法制は体の骨格のようなものだ。そこに筋肉をつけ、神経を張りめぐらさなければ、思うように動かすことはできない。
日本の対外政策を大きく変える安全保障関連法がきょう、施行された。この法律は日本や地域の安定を保つため、米国や友好国との協力を強めるのが目的だ。それが目指す方向は誤っていない。
ただ、いくら法律の趣旨が正しくても、稚拙な運用をすれば、大きな混乱を招いてしまう。そうならないよう、政府や自衛隊は入念に体制を整えてもらいたい。
理解を得る努力重ねよ
その意味でまず気がかりなのが、安保法がなお、国民の理解を得られていないことだ。世論調査によると、この法律を評価しないという答えがほぼ半数を占める。
何がなんでも反対という人ばかりではあるまい。その狙いは分かるが、制定に向けた安倍政権の対応に不安を募らせている人も少なくないはずだ。
安倍晋三首相は、祖父の岸信介元首相による日米安全保障条約改定が後に評価されたとして、今回もいずれ理解されると強調する。
しかし、その認識は間違っている。岸氏が果たしたのは、日本への防衛義務を米側に負わせる改定だった。逆に、今回は日本がリスクを負い、米国への支援を増やすことになる。説明責任は、はるかに重い。上から目線ではなく、理解を得る努力を続けるべきだ。
安保法の柱は主に3つある。
第1に、集団的自衛権の行使が一部、認められる。日本の存立が脅かされる危機が迫ったとき、日本が攻撃されていなくても武力を行使できるというものだ。
これは違憲ではないかとの批判もある。だが、戦後、憲法解釈は時代とともに変わってきた。かつては自衛隊を違憲とみなす説もあった。この法律も許容範囲内とみるべきだ。
第2は、日本の存立を危うくするほどではないが、重要な影響が及びかねない事態への対応だ。地理的な制約なしに米軍などを後方支援できるようになる。
第3に、日本にただちに影響しない危機でも、国際貢献上、必要であれば、多国籍軍などへの後方支援が認められる。
このほか、国連平和維持活動(PKO)に参加している自衛隊が武器を使い、離れた所で襲われた他国軍兵士や民間人を助ける「駆けつけ警護」も可能になる。
もっとも、法的に認められたからといって、自衛隊がすぐに新しい任務を担えるわけではない。いずれの活動も、これまでにない危険を伴う。戦闘を避けられない場面もあり得る。
政府は自衛隊の訓練を徹底するなど、万全の準備を尽くしてほしい。そのうえで体制が十分に整った任務から、順次、部隊に付与していくべきだ。
そこで大切なのが、米国との入念なすり合わせだ。集団的自衛権の行使や後方支援の対象は、おもに米軍を想定している。
米側が必要としない支援を準備しても、あまり意味はない。危機に際し、優先度が高いのはどのような支援なのか。日米でよく調整しておくことが肝心だ。
いざという事態になったとき、安保法を発動するかどうか、政府は極めて重大な判断を迫られる。法的な要件を満たしたからといって、ただちに自衛隊を出すわけではない。
成否にぎる情報力
日本の国益やアジア地域、国際社会への影響を冷徹に分析し、派遣すべきかどうか、慎重に検討しなければならない。
最高指揮官である首相と、首相を補佐する閣僚や官僚には、これまで以上に高い見識と判断力が求められる。必要な情報をすばやく入手して分析し、集約できる体制がより重要になる。
今回の法制に周辺国が疑念を強め、地域の緊張が高まってしまったら元も子もない。そうした事態を防ぐためにも、外交の役割はさらに増える。ましてや、周辺国との対立をあおるような言動を、政治家がするのは論外である。
とりわけ課題になるのが、台頭する中国との関係だ。尖閣諸島や歴史問題をめぐる対立は、すぐには解けそうにない。ならば、経済や環境など互いに恩恵を受けやすい協力を積み重ね、緊張を和らげていくことが次善の策だ。
第2次世界大戦で日本は国策を誤り、国内外に大きな惨禍を広げた。これらの教訓を検証し、生かすことも忘れてはならない。今回の法整備で日本がより安全になるかどうかは、これからの取り組みにかかっている。