10月20日共同代表の一人 福留一徳さんの偲ぶ会が開催されました

ホテル・観光労連シニアネットの共同代表で、情報発信を担っていただいた福留一徳さんが、8月4日に逝去されました。観光労連と出身単組の有志による呼びかけで、偲ぶ会が開催されましたのでご報告いたします。

福留一徳さんを偲ぶ会」の呼びかけ人になりました観光労連の尾崎です。8月4日に福留さんが逝去された知らせは、ツーリストの服部さんから翌日の5日の夜にいただきましたが、ご家族のご意向もあり1カ月ほど静かにしておりました。その後ご家族のご了解もいただき、今回ツーリスト労組OB会「躍進の会」と共同で福留さんを偲ぶ会をよびかけることにいたしました。会場の都合もあり、ごく限られた方々にお声をかけさせていただき本日は55名の方においでいただきました。福留さんと皆様との思い出は多方面に亘ると思います。限られた時間ですが、思い出をご披露いただきたいと思います。また久しぶりで顔をあわせるというかたも多いと思いますので旧交を温めていただきたいとおもいます。それでは宜しくお願いいたします。 
   2018年10月20日「福留一徳さんを偲ぶ会」発起人代表挨拶:おざき なるお
 


留ちゃん、ゆっくりお眠りください。福留一徳さん。お互いまだ若かったころ、貴兄は僕にとっては“留ちゃん”だった。80を超えたいまでも、やはり貴兄は“留ちゃん”だ。晩年、緑の会の副理事長として環境問題に汗を流している貴兄を、僕は強い尊敬の気持ちで見守ってきた。僕より4つも若い貴兄に先立たれ、いまなお釈然としない気持ちで毎日をすごしている。遠からず僕も貴兄のもとにいく。そうしたら芋焼酎でも飲みながらまたカンカンガクガクやろうじゃないか。
ゆっくりお眠りくださいますよう。
       合掌 北岡孝義


「福留一徳さんを偲ぶ会」にご出席いただいた皆様、そして、福留さんとご親交のあった多くの皆様と共に福留さんのご冥福を心からお祈りしたいと思います。 8月4日(金)の夜10時頃KNT労働組合OBの堀さんから「福留さんが亡くなったって!!」という電話を受けました。福留さんは鹿児島県の出身で、鹿児島在住の弟さんご一家と夕食会を計画されていたそうで、その夕食会が福留さんのご逝去でキャンセルされたという情報が堀さんに伝わったようでした。福留さんは今年1月に癌と診断され、以降闘病生活を送られていました。それでも、3月の代々木公園で開催されたシニアネットの会の大衆行動に参加されるなどして「癌」との戦いを続けられていました。6月に福留さんが入院されていた総合守谷第一病院でお会いした際には、「癌は小さくなってきたし、腹水のたまりも弱くなってきたよ」と良い兆候を喜ばれていました。それだけに突然の訃報に、ただただ驚くばかりでした。奥様を始めご遺族からは「暫くは残された家族で故人を偲びたい」とのご意向があり、「知人・友人等への連絡も当分控えてほしい」との申し入れがありました。また、ご自宅への弔問、ご供物、ご香典なども固く辞退されていました。そして、10月20日の「偲ぶ会開催のご案内」で福留さんのご逝去を皆様に報告することで、ご遺族のご了承をいただきました。ご遺族のお気持ちをご理解くださいますようお願い致します。
 さて、個人的な話しになりますが、私が福留さんと出会ったのは1972年、私が近畿日本ツーリスト労働組合中央執行委員に選出された時でした。その時、福留さんは書記長でした。1974年、福留さんは委員長に就任され、私が書記長。1977年に観光労連委員長に就任し、私がKNTの委員長と、福留さんはいつも私を引っ張ってくれました。労組役員の現役時代の福留さんのご活躍は、皆さんよくご存知の通りですが、労組役員退任後も、KNT「躍進の会」代表幹事や「ホテル・観光労連シニアネット」の共同代表と労組関係の活動で活躍してこられました。また、お住まいの守谷市では、EM菌の植栽や瓶詰の商品化を初め様々な地域活動に取り組まれ、まさに、亡くなられるまで文字通り「現役」で頑張ってこられたのです。福留さんは現役時代も退職後も、私にとっていわば人生の目標でしたが、追いつくこともできないままお見送りすることとなりました。
福留一徳さんのご冥福を、心よりお祈り申しあげます。
                         服部 博

JTBOBの関根です、福留さんとは同じ1942年生まれです。留めさんと初めてお会いしたのは私が20代後半の観光労連の事務局次長になったばかりの春闘の折だったと記憶しています。確か近藤さんが委員長で留めさんが書記長交渉後戻ってきた留めさんに"厳しいですね"と声を掛けた私に彼は"厳しいのは当たり前それを乗りこえるのが当然"と冷静に答えました。その時、何と腹の据わった人なんだと感心したのを今でもくっきりと覚えています。さて、今年4月20日に北千住の寿司屋での飲み会が最後になってしまいました。久しぶりに会って余りの激やせにびっくりしてしまいました。話しを伺うと癌を患いジョギングもままならないとの事、医師には手術を勧められたが断った事、冷静かつ的確な判断をされたことに舌を巻きました。私も年を考え同じ判断を下したであろうと思います。留めさんとは卒業後ほぼ年2回春と秋に飲み会を行っていました。会の名称は"のびるの会""ぎんなんの会"と変遷していますが、政治や経済社会問題など思いつくままに自由な意見交換をすることが出き私にとっては何よりの楽しい場となっていました。留めさんはJTBOBの鈴木征四郎氏に誘われ2014年スペインのサンチャゴの巡礼路の旅や、2015年悪天候の熊野古道14日間の旅など大変な目に遭いながらなぜか鈴木氏に誘われると断れないのかと不思議に思っています。
留めさんのご冥福を心よりお祈り致します。
                            関根 富保

          


          
            
心よりご冥福をお祈り致します   合掌