(論点) オーバーツーリズム   毎日新聞 2019年11月22

 秋の観光シーズン真っ盛り。各地の紅葉の名所は多くの観光客でにぎわっている。一方、近年の訪日観光客(インバウンド)の急増で顕在化してきているのが各種のトラブル、いわゆる「オーバーツーリズム」の発生だ。政府は来年、4000万人の訪日客を見込むが、何らかの対策が急務になっている。

「持続可能な観光」とは

 観光庁が主要観光地を抱える地方自治体に行った調査によると、課題として多かったのは、マイカーや観光バスによる渋滞▽公共交通機関の混雑や遅延▽トイレの不適切な使用▽住宅地や公共の場へのごみ投棄とごみの増加▽立ち入り禁止区域への侵入▽住宅地や深夜の騒音▽宿泊施設の不足▽開発による景観や自然環境への影響--など。「持続可能な観光」は10月に行われた主要20カ国・地域(G20)観光相会合でも大きなテーマになった。

異常過密が市民生活直撃 松尾崇・鎌倉市長

 神奈川県鎌倉市には年間約2000万人の観光客が訪れる。かつては休日が中心だったが、近年は平日にも訪日外国人らが多く訪れ、観光スポットは通年で混雑している。鎌倉市の1平方キロ当たりの入り込み観光客数は50万人を超え、京都市の10倍近くにもなる。この異常な過密が市民生活にさまざまな問題を生じさせている。
 不満が大きいのは、生活の足である江ノ島電鉄が観光客でいっぱいになり、住民が利用できなくなることだ。これを解消すべく、沿線の市民らを優先的に駅構内に入場させる社会実験を4、5月の大型連休時に実施した。アンケート結果では、観光客らの反発は少なく、おおむね理解をいただいている。通年化を目指しているが、公共交通の観点から「同じ料金なのに順番に差をつけるのは公平ではない」との指摘もあり、調整を続けている。交通渋滞も深刻だ。救急車両や路線バスの運行が滞るだけでなく、通学・通勤の安全確保という差し迫った問題も出てくる。渋滞エリアを市民や観光客が身を小さくして通るのを目にするのは、とても心苦しい。
 そこで、国土交通省と協力し、多くの歴史的遺産があるエリアに入る車両に課金する「鎌倉ロードプライシング(仮称)」の導入を目指している。流入を抑制し、ほかの交通機関の利用を促すのが狙いだ。収入は観光客、市民の双方に有益な環境整備などに充てる。
 これは国内初の試みであり、解決すべき問題もある。「課金の根拠」と「課金の方法」がそれだ。鎌倉市は課金の根拠を法定外税とし、市域の入り口で自動料金収受システム(ETC)などを活用して課金する方法で総務省との事前相談を始めた。市民には課金しない方針だが、調整が難航している。総務省は法定外税である以上、市民にも課金しなければ公平性が保てないとの立場だ。しかし実際に生活を妨げられている市民と、観光客を同列に扱うことは地元としては認めがたい。税制上は公平であっても、実態としては公平ではないからだ。今年度に予定していた実証実験を見送り、打開策を検討している。
 観光客の過密は観光客相互のトラブルも生む。写真撮影に興じる観光客が公道上にあふれ、往来の危険を生じさせ、混雑エリアでの歩行飲食で衣服が汚れるなどの事故も起こる。こうした迷惑行為の自粛を求める独自のマナー条例を今春、施行した。海水浴場では、今年夏から車椅子の方でも安心して遊べるバリアフリービーチを整え、来年春には外国人も含め障害のある方に観光情報を提供する体制を整備する予定だ。いずれも、観光の質を高める試みだ。
 観光客の増大に伴う問題は世界各地で起こっている。鎌倉という現場で感じるのは、いま起こっている問題は、旧来の観光問題とは異質であり、従来型の発想では解決は難しいということだ。現場の創意工夫をしゃくし定規に解釈するのではなく、それを柔軟に受け止め、課題を共有する作業が必要だ。観光地の首長と国の関係機関が共に解決の道筋を探る、新たな協議機関の創設を提案したい。【聞き手・因幡健悦】

広域連携で「分散化」必要 清野智・日本政府観光局(JNTO)理事長

「オーバーツーリズム」とは何か。観光庁の言葉を借りると「特定の観光地において訪問客の著しい増加などが市民生活や自然環境、景観に与えるマイナスの影響が受忍できない状況」で、それによって「市民および旅行者の満足度が低下している」こと。日本全体ではないが、一部の地域でこうした問題が発生していることは否定できないし、私たちが誘致活動を進めている訪日客の急増が背景にあることも認識している。
 外国人の場合、もともと文化や生活習慣が異なることによる齟齬(そご)が発生することはありうる。絶対数が急増したため、国内客だけでは目立たなかった問題が顕在化しているといえる。しかし、全国各地の振興策として観光産業が果たす役割は極めて重要だ。国内外の先進事例を参考に、何とかしてこうした問題が広がらない状況を作りつつ、今後も世界中から多くの方に日本に来ていただき、楽しんでもらいたい。
 対策の柱は「分散化」だ。初来日の方が京都、奈良、富士山などに行きたがるのは当然として、現在、訪日客の6割近くが東京大阪間の「ゴールデンルート」に集中している状況を変えていきたい。いくつかの仕掛けが必要になる。日本には各地に豊かな自然がある。春先には北海道でスキー、沖縄でダイビングが同時に楽しめる。こんな国は珍しい。日本人の感覚ではぜいたくな休暇に映るが、長期旅行者には魅力的な商品になる。「自然型ツアー」はおのずと地方へ誘導することにもなる。
 祭りも有効だ。私の故郷の東北には四季折々に個性的な祭りがある。夏祭りはかなり知られるようになったが、魅力的な祭りはほかにもある。平泉や出羽三山、八甲田など、個人的にお勧めしたい場所だらけだ。しかし、東北に宿泊するのは全体の4%程度。いい温泉も多いのに、その財産を生かし切れていない。身の回りにある素材の価値に地元が気付いていないケースも多いのではないか。
 海外にPRを行う際は、一つの自治体だけで進めるのでなく、もっと広域エリアで誘致を図るべきだ。そのための「観光地域づくり法人(DMO)」も各地に生まれている。長期滞在の視点に立った広域の情報発信が欠かせないし、相手のニーズを知るために日本人が海外を旅することも重要だ。
 いわゆる2次交通の問題もある。行きたい所、行ってほしい所はまだまだたくさんあるのだが、そこへ行くまでの足が限られているという問題だ。今後、海外のお客様をさらに増やしていくためにも、それぞれの機関で相談して知恵を出していかなければならない。人口減少が進む今後の日本では、町にも人間にも、地域が生き残るための投資が必要になる。その活性剤として訪日客を活用する、と考えてみてはいかがだろうか。
 今秋、日本中を沸かせた「ラグビー・ワールドカップ」には約50万人(組織委推定)の外国人が訪れ、各地を転戦し、合間は観光しながら日本を楽しんだ。台風を除いて大きな問題はなかった。こうした経験の積み重ねが、真の観光先進国となるためには必要だろう。【聞き手・森忠彦】


野放しの開発は将来に禍根 佐滝剛弘・京都光華女子大教授

 昨年春から京都生活を始めた。これまでは旅先だった京都だが、住民の立場になって改めて気づくことが多い。その一つが外国人観光客の急増に伴うオーバーツーリズム、いわゆる「観光公害」の実態だ。
 京都は日本人だけでなく外国人にとっても憧れの町だ。歴史を重ねた社寺や伝統文化など琴線に触れるものも多い。「日本に行ったらまずは京都に」と思うのはごく自然の感情だろう。しかし、旅行客の急増によって住民生活が脅かされるような事態が起きている。
 約150万の人口を抱える京都市の最大の特徴は、生活の場と観光地とがモザイク状に混在していることにある。外国人にも人気のある金閣寺や清水寺、嵐山、二条城、伏見稲荷大社、大原などは、市中心部から郊外まで随所に点在している。しかし、鉄道網が十分ではないため、移動の中心はもっぱら路線バスが担う。朝夕になると人気の名所を結ぶ路線では大きな荷物を抱えた旅行者が乗り込み、乗降に時間を費やす。バスは大きく遅れたり、満員のため住民が待つバス停を通過したりすることも珍しくない。京都市では市バスを生活系統と観光系統に分け、今春からは一部で乗り場を分離するなどの試行を始めているが、目に見えた効果が出ているとまでは言えない。
 加えて深刻な事態を生み出しているのが住宅地における無秩序なホテルや民泊の建築ラッシュだ。最近、特に目立つのが京都駅の南側地区。静かな住宅地が広がる一帯だが、少しでも空いた土地はほとんどがホテル用地となっている。私が歩いて確認しただけでも、建設中や、建設を待つ状態のものが30はあった。
 バスの混雑は施策で改善できる可能性があるが、半永久的に残るホテル群の無秩序な建設は、将来にわたって住民の生活に影響を及ぼしかねない。町づくりを長期的に法律などでコントロールできるのは行政しかない。現在の野放し状態は将来に大きな禍根を残すことになる。
 世界遺産に登録されている欧州の古都が魅力的なのは、長年にわたって行政や住民が一体となって旧市街での乱開発を防いできたからだ。一方、京都は歴史上、時の権力者が常に町を壊し、開発する側に加担してきた。千年の都を守ってきたのは点として存在する神社仏閣と町衆や住民の努力であって、「面」としての街並みや景観は守られてこなかった。京都の「世界遺産」はあくまでも個々の社寺・城郭であり、町そのものが評価されているわけではない。
 オーバーツーリズムか否かの判断は、観光客数などではなく、住民の感情次第だろう。住民が客を歓迎したいと自然に思える間は正常だが、さまざまな副作用が重なって心理的に「もう結構」と感じるとすれば、それは明らかに「観光公害」状態である。
 旅行者の多くがガイドブックを手に観光地を回っていたころとは異なり、ネット時代はSNS、特にインスタグラムの盛況によってランキング化が進み、上位のスポットに観光客が一極集中する傾向が強まっている。いかにして旅行者を快適に分散化させるかの知恵が必要となる。【聞き手・森忠彦】

 

人物略歴

松尾崇(まつお・たかし)氏

 1973年生まれ。日大経済学部卒。日本通運勤務を経て、鎌倉市議、神奈川県議を務める。2009年の鎌倉市長選に立候補し、36歳で初当選。現在3期目。19年8月から全国青年市長会長。

清野智(せいの・さとし)氏  

 
1947年、仙台市生まれ。東北大卒。70年国鉄入社。87年JR東日本へ。
2006年社長。12年会長。18年から現職。「日本政府観光局」は通称で、正式名は独立行政法人国際観光振興機構。


佐滝剛弘(さたき・よしひろ)氏
 1960年、愛知県生まれ。東大卒。NHKディレクターとして報道番組の制作を担当。
2018年から現職。専門は観光学、世界遺産、産業遺産など。近著に「観光公害」。