社説:辺野古和解勧告 事態打開のきっかけに
 記者の目:沖縄・宜野湾市長選 普天間の行方
    
        毎日新聞 2016年2月9日
 

 
米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設をめぐり国が県を訴えた代執行訴訟で、福岡高裁那覇支部が双方に和解を勧告した。

 行政訴訟は、民事訴訟と違って妥協が成立しにくいため、今回のように裁判所が和解案を示すのは極めて異例のことだ。国、県双方とも簡単には受け入れられないだろうが、耳を傾けるべき内容も含まれている。

 和解案は二つあるが、非公表のため不明な部分も多い。判明しているところでは、「根本的な解決案」とされるものは、県が辺野古埋め立て承認の取り消しを撤回し、国は辺野古に代替施設を建設後、30年以内に返還するか軍民共用にするかを、米国と交渉するよう求めている。

 もう一つの「暫定的な解決案」は、国が代執行訴訟を取り下げて移設工事を中止し、県と再協議する。それでも折り合わなければ、代執行よりも強制力の弱い違法確認訴訟で争うよう求めている。

 「根本案」は、辺野古に代替施設を造ることを前提としており、どちらかと言えば国寄りの案だ。ただ、米国が代替施設の使用期限を30年以内とすることに応じる見通しはないため、日本政府にとってその点は受け入れにくいと見られる。

 一方、「暫定案」は、訴訟取り下げと工事中止を求めており、県寄りの案と言える。

 2案への対応について、菅義偉官房長官は「対応が可能かどうか検討している」、翁長雄志(おながたけし)知事は「全く白紙だ」と述べるにとどまっている。

 根本案には国も県も否定的で、暫定案には県の一部に評価する意見があるようだ。今後の展開は不透明だが、裁判所が異例の勧告をした意味を考えてみる必要はあるだろう。

 辺野古移設問題は、法廷で司法判断が出たとしても、国と県の対立は解消されにくい。

 代執行訴訟の判決で、仮に埋め立て承認取り消しの撤回を求めた国の訴えが認められても、県が反発する中で建設される代替施設を安定的に運用していくのは難しいだろう。逆に国の訴えが退けられても、国は工事を続けながら、最高裁に上告するものと見られる。

 裁判所は、この問題は政治の場で知恵を出し合い、対話によって解決すべきものだと言いたいのではないか。

 暫定案が違法確認訴訟への切り替えを促したことは、裁判所が代執行訴訟に疑問を持っているようにも受け取れる。

 和解案をきっかけにして、国と県はもう一度、話し合い解決に向けた努力をしてはどうか。また、今回のように社会的影響が大きい裁判の場合、裁判所は和解案の内容を公表するよう検討してもらいたい。


記者の目:沖縄・宜野湾市長選 普天間の行方=佐藤敬一(那覇支局)

「民意変化」と見誤るな

 米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の市長選(1月24日投開票)は、普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設を推進する政府・与党が支援した現職の佐喜真淳(さきまあつし)氏(51)が再選した。移設に反対する翁長雄志(おながたけし)知事が支援した新人の志村恵一郎氏(63)を大差(2万7668票対2万1811票)で破ったことで、政府は沖縄での移設反対の民意は崩れたとして、移設を推進する構えだ。しかし、今回の選挙で本当に民意が崩れたといえるのか。市民は普天間飛行場の早期返還を願いながら、「普天間を同じ県内に押し付けていいのか」と葛藤しながら投票した。この複雑な感情を理解せず、政府が強引に辺野古移設を進めるならば、沖縄との溝は深まるばかりだ。

 市の面積の4分の1を占める普天間飛行場は市のど真ん中に位置する。周囲に住宅や学校、病院などが密集して「世界一危険な飛行場」と呼ばれ、2004年には隣接する沖縄国際大に米軍ヘリが墜落した。12年からは安全性が疑問視されたオスプレイが配備され、市民は文字通り眠れない日々を過ごしている。

 2年前に取材した女性の話を思い出す。米軍ヘリ墜落事故で、現場のすぐ近くに住み、部屋から赤ん坊を抱えて間一髪で逃げた女性は「毎日のことなので慣れないとやっていけないが、米軍機が上空を飛ぶ異常さが日常化しているのが怖い」と語った。

県内移設でなく、早期返還の支持

 昼夜問わず頭上を米軍機が飛び交う中で、「普天間飛行場の早期返還を実現してほしい」は市民共通の願いだ。だからこそ、佐喜真氏も志村氏も危険性除去に向けた普天間飛行場の早期返還や、政府が前知事に約束した5年以内の運用停止を訴えた。ただ一点、両者の違いとなって表れたのが辺野古移設への姿勢で、志村氏が知事と共闘しての反対を前面に打ち出したのに対して、佐喜真氏は移設の賛否を明言しなかった。

 なぜ選挙結果が大差となったのか。毎日新聞が投票日に実施した出口調査では、辺野古移設に「反対」とした有権者は56%に上った。普通であれば志村氏が有利なはずだが、このうち佐喜真氏に投票した人が23%いた。辺野古移設を推進する政府の姿勢を「支持しない」も55%だったが、うち3割近くが佐喜真氏を選んだ。

 調査結果には、基地負担を押し付けられている市民の複雑な感情が読み取れる。選挙中、有権者からは「なぜ宜野湾市長選で『辺野古』が争われるのか」「移設先は政府が決めること。誰が自分たちの生活を良くしてくれるかで判断する」という声をよく聞いた。すなわち、辺野古移設には反対だが、日々の生活にある「危険」をいち早く撤去させなければならないという葛藤の中、一定数の人たちが辺野古移設を投票の判断材料とせず、実績のある現職に流れたことが予想以上の差になったといえる。

選挙の度に分断 悩みながら投票

 「振興策」に期待して佐喜真氏に投票したという会社員の男性(42)は訴える。「普天間飛行場は早く返還してほしい。でも、同じ県内の辺野古に移すことに複雑な思いがあり、みんなが悩んでいる。だから『宜野湾市民が辺野古を選んだ』と思ってほしくない」。普天間飛行場のすぐ近くで暮らし、志村氏を支持した自営業の呉屋力さん(48)も「今度の選挙で『宜野湾市民は辺野古賛成だ』と大枠でとらえてほしくない。私たちは普天間を早く返還してもらいたいだけなんです」と語る。

 選挙結果を受け、政府は翁長知事が掲げる移設反対の「オール沖縄」を「実態と大きくかけ離れている」(菅義偉官房長官)と主張した。まるで、沖縄の民意が辺野古移設支持に変わったとの印象を国民に植え付けようとしているかのようだ。しかし、複雑な市民感情や出口調査の結果が示すように、宜野湾市長選で示された民意は辺野古移設支持ではなく、普天間飛行場の早期返還だ。にもかかわらず、政府が移設反対の民意が崩れたとアピールするのは、安倍政権への「強行」批判をかわすための本土に向けたものであり、沖縄の声は聞かずに辺野古移設を強行しようとする姿勢の表れではないか。

 1996年4月の日米両政府による普天間飛行場の返還合意から間もなく20年がたつ。この間、沖縄は選挙の度に分断を強いられてきた。本当に辺野古が唯一の解決策なのか。政府、そして本土で暮らす人たちは、過重な負担を押し付けられた下で常に選択を迫られる沖縄の不条理に目を向け、「沖縄にのみ負担を強いる日米安保体制は正常といえるのか」という問いかけに答えなくてはならない。