朝日新聞社説
 安保法制の与党合意―戦後日本の危うい岐路

     
      朝日新聞 2015年5月12日(火)付

 自民、公明両党がきのうの与党協議で、安全保障法制を構成する関連法案について正式に合意した。

 新法の「国際平和支援法」と、改正法10本を束ねる「平和安全法制整備法」の二本立て。いずれも名称に「平和」を掲げてはいるが、その内実は、憲法が定める平和主義を踏み外すものだと言わざるをえない。

 海外で武力行使をしない原則が、日本の平和主義を支えてきた。自衛隊の海外派遣には厳しい制約をもうけ、海外の紛争から一定の距離を置いてきた。

 そのことの意味を改めて、深く考えるべきである。

 戦後70年。日本は平和を享受してきたが、この間、世界が平和だったわけではない。

 朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、湾岸戦争やイラク戦争もあった。日本がそこで武力行使をすることはなかった。

 いったん武力行使に参画すれば、戦争終結後も長期にわたって地域の安定に責任を負わなければならない。戦ったらそれで終わり、ではない。

 ひとつの政権が踏み切った武力行使が、その後、どれだけ重い「負債」を国内外にもたらすのか。イラク戦争後、中東の安定化に苦しむ米国の姿をみれば明らかだ。

■一変する安保政策

 安倍政権が日本を導こうとしているのは、そういう世界にほかならない。残念ながら、その重みを日本の為政者が理解しているようには見えない。

 政権は昨年7月の閣議決定で憲法解釈の変更に踏み切り、集団的自衛権の行使の容認に転じた。今回の広範な安保法制は、そこが発端となった。

 日本の存立が脅かされることなど新3要件の限定をつけたとはいえ、最終的には、自衛隊が海外で武力行使する可能性を認めたのだ。このことによって、日本の安保政策の前提は一変する。法案が成立すれば、自衛隊の活動範囲も、装備も訓練も、それらの裏付けとなる防衛費のあり方も、大きな変貌(へんぼう)を遂げることになろう。

 法案の内容は多岐にわたり、複雑でわかりにくい。しかも、戦後の国家像を描き直すような巨大法案である。憲法改正に匹敵するような改変なのに、その手続きを経ずして戦後日本の歩みを踏み外し、世界規模で米軍の肩代わりを担おうとしている。このような法案を一括で審議し、与党の数の力で押し通すのは許されることではない。

 安保法制が必要な理由として中国の脅威が挙げられている。たしかに一定の抑止力は必要だが、力による対抗を強めることがどれだけ地域の平和と安定につながるのか、詳細な検討を要する。尖閣諸島などの紛争の回避のための外交努力が尽くされた形跡もない。

■日米の認識ギャップ

 「戦後初めての大改革です。この夏までに成就させます」

 安倍首相は先月末の米議会での演説で、今国会中の法案成立を誓った。日本で国会審議も始まっていないうちに対米公約をするのは倒錯も甚だしい。

 同盟国に負担の共有を求める米国と、それに応じることで中国に対抗したい日本。そんな構図のなかに、この法案はある。

 だが一皮めくれば、日米の認識のずれが見えてくる。

 新たな日米防衛協力のための指針(ガイドライン)にある離島防衛の記述が典型的だ。

 攻撃を排除するための作戦は「自衛隊が主体的に実施」とされ、米軍の関与は「自衛隊の作戦を支援し補完する」と控えめな表現にとどめている。

 これは旧ガイドラインの表現から一歩も踏み込んでいない。たとえば尖閣で主体的に戦うのはあくまで自衛隊という位置づけが明確になっている。

■新「富国強兵」路線?

 一方で米側は世界規模の日本の支援に期待を高めている。

 この先、米軍の後方支援や治安維持活動でも、より一層危険な任務が求められるだろう。逆に要請を断って空手形に終われば、かえって日米の信頼を損なう恐れも出てくる。

 安倍首相はどんな日本の将来像を思い描いているのか。その一端がうかがえるスピーチが、先月末の訪米中にあった。

 「私の外交安保政策はアベノミクスと表裏一体だ」

 ワシントンの研究機関の会合で、そう切り出した首相は厳しい財政状況にふれ、「日本は防衛費を劇的に増やすことはできない。それでも日米同盟をもっと機能させることはできる」と説明。アベノミクスによってデフレ経済を脱却し、国内総生産(GDP)を増やせば、社会保障を強化しながら「当然、防衛費をしっかりと増やしていくことになる」と語った。

 あたかも「富国強兵」の再来を願うかのような高揚感が見てとれる。安保法制だけの問題ではない。将来の日本の道筋にかかわる問題である。

 戦後日本はいま、きわめて重要な岐路に立っている。