安倍政権の言い換え体質
                    
                         毎日新聞20181128日 東京夕刊

「物は言いよう」は、時と場合によっては人間関係の“潤滑油”になり得る。だが、政治は別ではないか。安倍晋三内閣では、集団的自衛権の行使を容認する安全保障法制を「平和安全法制」、南スーダンでの戦闘を「武力衝突」、消費増税の延期を「新しい判断」と言い換えた。今も、ある。言い換えを見逃していいのか。【奥村隆】

「ご飯論法」で印象操作 まん延する反知性主義

「今回の原告は募集に応じた人々」「政府としては、朝鮮半島出身の労働者の問題、と言っている」 韓国人元徴用工訴訟で韓国最高裁が10月30日に出した判決について、安倍首相は今月1日、衆院予算委員会でこう答弁した。「徴用工」と呼ぶのをやめ「労働者」と言い換える方針を示したのだ。太平洋戦争中の動員には「募集」「官のあっせん」「徴用」の3種類があるが、韓国人の原告たちは自ら応募したのだから「労働者」である、という主張だ。これを「ご飯論法に近い」と感じたのは、上西(うえにし)充子(みつこ)法政大教授(労働問題)。「ご飯論法」とは「朝ごはんを食べましたか」と聞かれて、パンを食べていたのに「ご飯は食べていません」と答えるような不誠実な答弁の手法だ。語句のイメージを比べてみたい。「徴用工」は植民地支配下の強制労働を想起させるが、「労働者」なら労働条件に納得して応募した自由契約の意味合いが強い。 上西教授は「安倍政権は、過労死が懸念される法改正を『働き方改革』や『高度プロフェッショナル』と言い換えたのと同様、触れられたくない中身には触れず、論点をずらしたり、はぐらかしたりして野党の追及をかわしてきました」と指摘する。徴用工を労働者と言い換えることについても「厚顔無恥話法による印象操作の一種ではないでしょうか」と批判する。 こうした中、臨時国会で最重要テーマとなっているのが、外国人の単純労働者に門戸を開く入管法改正案だ。就労目的の在留資格を創設し、事実上の「移民政策」に転換する可能性がある。だが、安倍首相は10月29日の衆院本会議でこう答弁した。「いわゆる移民政策を取ることは考えていません。新たな受け入れ制度は、深刻な人手不足に対応するため、現行の専門的・技術的分野における外国人の受け入れ制度を拡充し、真に必要な業種に限り、一定の専門性・技能を有し、即戦力となる外国人材を期限を付して我が国に受け入れようとするものです」。あくまでも「移民」ではなく「外国人材」というのだ。 この法案に対しては、国会の内外から懸念の声が上がっている。山本太郎・自由党共同代表は「外国人材は現代の徴用工です」と指弾する。「法案が成立すれば、奴隷労働みたいに非人道的なケースがあった技能実習制度の問題点を改善しないまま、低賃金で働いてくれる使い勝手のいい外国人労働者を受け入れることになる。それでも『募集に応じて日本に来た』と言うつもりでしょう」と批判する。 振り返れば、安倍内閣による言い換えは、共謀罪を「テロ等準備罪」、米軍ヘリの墜落を「不時着」、武器輸出を「防衛装備移転」、カジノ法を「統合型リゾート実施法」、公文書の情報公開を阻む法律を「特定秘密保護法」−−と、枚挙にいとまがない。日米2国間の貿易交渉については、サービスや投資分野を含めた幅広い市場開放を意味する「FTA=自由貿易協定」を使わず、物品に限定した「TAG=物品貿易協定」だと強弁している。これらの「言い換え」について、精神科医の斎藤環筑波大教授は「政治は言葉が命。不誠実な言い換えは許されません」と断じる。 ところが、内閣支持率は意外に底堅い。毎日新聞が17、18日に実施した全国世論調査では、9カ月ぶりに支持率(41%)が不支持率(38%)を上回った。 支持率が下がらない理由を、斎藤教授は「政治家の誠実さよりも経済が大事だと思って現状維持を望むヤンキー的価値観に支えられている」と分析する。政権の説明に納得していなくても、うそに慣れてしまい、目の前にある課題は「気合でなんとかなる」と考える文化に支えられているというのだ。 そんな軽薄なヤンキー文化に「ノー」を突きつけてきたのが、「仁義なき戦い」や「トラック野郎」のシリーズで一世を風靡(ふうび)した故菅原文太さんだ。日本のアウトロー文化を代表する俳優だったが、晩年は「いのちの党」を結成して政治に関与した。2014年には東京都知事選で脱原発を掲げた細川護熙元首相を応援し、沖縄県知事選でも「オール沖縄」の翁長雄志陣営に加わった。28日は4回目の命日。生きていたら、言い換えに明け暮れる安倍政権をどう見るだろう。山梨県の農場に妻文子さんを訪ねた。「安倍政権はソフトに言い換えていますが、言っていることではなく、していることを見る必要があるのではないでしょうか」と切り出した。 「平和安全法制」を「政府のデマゴギー」と断言していた菅原さん。「政治の役割は国民を飢えさせず安全な食べ物を食べさせることと、絶対に戦争をしないこと」として憲法9条を守ろうと呼び掛けていた。 文子さんは言う。「本当に平和安全のためなら、9条3項に『永世中立国となる』と付け足し、日米安保条約を友好不戦条約に変えるという理想を盛り込むべきでしょう。自衛隊の明記だけをもくろむ安倍首相が、軍事強国を目指していることは明らかです。また、自民党改憲草案からは個人という言葉が消えています。日本人は『絆』や『KY(空気を読めない)』のように、集団、世間、組織を個人より重く見る傾向があります」菅原さんも、個人よりも国家を大事にする考えに染まりやすい傾向を危惧していた。「夫は『孤独でも群れないんだ』とよく言っていました。うまく言い換えて丸め込もうとする人たちに対抗するには『強い個人』を鍛える必要があります。主権者とは何かと考え続けることの先に、日本の未来は開けると思います」安保法制に反対した俳優や演出家らでつくる「安保法制と安倍政権の暴走を許さない演劇人・舞台表現者の会」は今もなお抗議行動を続けている。「サイレントスタンディング」という表現方法で、「安保法制反対」と書いた紙を持って街頭に立っている。せりふや仕草で役柄を表現する俳優らがあえて黙り込み、言いくるめようとしてくる為政者に対抗しているのだ。趣旨に賛同する作家の池澤夏樹さんは21日、東京・六本木で開かれた会で登壇し、約300人の来場者にこう語りかけた。「反知性主義がまん延し、政権がわがまま放題をしてもいいという雰囲気になっています。これに対して嫌みを言っても駄目。一つ一つの問題を取り上げて別のやり方があるじゃないかと提案するしかない。知恵と工夫で手を替え品を替え、まだまだ戦う余地があります」 私たちは政権のせりふにだまされない「強い個人」にならなければならない。