政治改革30年の先に 権力のありかを問い直す

                      朝日新聞   2019年1月1日

 
それは悲壮な調子の一文だった。「いまこそ自らの出血と犠牲を覚悟して、国民に政治家の良心と責任感をしめす」 1989年5月、自民党は「政治改革大綱」を世に出した。リクルート事件があり、金権腐敗への不信が極まっていた。大綱は、政権交代の不在と「緊張感の喪失」を、日本政治の欠陥と見なし、衆院への小選挙区制導入をうたった。昭和が終わり、冷戦も終わる。バブルがはじけ、湾岸危機が起こる。歴史のうねりが、政界を改革へと駆り立てた。
30年が過ぎた。
確かに政権交代は起きた。自民党一党支配の55年体制は崩れた。しかし、目指したはずの「二大政党」は、なお遠い幻影にとどまる。政治改革がもたらした功と罪を総括し、次の段階に進むべき時である。

■小選挙区制は失敗

 小選挙区制は民意を大胆に「集約」する仕組みである。比例代表制が民意を忠実に「反映」するのとは対照的だ。一方を圧勝させ、強い政権を作らせる。思う存分やらせて、だめなら他方に取りかえる。改革の成否は、そのサイクルが確立されるかどうかにかかる。一連の改革では、さらに「首相を中心とする内閣主導」の体制づくりが目指された。行き着いた先が、「安倍1強」である。今、執政の中枢である首相官邸への権力の集中はすさまじい。その使い方も実に荒々しい。非力な野党が政権を奪い返す展望は見えない。小選挙区制の導入は端的に失敗だったのだろうか。政治とカネをめぐる醜聞の温床とされた中選挙区制の復活は論外としても、現行制度の見直し論は以前からある。比例代表中心の制度に変え、適度な多党制を常態にすれば、力任せの多数決主義は影を潜め、与野党の合意形成を重んじる熟議の民主主義になる――。こうした議論にも一理はある。だが、急ぎすぎてはならない。与野党も有権者もまだ、今の制度を十分使いこなしているとはいえない現状を考えたい。 与党はごり押し一点張りで、野党は抵抗に徹するしかない。そんな不毛な攻防も、政権交代が当たり前になり、「あすは我が身」を思い知れば、様変わりする可能性がなくもない。自分にとってベストでなくても「よりまし」な候補に一票を入れる「戦略的投票」に、有権者が習熟したともいえない。30年前に始まった大議論を一からやり直す余裕がないとすれば、必要なバージョンアップを地道に進めていくしかない。

■弱い国会を強くせよ

 官邸の下請け機関化、翼賛化、空洞化――。昨今の国会の惨状を形容する言葉の数々だ。ここに、政治改革を通じた権力集中の負の側面が如実にあらわれている。どの機関にどんな権力、権限を配分するのが適正か。改革の手直しを試みる際、最も大切な視点である。
 国会を強くする必要がある。

 議院内閣制の下では、内閣とそれを支える衆院の多数与党が一体となっている。与党は数の力で政府提案を次々通していこうとする。一方で国会には、政権中枢や各省庁の活動を監視する役割がある。行政府VS.立法府という権力分立の構図である。それは主に少数野党の仕事になろう。助けとなるのが憲法53条の後段だ。衆参どちらかの総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会を召集せよ。内閣が開きたくなくても、国会の意思として開かせ、権力分立の実を上げる仕組みだ。ところが、安倍政権は憲法に基づく野党の要求を重ねて無視してきた。違憲批判が起こるのは当然である。例えば要求が出てから20日なり、一定の期間内に召集させるルールを明文化すべきである。憲法改正によらずとも、法改正で可能ではないか。「首相の専権」などと仰々しく語られる衆院の解散権にも、縛りをかけなければならない。安倍政権の不意打ち解散戦略は、改革の眼目の一つだったマニフェスト選挙を台無しにした。大義も争点も不明なまま、有権者は投票を強いられた。

■解散権の行使再考を

 解散権の乱用問題は古くから論争の的だ。権力の振り分け方を正すという観点から、そろそろ再考すべきである。政治改革後の歴代内閣は、長期安定政権と、「ねじれ国会」に由来する短命政権とに二分される。その意味で、参院への権力の割り当てと、その役割の見直しも避けて通れない。「地方の府」にする案をはじめ、議論の積み重ねはある。内閣や国会の権力の淵源(えんげん)は、主権者たる国民である。政治に緊張感を持たせる最良の手段は、主権者が厳しい視線を絶やさないことである。

次の扉へ AIと民主主義 メカニズムの違いを知る

                                 .毎日新聞  201911日 東京朝刊

 年が改まり、希望を更新して世界は再び動き出す。ネット上を飛び交うメッセージも格別なはずだ。  「情報爆発」の時代と言われる。スマートフォンという高性能コンピューターを多くの人が持ち歩き、デジタルデータの流通量が年ごとに飛躍的に増えていく状況を指す。 「いいね」を押したり、誰かを検索したり、今やネットサービスは必需の生活インフラになっている。 だが、膨大な個人データをAI(人工知能)が処理するとき、私たちは思いがけない事態に直面する。

 民主主義との緊張関係である。
 議論を呼び起こしたのは、英選挙コンサルタント会社ケンブリッジ・アナリティカの不祥事だ。 選挙に応用可能な情報 2016年の米大統領選に際してフェイスブックから最大で8700万人分のユーザー情報を入手し、トランプ氏が有利になるよう操作した疑惑が昨春持ち上がった。 同社は不正を否定し、影響の程度は分かっていない。ただ、トランプ氏の元側近スティーブ・バノン氏が経営陣にいたことから、サイバー空間の暗部として注目を集めた。 プラットフォーマーと呼ばれるグーグルやフェイスブックの主な収入源は広告だ。利用者のネット履歴を基に、細かく狙いを絞った広告の配信をビジネスモデルにしている。 利用者は無料でサービスを受ける代わりに、好みなどの個人情報を差し出す。それがビッグデータとして集積された段階で莫大(ばくだい)な市場価値を生むように設計されている。 強力なAIは利用者の消費性向を知り尽くそうとする。その精度が高いとしたら、政治分野に応用することは容易だろう。ケンブリッジ社の例がそれをうかがわせた。 人類は過去にも情報爆発を経験している。15世紀の印刷技術発明や20世紀に登場したテレビ放送だ。 ただ、デジタル革命による情報爆発の特質は、その量が膨大過ぎて人間が共有できなくなったことだ。情報の海に飛び込んだ人間は、好みの情報にすがる。そこにフェイクニュースが紛れ込み、AIでカスタマイズされた情報が追いかけてくる。 脳科学者の茂木健一郎氏は「情報爆発と個々人の処理能力のギャップに目をつけると、悪用を含めいろんなことができる。その意味でAIが人間を超すシンギュラリティーはすでに起きている」と指摘する。 インターネットが普及し始めた当初、IT(情報技術)は情報格差をただし、人を水平方向につなぐ技術と思われていた。「eデモクラシー」という夢の構想も語られた。  ところが、ビッグデータとAIの組み合わせは、巨大IT企業群とユーザーを垂直に再編している。  政治的に見れば、SNS(交流サイト)は人びとの不満を増幅させて社会を分断する装置にも、権力者が個々に最適化させたプロパガンダを発信する道具にもなり得る。  民主主義の価値は試行錯誤を重ねるプロセスにある。人間は一人ひとり違うからこそ、対話を続けて集団の共感を維持しようとする。処理の速さと分類を得意とするAIとは根本的なメカニズムが異なる。

リアルな肌触りが必要

 兵庫県・淡路島の仁井(にい)地区は標高200メートルに位置する農村だ。住民約500人のほとんどは高齢者。仁井小学校は9年前に廃校となった。 その校舎が2年前、日本語学校「日本グローバルアカデミー」に衣替えした。淡路市が地元と協議を重ねて決まった。今はベトナム人43人、モンゴル人2人の若者が学ぶ。 限界集落と外国人。市側はその組み合わせを心配したが、逆だった。地区の農家が特産の玉ネギを学生に届ける。近くの空き家に寄宿する学生は道ですれ違う住民に「お早うございます」とあいさつをする。 世話役の人形寺(にんぎょうじ)祥弘さん(74)は「自分たちが学んだ校舎に来てくれたから後輩のように思う」と語る。民主主義は土台の部分でこのような共感を必要とするものだ。 私たちはこれまでAIに対し無防備過ぎたかもしれない。ギリシャの歴史家は放縦な民主制が衆愚制や独裁制に移る「政体循環論」を説いたが、AIが「ポスト民主主義」の引き金を引くシナリオは悪夢だろう。  議論をする。互いを認め合う。結論を受け入れる。リアルな肌触りを省いたら民主主義は後退する。 平成が間もなく幕を閉じ、冷戦の終結からも30年がたつ。次なる扉の向こうには何が待っているのか。

米中対立の試練に立ち向かえ 新時代に適した財政・社会保障に
                          読売新聞   20190101

 米国が内向きの政治に転じ、欧州は、ポピュリズムの横行と英独仏の混迷で求心力が低下した。世界の安定を支えてきた軸が消えつつあるようだ。こうした中で、最も警戒すべきなのは、米国と中国の覇権争いによる混乱である。「米国が直面する最大の脅威」「中国の経済的侵略」と米政権高官の対中認識は厳しい。超大国の座を脅かされた米国は、かつて「戦略的パートナー」と呼んだ中国への姿勢を一変させている。トランプ政権のみならず、野党民主党も同じ認識を共有する。世界1位と2位の経済大国の対立は、安全保障や通商、ハイテクなど多岐にわたり、相当長い間続くと覚悟すべきである。米国とソ連による冷戦の終結宣言から30年、「新たな冷戦」に怯え、身をすくめていても意味はない。米国の同盟国であり、中国と深い関係にある日本こそが、地域の安定と繁栄を維持する責務を、粘り強く果たさねばならない。
 ◆トランプ外交への懸念

 最優先の課題は、米国を軸とした多国間協調の再生である。「米国第一主義」のトランプ大統領への不安は尽きない。貿易赤字縮小という目先の利益を、外交や安全保障より優先してきた。ツイッターの言動は予測できず、政権運営の稚拙さは目に余る。大統領選をめぐるロシアとの共謀疑惑などが深まれば、トランプ氏は窮地を脱しようと、一段と対外政策で強硬になりかねない。それでも、米国に代わりうる国はない。1国で世界の国内総生産(GDP)の4分の1、軍事費の3分の1を占める。米国を、国際的な秩序の維持に関与させることが、日本の国益につながる。

 ◆多国間協調の再生図れ

 日米首脳の対話は、対中認識をすり合わせ、米国に各国と協調するよう促す重要な場である。併せて、トランプ氏が通商問題と引き換えに、安保政策で中国に安易に譲歩しないよう確認すべきだ。閣僚が次々更迭されるトランプ政権の不安定さを考えれば、対外政策に関与しうる議会指導者や官僚、軍幹部、経済人らとも幅広い人脈を築くことが大切である。憂慮するのは、米中がさらに高関税を課し合う事態だ。世界経済の失速を避けるには双方に自制を求めるしかない。日本は、各国首脳との会談や、先進7か国(G7)、6月に大阪で開かれる主要20か国・地域(G20)などの会議で、米中対立を緩和させるための議論を主導すべきだ。孤立しがちな米国と各国の仲介も日本の役割となろう。多国間協調を支える自由貿易の網を広げることは急務である。米国との貿易協議に取り組みつつ、米国が離脱した環太平洋経済連携協定(TPP)の拡大や、中国やインドなどアジア各国との自由貿易圏づくりを進めたい。中国による沖縄・尖閣諸島や南シナ海の現状変更を抑止するには日米同盟を地域の安定の基盤として機能させることが不可欠だ。自衛隊は、米軍との連携を強化し、装備と能力の高度化を進めるべきだ。豪州や東南アジア各国とも安保協力を深め、日米同盟を補完することが大事である。

 ◆一貫性ある対中政策を

 中国と向き合うには、長期的な視点が欠かせない。1978年に改革・開放政策を掲げた中国は、自由で開かれた国になると期待された。だが、89年の天安門事件では民主化運動を弾圧し、厳しい国際制裁を科された。中国は、日米欧とは異なる富強の大国の方向にカジを切った。威圧外交を展開し、軍事力を著しく増強した。他国のハイテク技術窃取、不公正な経済慣行、国内の厳しい統制は加速している。この30年、中国共産党総書記は習近平氏(国家主席)ら3人だ。同じ期間に米大統領は5人で、日本の首相は延べ17人に達する。平均の在任期間は米国6年、日本2年未満に対し、中国は10年となる。習氏は2018年の憲法改正で、国家主席の任期制限を撤廃し、終身の在任に道を開いた。日米両国とも、頻繁に選挙があり、政権が代われば対中政策は揺れ動いた。中国は、圧倒的に有利な立場にある。批判されても小手先の対応でかわし、相手国政権の交代を待てばよいからだ。世界最多の消費者と巨大な産業基盤を抱え、GDPは30年間で約30倍となった。今世紀半ばには、米国並みの国力の「社会主義現代化強国」を実現するという。とは言え、強い経済には陰りがみられる。成長率は徐々に低下してきた。企業債務は積み上がり、バブル崩壊の懸念が拭えない。巨大経済圏構想「一帯一路」には、アジア各国から、多額融資による過剰債務や中国の政治的影響力への警戒感が強まってきた。中国の強権的な拡張路線は、曲がり角に来ている。このままでは行き詰まることを、日本は習氏ら指導部に指摘すべきだ。 中国が対米関係の悪化で、対日外交に意欲を示す今は、日中が率直に話し合える機会である。中国と日米欧は、相互に深く依存し、人、モノ、カネが活発に行き交う。東西両陣営に分かれていた冷戦期と異なる。中国を封じ込めることはできず、中国も世界への配慮なしには立ちゆかない。中国に、国際的ルールの順守と、日米欧との真の共存共栄を受け入れさせることが目標である。日本など、民主主義国の戦略と外交手腕が問われている。北朝鮮は、核実験や弾道ミサイル発射による挑発を控えている。小康状態の朝鮮半島に恒久的な緊張緩和をもたらす戦略が必要となっている。昨年6月の米朝首脳会談の後、非核化協議は失速した。北朝鮮に対し、核放棄が国の安定に欠かせないことを納得させなければならない。トランプ氏と金正恩朝鮮労働党委員長との再会談を含め、さまざまな対話を重ねるべきだ。日本は、トランプ氏が安易な妥協に応じないよう警戒する必要があろう。韓国はもとより、中露両国にも、国際包囲網を維持するよう訴え続けなければならない。4月30日、天皇陛下の退位で平成は幕を下ろす。30年間を総括し、内政の課題を明確にしたい。1989年に世界の15%だった日本のGDPは6%に低下し、中国に抜かれて3位となった。人口は減少に転じ、労働力不足が深刻な地方は社会基盤の維持さえ困難になりつつある。65歳以上の高齢化率も28%に倍増している。

 ◆将来不安の払拭急務だ

 読売新聞社は、昨年11月の世論調査で平成時代の印象を尋ねた。「不安定」と「停滞」が「安定」と「発展」を上回った。平成への改元直後の調査とは、ちょうど逆の結果となった。国民の後ろ向きの気持ちをどう払拭するのか。夏の参院選で与野党は具体策を示してほしい。まず直視すべきなのは、財政と金融の現状だ。長い不況に苦しみ、財政に依存し過ぎた結果、国と地方の長期債務残高は1100兆円を超えた。日本銀行の金融緩和も長引き、低金利で銀行が苦境に追い込まれる負の側面が目立っている。デフレから完全に脱却し、安定的な成長を目指す。同時に、財政再建に道筋をつけ、金融緩和の弊害除去を進める。政府と日銀、経済界が連携し、緻密な戦略を立てれば不可能なことではない。景気の持続的押し上げに欠かせない個人消費は低迷から脱していない。将来不安に備え、財布のヒモが固くなっているからだ。医療、介護、年金は、持続可能であると、国民が実感できるようにしたい。長寿化で給付の受け手が増え、支え手が減った以上、負担と給付のバランスを取り戻すべきだ。痛みは伴うが、将来世代へのツケを軽くできる。社会保障制度を支える消費増税が10月に控える。89年に3%で始まった税率は、30年間で10%に達する。消費税は、所得税より幅広い層が負担し、景気変動に左右されにくい。超高齢社会の安定財源であることを周知すべきだ。日本は幸いにも、社会の極端な分断、極右・極左勢力の台頭、深刻な格差といった、欧米に見られる混乱を免れている。安定した社会を、治安の良さや、教育への熱意、勤勉の尊重といった美点とともに次代に引き継ぎたい。

年のはじめに考える 分断の時代を超えて

                            東京新聞 201911

 この年頭に思うのは、分断ではなく対話の時代であれ、ということです。世界は、そして私たちは歴史的試練に立たされているのではないでしょうか。
 思い出してみてください。平成の始まるころ、世界では東西ベルリンの壁が壊れ、ソ連が崩壊し、日本ではバブル景気がはじけ、政治は流動化し非自民政権が生まれた。米ソ冷戦という重しがはずれ、世界も日本もあらたな歴史を歩み始めたのです。

◆自由と競争を手中に

 アメリカ一強といわれました。政治は自由の広がりを感じ、経済は資本主義が世界を覆って市場経済のグローバリゼーションが本格化した。世界は自由と競争を手に入れたかのようでした。 欧州では共通通貨ユーロが発行され、中東ではパレスチナ、イスラエルの和平合意。日本では二大政党時代をめざす政治改革。時代は勢いをえていました。しかし、その後どうなったか。政治の自由は寛容さを失って自ら窒息しつつあるようです。経済の競争は、労働力の安い国への資本と工場の移転で、開発国の経済を引き上げる一方、先進国に構造的経済格差を生んだ。リーマン・ショックは中間層を縮め失職さえもたらした。その根本には人間がいます。悩み苦しみ、未来に希望をもてない人がでてきた。憲法や法律には不公正も不平等もないはずなのに、それらが実在するというゆがんだ国家像です。アメリカでは貧しい白人労働者たちを「忘れられた人々」と称したトランプ氏が勝ち、欧州では移民を嫌う右派政党が躍進。人権宣言の国フランスでは黄色いベスト運動が起きた。 格差が、不平等が、政治に逆襲したのです。

◆友と敵に分ける政治

 日本は「非正規」という不公平な存在を生みました。貧困という言葉がニュースでひんぱんに語られるようになりました。それらに対し、政治はあまりにも無力、無関心だったのではないでしょうか。欧米でも日本でも目下最大のテーマは民主主義、デモクラシーの危機です。思い出されるのは、戦前ドイツで注目の政治学者カール・シュミットの政治論です。政治学者三谷太一郎氏の簡明な説明を借りれば、国民を友と敵に分断する政治です。敵をつくることで民衆に不安と憎悪を募らせ、自己への求心力を高める。敵をつくるだけで対話も議論もありません。その結果、多数派が少数派を抑圧し圧殺してしまう。独裁の理論化といわれます。ナショナリズムもポピュリズムも同種です。排外主義は国民を熱狂させやすい。ポピュリズムは目的遂行のため事実を隠すことがあります。ヒトラー政権が用い、戦前戦中の日本も同じようなものでした。英米はきらったそうです。今、シュミット流の分断政治が内外で進んでいるかのようです。多数派の独走。議会手続きを踏んだふりをして数の力で圧倒してしまう。実際には国民の権利が奪われているのです。

では健全な民主主義を取り戻すにはどうしたらいいか。

分かり切ったことですが、まずうそをつかないことです。情報公開がもっと進まねばなりません。役人が政治家のため、また自分たちのために情報を隠すのなら、主権者たる国民への裏切りにほかならない。これでは民主主義が成立しません。もう一つは、多数派は少数派の声に耳を傾けねばならないということです。多数の利得が少数の損失のうえに築かれるのなら、それは国民全体の幸福とはいえません。国民の総意とはいえない。自由と競争は必ず不平等を生じさせますが、それを正すのが政治の役割というものです。事実にもとづく議論、適正な議会手続き、議員各人の責任感。それにより少数派は声が小さくとも守られ、多数派は多数専横の汚名から救われるのです。

◆民主主義は死なない

 むかしシュメールの王様はときどき神官にほおを平手打ちしてもらったといいます。増長をいましめ、謙虚を思い出すためです。どこかこっけいなようですが、逆にいうなら権力保持には大いに役立ったことでしょう。今なら国政の安定ということです。民主主義は死んだりしません。民主主義とは私たち自身だからです。生かすのは私たちです。危機を乗り越えて民主主義は強くなるのです。その先に経済も外交も社会保障もあるのです。分断を超え対話を取り戻さねばなりません。

[辺野古 重大局面に]国会で説明責任果たせ

                                沖縄タイムス  201911

 辺野古新基地建設を巡り、沖縄をサポートする新しい動きが生まれている。

 新基地建設の埋め立て工事を2月24日の県民投票まで停止するようトランプ米大統領に求めるウェブサイト上の署名である。昨年12月に始まり、あっという間に目標の10万筆を超えた。請願を呼び掛けたのはハワイ在住で中城村当間にルーツを持つ県系4世のロブ・カジワラさん(32)。「世界中のウチナーンチュが一丸となって立ち上がる時だ。辺野古・大浦湾を破壊する新基地建設は県民の意向に反している。首相の考えが間違いであることを示さなければならない」カジワラさんは動画投稿サイト「ユーチューブ」でこう訴え、署名を呼び掛ける。国籍に関係なく10万筆を超えると、ホワイトハウスは何らかの対応を検討しなければならない。昨年末には17万筆を突破した。署名最終日の今月7日にホワイトハウス前で直訴集会を開く。国内世論の変化もみられる。昨年12月14日の土砂投入を受けて実施した世論調査は共同通信、朝日新聞、毎日新聞とも「反対」が半数を超え、「賛成」を大きく上回った。新基地を支持する読売新聞も「反対」が「賛成」を10ポイント以上引き離した。産経新聞の「県民の民意と、国政選挙での民意のどちらが優先されるべきか」との問いに「県民の民意」が6割近くを占めた。安倍晋三首相の強行一辺倒のやり方が支持されているわけではないのである。「寄り添うと言いつつ県民踏みにじる理不尽強いる国家とはなに」(伊佐節子)「タイムス歌壇12月」に掲載された短歌だ。故翁長雄志前知事以降、沖縄との対話を排除し、強行路線をひた走る安倍首相の姿勢に、この国の民主主義が危機に陥っているとの思いである。沖縄の本土復帰に際し、国会は1971年11月、沖縄米軍基地縮小に関する決議案を可決。あれから47年が過ぎた。決議は実現していない。北部の軍事要塞(ようさい)化、先島では自衛隊の増強が同時に進行しているからなおさらだ。95年に米兵による暴行事件、米軍用地強制使用問題が起き、当時の大田昌秀知事が代理署名を拒否した。沖縄の負担軽減のために設置した日米特別行動委員会(SACO)は96年、11施設の返還で合意したが、ほとんどが県内移設条件が付いた。普天間飛行場の返還もその一つで、当初は既存の米軍基地内にヘリポートを新設することが条件だったが、新基地は長さ1800メートルの滑走路2本に加え、軍港機能を持つ。似ても似つかない計画に変貌しているのだ。負担軽減に逆行するのは明らかだ。辺野古・大浦湾は生物多様性に富む。生活に豊かな恵みを与え、感謝や祈りをささげる場でもある。その海を褐色の土砂が汚していく。多くの県民にとって文字通り自分の身体が切り刻まれるような痛みを伴うものだ。仲井真弘多元知事が公約を翻し、埋め立て承認した際に留意事項として設置した環境監視等委員会がある。環境保全が目的だが新基地建設を前提にした政府寄りの姿勢ばかりが目立つ。ジュゴン2頭の行方が分からなくなっている。沖縄県側から選出され副委員長を務め、辞任した故東清二琉球大名誉教授(享年85)は昨年8月の県民大会で「ジュゴンの食草である海藻の分布と密度、何頭いるのかなどの調査を依頼したが、何も調べない」「何を言っても響かない」とメッセージで批判した。これが委員会の内情だ。埋め立て海域にはマヨネーズ状といわれる軟弱地盤の存在が明らかになっている。県は運用開始まで13年、事業費は2兆5500億円かかると試算している。政府は工期に何年かかるのか、事業費はいくらか、全く明らかにしていない。自衛隊の共同使用を想定しているのか、これらの疑問に一切答えない。「辺野古が唯一」と呪文のように唱え、一方的に工事を強行している。新基地建設を急ぐ理由はない。工事を止めた上で、国会で新基地に絞った集中審議することを求めたい。