会は核廃絶を含む平和への取り組みを重ねてきた。フランシスコ教皇も米国とキューバの国交回復で仲介役を務める一方、自らが国家元首であるバチカンは、核兵器の製造や実験、使用を禁じる核兵器禁止条約が2年前に国連で採択された後、いち早く条約に署名・批准した。
 ただ、国際協調より自国第一主義が優先される現実のなかで、核軍縮への取り組みは後退している。米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約は8月に失効。2021年に期限を迎える両国間の新戦略兵器削減条約(新START)も存続が危ぶまれる。来年には核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれるが、核保有国と非保有国の溝は深まる一方だ。
 「わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にある」「相互不信の流れを壊さなければ」。そう危機感を訴え、世界の指導者に向かって「核兵器は安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」と説いた教皇の思いにどう応えるか。唯一の戦争被爆国である日本の責任と役割は大きい。
 安倍政権は、日本が米国の「核の傘」に守られていることを理由に核禁条約に背を向け続けているが、それでよいのか。核保有国と非保有国の橋渡し役を掲げるが、成果は見えない。政府の有識者会議は10月、日本がとりうる行動を記した議長レポートをまとめたが、非保有国が多数賛同した核禁条約を拒否するだけでは実践は望めまい。
 教皇ははスピーチで「戦争のために原子力を使用することは犯罪」「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できようか」と述べた。この根源的な指摘を無駄にしてはならない。

(社説)ローマ教皇のメッセージ「核なき世界」への一歩に 毎日新聞20191125

 米露などの核保有国が「自国第一主義」に走って軍縮に背を向け、軍備増強を進めている。そうした現状に対する強い危機感の表出である。
 来日中のフランシスコ・ローマ教皇が被爆地の長崎と広島を訪れ、「核なき世界」実現への努力を結集するよう国際社会に呼びかけた。
 注目されるのは、核兵器の保有自体への非難である。平和や安定への「最良の答えではない」と断じ、兵器開発を「テロ行為」と形容した。
 被爆地発の教皇メッセージは2度目である。ヨハネ・パウロ2世は1981年に広島で「戦争は人間の仕業」と強調し、核軍縮を訴えた。
 米ソが対立する東西冷戦中だった。このため、核兵器の保有で戦争を抑止する戦略について、バチカンは「軍縮への一歩として、倫理的に受け入れられる」と容認していた。
 今回、フランシスコ教皇は「国際社会の平和、安定とは相いれない」「脅威から私たちを守ることはできない」と核抑止論を否定した。
 訪日は冷戦終結から30年の節目にあたる。だが、核を巡る脅威は増し、世界はより不安定になっている。
 フランシスコ教皇の背中を押しているのは「相互不信によって、軍備管理の国際的な枠組みの解体につながる危険がある」との懸念である。
 トランプ米政権下、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約は8月に失効した。朝鮮半島の非核化を目指す米朝協議の行方は見通せず、イラン核合意も崩壊の瀬戸際だ。
 来年は核拡散防止条約(NPT)の発効50年にあたり、再検討会議が開かれる。だが、保有国と、核全廃を目指す非保有国の溝は深い。
 バチカンは2017年の「核兵器禁止条約」採択時、いち早く批准した。今回、教皇は特に禁止条約の名を挙げ、教会が「飽くことなく、迅速に行動していく」と宣言した。
 米国の「核の傘」に入る日本は条約不参加だ。唯一の戦争被爆国として保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任するならバチカンと足並みをそろえ、米国に軍縮を迫るべきだ。
 教皇は「核なき世界は可能であり、必要だ」と力説する。だが、待っているだけでは理想は実現しない。
 日本は今こそ、核廃絶の必要性を国際世論に訴え、「核なき世界」の実現に道筋を付ける責務がある。

 (社説)教皇の被爆地での訴え 核兵器廃絶、共に歩もう   中国新聞20191125

 核軍拡の暗雲が世界を覆いつつある中、心強い光を投げ掛けてくれたと言えよう。
 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(法王)がきのう、二つの被爆地を相次いで訪れ、核兵器廃絶を訴えた。
 教皇は広島で「大勢の人が、その夢と希望が一瞬の閃光(せんこう)と炎によって跡形もなく消された」と述べ、原爆が悲劇的な結末をもたらしたことを強調した。その上で核兵器のない世界に向け「私たちは共に歩むように求められている」と団結を説いた。
 同教会は世界の人口の2割近い約13億人の信者を持つ。教皇自身、インターネットを通じた情報発信に熱心で、九つの言語によるツイッターのフォロワー(読者)は計5千万人に迫り、影響力は大きい。罪のない子どもや女性たちが数多く犠牲となった広島、長崎から発した、核廃絶への行動を呼び掛ける訴えは大勢の人の心に響くはずだ。
 教皇の被爆地訪問は1981年以来38年ぶり、2度目となった。前回のヨハネ・パウロ2世は「戦争は人間のしわざです」「広島を考えることは核戦争を拒否することです」と述べた。核や戦争を断罪する言葉は信者かどうかにかかわらず、国内外に強いインパクトを与えた。
 今回の被爆地訪問は、フランシスコ教皇自身の願いでもあった。核兵器廃絶への思い入れが強く、2013年の就任以来、繰り返し訴えている。14年には「広島と長崎から人類は何も学んでいない」と核軍縮が進まない状況を批判した。
 核兵器禁止条約も強く支持してきた。17年夏に採択されるとバチカンはいち早く批准した。元首でもある教皇の意向が反映されたに違いない。
 今回の演説でも核兵器の使用はもちろん、保有や威嚇も「ノー」と明言した。その立場は、あと17カ国・地域の批准で発効する禁止条約と共通する。互いに核でにらみ合い、「恐怖の均衡」を保つ核抑止論の全面否定でもあり、広島や長崎の被爆者の思いとも重なっている。
 教皇は「不退転の決意」として核軍縮と核拡散防止に関する主要な国際法にのっとって迅速に行動する考えを示した。その一つの禁止条約の早期発効に弾みをつけるきっかけにしたい。
 ただ米国とロシア、中国などの核兵器保有国は禁止条約には否定的だ。核なき世界を求める声に耳を傾けないばかりか、小型核開発などを進めている。
 名指しこそしなかったが、教皇はこうした国々の姿勢を非難した。最新鋭の兵器を製造しながら平和について話すことなど、どうしてできるのか、と。米国に追随する形で禁止条約に背を向け続ける日本政府も、態度を改めるべきではないか。
 一部の国の指導者がいかに核兵器に固執しようとも、核なき世界はあらゆる場所で数えきれないほどの人が熱望している。まさに教皇が強調した通りだろう。胸に刻んでおきたい。
 現在と将来の世代が、被爆地で起きた悲劇を忘れるようなことがあってはならない、とも訴えた。核兵器が何をもたらすか広島、長崎の記憶は人類全体のためにあるということだろう。
 今回の教皇訪問を機に、被爆地の果たすべき役割を思い起こしたい。核も戦争もない世界という同じ理想を掲げる人々と共に、私たちが歩むために。