●集団的自衛権 憲法違反に関する 各社の社説 各社どのような見解か 賢明な皆さん 比べてみてください。 東京、毎日、朝日、読売の各紙(6月5日~6日に掲載) |
◍東京新聞社説: 安保法制審議 違憲でも押し通すのかやはり憲法違反との疑いは免れない。集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制である。安倍内閣は憲法学者の指摘を重く受け止め、「違憲法案」を強引に成立させることがあってはならない。 粋な人選か、それとも「墓穴」を掘ったのか。政権与党の自民、公明両党などが衆院憲法審査会の参考人として推薦した有識者が、政府提出の安全保障法制を憲法違反と断じる異例の展開である。 四日の同審査会で自公両党と次世代の党が推薦した長谷部恭男早稲田大教授が、集団的自衛権の行使を認めた昨年七月の憲法解釈変更に基づく安保法制について「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす」と指摘した。 民主党推薦の小林節慶応大名誉教授と維新の党推薦の笹田栄司早稲田大教授も同様に違憲との見解を示した。妥当な指摘だろう。 憲法九条は、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇と武力の行使を放棄している。憲法で許される自衛権の行使は、日本を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使はその範囲を超え、憲法上許されない。政府はそうした憲法解釈を堅持してきた。 長年の国会審議を通じて積み重ねてきた集団的自衛権の行使を違憲とする憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変え、行使容認を反映した安保法制の成立を強引に図ることはやはり許されない。 ところが、安倍内閣は意に介していないようである。 菅義偉官房長官はきのうの記者会見で「現在の解釈は、従来の政府見解の枠内で合理的に導き出せる。違憲との指摘は当たらない」と強調し、中谷元・防衛相も衆院特別委員会で「憲法解釈(変更)は行政府の裁量の範囲内で、憲法違反にはならない」と述べた。 法律が憲法違反か否か、最終的に決定する権限を持つのは最高裁判所ではある。 しかし、著名な憲法学者がそろって、それも国権の最高機関である国会で、安保法制=違憲論を展開したことの意味は重い。 長谷部氏ら三氏以外にも、全国の憲法学者二百人近くが法案に反対する声明を出している。 政府は法案撤回に応じるか、せめて今国会成立は断念すべきだ。憲法学者の警告を無視し、国会での議論も尽くさず、「夏までに」という米国との約束を盾に、違憲法案の成立を急ぐべきではない。 |
◍毎日新聞社説: 安保転換を問う 「違憲法案」見解◇根本的な矛盾あらわに集団的自衛権の行使は、憲法上「許されない」としてきた解釈を「許容される」へと逆転させる。こんな解釈改憲を認めれば、憲法の規範性は損なわれ、憲法に対する国民の信頼は失われかねない。安全保障関連法案がもつ根本的矛盾が改めて突きつけられたと言えよう。 衆院憲法審査会で、与野党の推薦により参考人として出席した憲法学者3人がそろって、集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案は「憲法違反」との見解を示した。 とりわけ自民党が推薦した長谷部恭男・早稲田大教授までもが違憲と断じたことを、政府は重く受け止めるべきだ。長谷部氏は「従来の政府見解の基本的論理の枠内では説明がつかないし、法的安定性を大きく揺るがす」と強い懸念を示した。 この機会に今一度、憲法と集団的自衛権の関係を整理しておきたい。 憲法9条は、戦争を放棄し、戦力を持たず、交戦権を認めないと定めている。ただ、憲法前文の平和的生存権と13条の幸福追求権から、自衛のための必要最小限度の武力行使は認められると解釈される。一方、日本が直接攻撃されていないのに、他国への攻撃に反撃する集団的自衛権の行使は、必要最小限度の範囲を超え、憲法上許されない−−。歴代政権はこのように解釈してきた。 ところが安倍政権は、自衛のための必要最小限度の武力行使は認められるという考え方は維持しつつ、安全保障環境が変わったため、その中に集団的自衛権の行使も一部、含まれると、解釈を変更した。 憲法学者からの「違憲」との指摘に対し、菅義偉官房長官は「憲法解釈として法的安定性や論理的整合性は確保されている。違憲という指摘はあたらない」と語った。中谷元防衛相も「行政府の憲法解釈の裁量の範囲内だ」と述べた。 だが、安全保障環境の変化という抽象的理由で結論を正反対に変える憲法解釈変更について、法的安定性は維持されていると強弁しても説得力はあるまい。 憲法審査会では、自衛隊による他国軍への後方支援も議論になった。 長谷部氏は、関連法案で後方支援の範囲が広がることについて「武力行使と一体化する恐れが極めて強い」と違憲の恐れを指摘した。 小林節・慶応大名誉教授も「後方支援は日本の特殊概念で、戦場に後ろから参戦するだけだ」と語った。 関連法案の根幹をなす集団的自衛権と後方支援の2分野で、重大な違憲の疑義が示された。与野党は、憲法との関係について、集中審議を開くなど徹底的に議論すべきだ。 |
◍朝日新聞社説: 「違憲」法制 崩れゆく論議の土台およそ法たり得ないものが国会で論議されているという根本的な指摘に、政府と与党は耳を傾けるべきだ。 国会で審議が続く安全保障関連法案は憲法に違反する。集団的自衛権の行使を認めるという中身も、憲法改正をせずに事実上の改憲をしようとする手続きのいずれにおいても――。 衆院憲法審査会で憲法学者3人がそろって「憲法違反」との見解を示した。ほかの多くの憲法学者や日本弁護士連合会も相次いで声明を出している。 日本は立法、行政、司法が分かれ、互いに監視しあう三権分立をとる。しかしこの相互チェックは、その響きが与える印象ほど行き届いてはいない。 たとえば、違憲のおそれが強い法がうまれようとするとき、「憲法の番人」といわれる最高裁に出る幕はない。 ドイツなど一部の国には憲法裁判所があり、それぞれの法律が憲法に適合するか直接判断する。日本はそのしくみをとらず、裁判所に持ち込まれた個々の事件について判断する。 つまり、違憲のおそれがある法律については、それによってもたらされた結果について異議や救済を申し立てる裁判が起こされ、そこで初めて司法のチェックが入るのだ。 裁判になっても、訴えた人の権利が実質的に侵害されたとみなされなければ、違憲かどうかの本題に入る前に門前払いされることもある。司法チェックはかなりの時差と回り道を伴う。 今回の安保関連法案も、仮に国会で成立したら、司法判断が示されるのは、自衛隊員が死傷したり、自衛隊の行為で外国人が危害を受けたりして、訴訟になってからかもしれない。 だからこそ法を世に出す国会の責任は重い。国会は、みずからの立法行為が将来の司法による審判に本当に堪えうるものなのかどうか、入念に審査する必要がある。その責任が三権分立には織り込まれていると考えるべきだ。 専門家からの相次ぐ疑義の声を受けて、きのうの衆院特別委員会で、民主党議員は法案撤回を求めた。 内閣の提出した法案が、国会の場で次々と「違憲」の烙印(らくいん)を押されるのは異常事態と言うほかない。もはや論議の土台が崩れつつあるのではないか。 ところが、中谷防衛相ら政府側は「行政府による憲法解釈の裁量の範囲内」と言い切る。 根源的な問いかけを無視し、なにごともなかったかのように国会審議を続けるとしたら、法治国家の体をなさない。 |
◍読売新聞社説: 集団的自衛権 限定容認は憲法違反ではない中谷防衛相は安全保障関連法案審議で、集団的自衛権の限定行使について、「憲法違反にならない」と答弁した。「これまでの憲法9条の議論との整合性を考慮し、行政府の憲法解釈の範囲内だ」とも語った。 前日の衆院憲法審査会で自民党推薦の参考人が法案を「憲法違反」と断じたことを取り上げ、法案の撤回を求めた民主党議員に、正面から反論したものだ。 参考人の長谷部恭男早大教授は「従来の政府見解の基本的論理で説明がつかないし、法的安定性を大きく揺るがす」と述べた。首をかしげたくなる見解である。 政府は、集団的自衛権の行使について「我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」という、極めて厳しい要件をつけている。 この要件は、自国の存立を全うするために必要な自衛措置を容認した1959年の最高裁の砂川事件判決を踏まえたものだ。 国民の権利が根底から覆される事態に対処する、必要最小限度の武力行使は許容されるとした72年の政府見解とも合致している。 これは、内閣が持つ憲法の公権的解釈権に基づく合理的な範囲内の憲法解釈の変更だ。国会は現在、法案審議を通じて関与し、司法も将来、違憲立法審査を行える。 まさに憲法の三権分立に沿っており、法的な安定性も確保できる。新見解が「立憲主義に反する」との野党の批判は当たるまい。 むしろ、抑制的過ぎた過去の憲法解釈を、国際・社会情勢の変化に応じて適正化したのが実態だ。かつて自衛隊の存在自体にも憲法違反との批判があったが、今は、すっかり影を潜めている。 中谷氏は、集団的自衛権の限定行使について「やむを得ない自衛措置として初めて容認される」と述べた。国際法上の集団的自衛権とは異なる点を認めたものだ。 抑止力を強化する観点では、本来、他国と同様、行使の全面容認が望ましかった。だが、過去の解釈との整合性などから限定容認にしたのは現実的な選択だった。 看過できないのは、政府提出法案の内容を否定するような参考人を自民党が推薦し、混乱を招いたことだ。参考人の見識や持論を事前に点検しておくのは当然で、明らかな人選ミスである。 法案審議は重要な局面を迎えている。政府・与党は、もっと緊張感を持って国会に臨むべきだ。 |