●東京新聞社説 平和主義に汚点残すな 安保法制審議入り 東京新聞 2015年05月27日 |
安倍内閣が「平和安全法制」と名付けた「安全保障法制」関連法案の提案理由説明と質疑が、きのうの衆院本会議で行われた。 きょうからは論戦の舞台を衆院の「平和安全法制特別委員会」に移して法案審議が始まる。 安倍晋三首相は先に米議会演説で、安保法制を「この夏までに成就させます」と対外公約した。与党は六月二十四日までの通常国会の会期を八月上旬まで延長して今国会中の成立を目指す、という。 ◆後方支援、戦闘と一体きのう審議入りしたのは二つの法案だ。自衛隊法や周辺事態法など現行十法を一括改正する「平和安全法制整備法案」は、外国同士の戦争に加わる「集団的自衛権の行使」を可能にする一方、日本の平和と安全に重要な影響を与える重要影響事態では、自衛隊が地理的制限なく、米軍など外国軍隊を後方支援できるようにする内容。 もう一つの「国際平和支援法案」は、国際紛争に対処する外国軍隊を後方支援するため、自衛隊をいつでも海外に派遣できるようにする新しい法案だ。 後方支援は「現に戦闘が行われていない場所」で行われるが、弾薬補給などの「兵站(へいたん)」活動は戦闘行為と一体とみなされ、攻撃対象となる可能性が高い。攻撃されれば反撃し、本格的な戦闘に発展することもあり得るだろう。 集団的自衛権の行使も後方支援も、自国が攻撃された場合のみ必要最小限度の武力を行使する「専守防衛」を逸脱しかねない。 専守防衛は日本人だけで約三百十万人が犠牲になった先の大戦への「痛切な反省」に基づく。戦後日本を貫く平和主義を蔑(ないがし)ろにする法案を認めるわけにはいかない。 ◆リスクを語らぬ首相きのうの質疑だけでも、数々の問題が明らかになった。野党側にはまず、党利党略を超えて問題点を徹底追及することを望みたい。 自民党の稲田朋美政調会長に続き、野党トップバッターとして質問に立った民主党の枝野幸男幹事長が指摘したのは集団的自衛権を行使する判断基準の曖昧さだ。 日本が攻撃されていなくても、日本と密接な関係にある外国が攻撃され、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」では、集団的自衛権を行使して、武力の行使ができる、というのが新しい安保法制の柱である。 枝野氏は「『存立が脅かされ』『根底から覆される』というのはいかなる事実、基準で判断されるのか」とただしたが、首相は「国民に、わが国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」と従来の説明を繰り返しただけ。 基準についても「一概に述べることは困難」とし、「攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、規模、推移などの要素を総合的に考慮し、客観的合理的に判断する」と具体的には語らなかった。 戦後日本の安保政策を根本から変える法案だ。「集団的」を含む自衛権発動には国会の原則事前承認が必要だとはいえ、政府に幅広い裁量を与えていいのだろうか。 きのうの質疑では自衛隊員が負うリスク(危険)も焦点だった。海外派遣が拡大すれば、戦闘に巻き込まれる危険性は格段に高くなることが予想されるにもかかわらず、国民の反発を恐れてか、政府側はリスクについてあまり語ろうとしない。 首相は先週の党首討論で「リスクとは関わりない」と断言し、きのうも「自衛隊員の安全に十分に配慮しており、危険が決定的に高まるといった指摘は当たらない」と答弁した。 専守防衛を旨とする日本の自衛隊員が戦闘に巻き込まれぬよう安全に配慮するのは当然だが、活動の拡大によるリスクの高まりを正直に認めなければ、国民やその代表である国会を欺いて法案成立を強行することにならないか。 ◆物言えぬ議会の末路全国民を代表する国会は国権の最高機関であり、唯一の立法機関だ。時の政権に唯々諾々と従うだけでは存在意義はない。時の権力に物を言えなかった戦前戦中の議会が日本をどんな運命に導いたのかを、思い起こすまでもない。 各報道機関の世論調査でいずれも、安保法制自体や集団的自衛権の行使に対する反対が多いのは、「政府の暴走」に危うさを感じているからであろう。 特に政権与党の議員が、選挙に勝てば政権公約がすべて信任されたと考えるのは思い上がりだ。国民の声に真摯(しんし)に耳を傾ける、その当然の役割を法案の審議入りに当たり、胸に刻むべきである。 |