歴史的な選挙となった。

 1956年、結党間もない自民党が掲げた憲法改正を阻むため、社会党などが築いた「3分の1」の壁。これが、60年たって参院でも崩れ去った。

 自民、公明の与党が大勝し、おおさか維新なども含めた「改憲4党」、それに改憲に前向きな非改選の無所属議員もあわせれば、憲法改正案の国会発議ができる「3分の2」を超えた。衆院では、自公だけでこの議席を占めている。

 もちろん、これで一気に進むほど憲法改正は容易ではない。改憲4党といってもめざすところはバラバラで、とりわけ公明党は慎重論を強めている。

 それでも、安倍首相が「次の国会から憲法審査会をぜひ動かしていきたい」と予告したように、改憲の議論が現実味を帯びながら進められていくのは間違いない。

 いまの憲法のもとでは初めての政治状況だ。まさに戦後政治の分岐点である。

 ■判断材料欠けた論戦

 首相は憲法改正について、選挙前は「自分の在任中には成し遂げたい」とまで語っていたのに、選挙が始まったとたん、積極的な発言を封印した。

 それでいて選挙が終われば、再び改憲へのアクセルをふかす――。首相は自らの悲願を、こんな不誠実な「後出し」で実現しようというのだろうか。

 有権者がこの選挙で示した民意をどう読み解くべきか。

 首相が掲げたのは、消費税率引き上げ先送りの是非と、「アベノミクス」をさらに進めるかどうかだった。

 消費税率引き上げについては、民進党の岡田代表が先んじて先送りを表明した。一方、民進党はアベノミクスの限界を指摘したが、それに代わりうる説得力ある案は示せなかった。

 逆に自民党は、民進党が掲げた「分配と成長の両立」をなぞるように「成長と分配の好循環」と訴えた。

 野党側は安倍政権による改憲阻止を訴えたが、首相はこれにはこたえない。また、推進か脱却かの岐路にある原発政策は、多くは語られなかった。

 結局、有権者には判断材料が乏しいままだった。

 「アベノミクスは失敗していないが、道半ばだ」という首相の説明には首をかしげても、「しばらく様子を見よう」と有権者の多くは現状維持を選んだと見ることもできよう。

 ■反発恐れ「改憲隠し」

 安倍首相が今回、憲法改正への意欲を積極的に語らなかったのはなぜか。

 「2010年に憲法改正案の発議をめざす」。公約にこう掲げながら惨敗し、退陣につながった07年参院選の苦い教訓があったのは想像に難くない。憲法改正を具体的に語れば語るほど、世論の反発が大きくなるとの判断もあっただろう。

 首相はまた、改憲案を最終的に承認するのは国民投票であることなどを指摘して「選挙で争点とすることは必ずしも必要ない」と説明した。

 それは違う。改正の論点を選挙で問い、そのうえで選ばれた議員によって幅広い合意形成を図る熟議があり、最終的に国民投票で承認する。これがあるべきプロセスだ。国会が発議するまで国民の意見は聞かなくていいというのであれば、やはり憲法は誰のものであるのかという根本をはき違えている。

 「どの条項から改正すべきか議論が収斂(しゅうれん)していない」と首相がいうのも、改憲に差し迫った必要性がないことの証左だ。

 この選挙結果で、憲法改正に国民からゴーサインが出たとは決していえない。

 ■次への野党共闘は

 憲法改正に直ちに進むかどうかは別にしても、国政選挙で4連勝した安倍首相が、当面、極めて強固な権力基盤を手にしたのは間違いない。

 単に国会の勢力だけの話ではない。安倍氏は首相に返り咲いてから、日銀総裁、内閣法制局長官、NHK経営委員と、本来は政治権力から距離を置くべきポストを自分の色に染めてきた。内閣人事局を通じ、各省幹部人事にもこれまでにないにらみをきかせている。

 「安倍1強」に対抗できる、あるいは歯止めとなりうる力が統治機構の中に見あたらない。

 一方、民進、共産など野党4党は、安全保障関連法廃止や改憲阻止を旗印に、32の1人区すべてで候補を統一し、一定の結果を残した。ただ、全国的に政権批判の受け皿になるには力強さを欠いた。終盤になると、与党側から野合批判、とりわけ自衛隊を違憲とする共産党との共闘への激しい攻撃を浴びた。

 もっとも、共闘していなければ、1人区の当選者はさらに限られただろうことを考えれば、共闘の試みに意味はあった。

 小選挙区制の衆院、1人区が全体の結果を左右する参院のいまの選挙制度では、巨大与党に対抗するには野党共闘が最も有効であるのは間違いない。

 政権選択を問う次の衆院選に向けて、どのような共闘ができるか。野党側が戦える態勢をととのえられなければ、自民ひとり勝ちの選挙がさらに続きかねない。