続く迷走、苦しい弁明 PKO日報、足元からも疑問の声
朝日新聞社説:PKO日報 国民に隠された「戦闘」
    
              朝日新聞2017年2月10日

 東京新聞社説:PKO日報開示「戦闘」認め、撤収検討を
                   東京新聞2017年2月10日

南スーダンPKOと「日報」をめぐる動き

 混乱が続く南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊の日報をめぐり、稲田朋美防衛相が苦しい弁明に追われている。9日には、いったん「廃棄」とした日報が見つかったとの自身への報告が1カ月遅れだったことも明らかになった。日報に記された「戦闘」をめぐる答弁も野党から追及され続け、足元から不安の声が漏れ始めている。

■防衛省、発見1カ月後に報告

 「隠蔽(いんぺい)する意図はまったくなかった」

 9日の衆院予算委員会。稲田防衛相はこう述べ、防衛省が「廃棄」としていた日報が「発見」されたことについて、こう強調した。ただ防衛省は昨年末に文書を見つけながら、大臣に報告したのはその1カ月後。稲田氏は国会で、「発見されたのが昨年12月26日、私あて(の報告)が今年1月27日です」と明らかにせざるを得なかった。

 昨年7月に南スーダンの首都ジュバで起きた大規模戦闘についての日報は存在するのか。そもそも、迷走の末の文書開示だった。

 ジャーナリストの布施祐仁さんが「南スーダン派遣施設隊が現地時間で2016年7月7日から12日までに作成した日報」を開示請求したのは、昨年9月30日。防衛省は日報を作成する陸上自衛隊の派遣部隊と報告先の中央即応集団司令部を中心に文書を探したが、廃棄していたことを11月初めまでに確認した。

 12月2日付で「すでに廃棄しており、保有していなかったことから、文書不存在につき不開示」と決定。同16日には稲田氏に「廃棄したが違法ではない」と報告した。

 ところが、元公文書管理担当相の河野(こうの)太郎・自民党衆院議員のもとに、こうした経緯に関する情報提供があったことで事態が動いた。河野議員は同22日に防衛省の担当者を呼び、「電子データすら残していないのはおかしい」などと再調査を求めた。

 閣僚経験者でもある河野議員からの追及に、防衛省は慌てた。「放っておくと大変なことになると騒ぎになった」(自衛隊幹部)。改めて探したところ、4日後には電子データが残っていたことが判明した。

 だが、防衛省は稲田氏にすぐに報告しなかった。報告が上がったのは、2月6日に河野議員に開示する10日前。河野議員は文書を受け取るとすぐに、自身のツイッターやフェイスブックで公表した。

 自衛隊の制服組トップである河野(かわの)克俊・統合幕僚長は9日の定例記者会見で「発見した時点で大臣に報告すべきだった」。統合幕僚監部でどの部分を黒塗りにするかといった作業などに時間がかかったと釈明した。

 同監部によると、日報の電子データを保存していた担当者は、11月に不開示を決定していいか照会された際、「7月の日報なんてとっているのかな」と思ったまま確認せず、不開示を了承していたという。

 稲田氏への報告は後手に回り、文書には「戦闘」という表現もあった。それだけに、野党は「隠蔽ではないか」との疑念を強めている。社民党の吉田忠智党首は「明らかに隠していた」と批判。共産党の志位和夫委員長は「現地の自衛隊がどういう状況に置かれていたか明らかにすべきだ」と話した。

 政府の情報開示のあり方が問われる中、稲田氏は9日、「(一連の経緯は)おかしいと思っている」と周囲に漏らし、菅義偉官房長官は記者会見で怒りをあらわにした。「あまりに怠慢。発見してまず大臣に報告すべきだった。厳重注意に値する」

■「戦闘」派遣是非に波及

 「目の前で弾が飛び交っているのは事実だ。そういう状況を彼らの表現として『戦闘』という言葉を使ったと思う」

 河野統幕長は9日の会見で、2016年7月11、12日付で部隊が作った日報「日々報告」を記した隊員の思いを代弁した。一方で、部隊に対してこう指導したことも明らかにした。「(言葉の)意味合いをよく理解して使うように」

 河野氏の発言は、国会での政府答弁に配慮し、現場として今後は「戦闘」という言葉を使わない――という「宣言」と言える。

 9日の衆院予算委では、民進党の後藤祐一氏が「日報に『戦闘』と書いてあるじゃないか。一般的な用語としての戦闘はあった、ということでよろしいか」と述べ、稲田防衛相を追及。日報に複数箇所出てくる「戦闘」という表現をめぐり、認識を問うた。

 「和平合意の進捗(しんちょく)は進展が乏しく、ジュバにおける両勢力の戦闘により、さらに時間を要するものと思料」「両勢力による戦闘が確認されていることから、朝方からの一部の勢力による報復等行動……」

 日報が書かれた当時、大統領派と副大統領派が銃撃戦を交わして数百人が死亡するなど、12年に自衛隊が南スーダンで活動を始めて以来、ジュバは「最大の混乱」(防衛省幹部)状態にあった。

 だが、稲田氏は「(『戦闘行為』とは)国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」という政府の定義の説明に終始。「人を殺傷し、ものを破壊する行為はあった」と認めるものの、「客観的な事実としては、国際的な武力紛争の一環としては行われていなかった」と強調し、8日の答弁同様、日報の「戦闘」から「戦闘行為」を切り離した。

 「矛盾」と受けられかねないこうした政府の姿勢には、足元からも疑問の声が出始めた。

 自民党中堅は「戦時中、明らかに戦争なのに『事変』や『事件』と言い方を変えていたことと全く同じだ」と指摘。陸自幹部は「目の前で砲弾が飛び交っていれば、それは戦闘だ。その表現を使うのを問題にされても困る」と漏らした。

 PKO参加5原則に抵触しないためには、政府として「戦闘行為」と認めるわけにいかない――。そんな思惑が見え隠れするだけに、防衛省幹部は「稲田氏の答弁は実体面としては厳しいが、これで言い続けるしかない」。別の防衛省幹部は「日報が見つかったことで、南スーダンPKOの是非そのものに飛び火してしまった」と漏らした。(相原亮、福井悠介、三輪さち子)

■着弾・銃撃… 南スーダン「大虐殺リスク」

 南スーダンの首都ジュバで昨年7月に起きた大規模な戦闘は、キール大統領を支持する政府軍と、マシャル副大統領(当時)が率いる勢力との間で発生した。自衛隊の文書の内容は、記者が現地取材で得た情報とも合致する。

 7月11日付の文書には、「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」とある。

 南スーダン政府軍報道官によると、マシャル派は7月10〜11日、空港制圧を狙い、自衛隊宿営地の隣で建設中だった9階建てビルを占拠。ここからロケット砲などで政府軍を攻撃した。2日間の激しい銃撃戦の末、兵士5人とマシャル派23人が死亡した。

 7月12日付文書には「今後もUN(国連)施設近辺で偶発的に戦闘が生起する可能性」「直射火器の弾着」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」とある。

 国連報告や関係者によると、国連宿営地内の182の建物が銃弾やロケット弾を受け、中国部隊の隊員2人が死亡。宿営地内にいた避難民も含め、戦闘では計数百人が死亡した。国連施設付近では大破した政府軍の戦車が放置され、迫撃砲弾で吹き飛んだ家屋もあった。施設近くのホテルでは、国際NGOの職員が政府軍兵士に集団でレイプされる事件も起きた。

 現在、ジュバの治安は比較的安定しているが、マシャル氏は、首都への攻撃を含めて政府軍への抗戦を呼びかけており、先は見通せない。さらに南部や北部では民族対立を背景とした戦闘が続く。国連のアダマ・ディエン事務総長特別顧問は今月7日、「(民族間の)大虐殺が発生するリスクが常に存在している」と警告する声明を出した。

 治安の悪化で農業ができず、国連世界食糧計画(WFP)は、国民の約4割にあたる460万人が今年、深刻な食料不足の状態になると推計する。食料をめぐって、さらなる戦闘や略奪が起きる恐れもある。

 少数派民族を中心とした人々は周辺国に脱出しはじめており、南隣ウガンダには1月だけで5万2千人超が流入した。複数の避難民は今月上旬、朝日新聞の取材に「多数派民族に属する政府軍兵士が、集団で市民を虐殺したり女性をレイプしたりしている」と証言した。(ヨハネスブルク=三浦英之)


朝日新聞社説:PKO日報 国民に隠された「戦闘」

 これまでの政府の説明は何だったのか。現場とのあまりの落差にあぜんとする。

 昨年7月の南スーダンの状況を記録した、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報などの文書を防衛省が公表した。

 この当時、政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘が起きた。文書には、部隊が派遣された首都ジュバの、生々しい状況が記録されている。

 「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」。事態が悪化すれば、PKOが継続不能になる可能性にも言及している。

 こうした状況について、政府はどう説明していたか。

 昨年7月12日、当時の中谷元防衛相は「散発的に発砲事案が生じている」と述べた。安倍首相は10月に「戦闘行為ではなかった。衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と国会答弁した。

 ジュバの状況を、政府はなぜ「戦闘」と認めないのか。

 稲田防衛相はきのうの衆院予算委員会でこう説明した。

 「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

 政府は「戦闘行為」について「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」と定義する。こうした「戦闘」が起きていると認めれば、憲法やPKO参加5原則に抵触し、自衛隊はPKOからの撤退を迫られる。

 稲田氏は「国際的な武力紛争の一環とは評価できない」とするが、派遣継続ありきで「戦闘」と認めないとも取れる。

 「戦闘」が記された文書は、昨年9月に情報公開請求され、防衛省は文書を「廃棄した」として不開示とした。ところが、自民党の河野太郎衆院議員に再調査を求められ、範囲を広げて調べ直すと別の部署で見つかったとして一転、公開された。

 この間、政府は10月に南スーダンPKOの派遣を延長し、11月以降、安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」が初めて付与された部隊が出発した。

 こうした政府の決定は結果として、国民にも、国会にも重要な判断材料を隠したままで行われた。駆けつけ警護の付与、さらにはPKO派遣継続自体の正当性が疑われる事態だ。

 そもそも、このような重要な記録を「廃棄した」で済ませていいはずがない。不都合な文書を恣意(しい)的に隠したと疑われても仕方がない。安倍政権は厳しく襟を正すべきだ。


東京新聞社説:PKO日報開示 「戦闘」認め、撤収検討を

 「戦闘」を「武力衝突」と言い換えても、南スーダンの首都ジュバが、緊迫した状況であることは隠しようがない。PKO五原則に基づいて、派遣されている陸上自衛隊の撤収を検討すべきである。

 自衛隊部隊が国連平和維持活動(PKO)のために派遣された南スーダンの緊迫した治安状況が伝わってくる。防衛省が昨年七月十一、十二両日の部隊の日報などを開示した。ジュバでは当時、大規模衝突が発生し、二百七十人以上の死者が出ていた。

 日報には、大統領派と反政府勢力の「戦闘が生起した」ことや自衛隊宿営地近くでの「激しい銃撃戦」などが記されている。

 紛争当事者間で停戦合意が成立していることを自衛隊派遣の前提とするPKO五原則の要件を満たしているとは言い難い状況だ。

 にもかかわらず、稲田朋美防衛相は「法的な意味における戦闘行為ではない」と答弁した。自衛隊派遣継続のための詭弁(きべん)ではないか。

 日報の開示に至る経緯も不可解だ。日報は昨年九月に情報公開請求され、当初、廃棄済みを理由に不開示とされていた。その後、範囲を広げて再調査したところ、電子データが見つかったとして、一部を黒塗りした状態で開示した。

 この間、政府は十月、自衛隊部隊の派遣期間延長を閣議決定し、十一月以降は派遣部隊に、安全保障関連法に基づいて「駆け付け警護」と「宿営地の共同防衛」の任務が追加された。

 当時、国会ではPKO部隊の派遣延長や駆け付け警護任務などの付与の是非が議論になっていた。

 この日報が遅滞なく開示され、南スーダンの厳しい状況が明らかになっていたら、撤収を求める意見は強まっていただろう。自衛隊派遣の延長を認め、安保法に基づく新任務を付与できただろうか。

 稲田氏は「隠蔽(いんぺい)ではない」とするが、派遣継続のために意図的に隠したと疑われても仕方がない。

 加えて、防衛省・自衛隊が日報の存在を把握した後、稲田氏に一カ月間報告しなかったことも明らかになった。シビリアンコントロール(文民統制)を脅かす深刻な事態である。徹底的に調査し、国会に報告すべきだ。

 安倍晋三首相は自衛隊員に死傷者などの犠牲が出た場合、首相辞任の覚悟を持たなければいけないと語ったが、より重要なことは死傷者を出さないために何をすべきかである。南スーダンはPKO五原則を満たしていない。直ちに撤収を検討すべきである。