風知草:脱原発 ドイツは不退転=山田孝男

毎日新聞 20150216日 東京朝刊

 ドイツの「脱原発」はポイント・オブ・ノー・リターン(帰還不能点)を越えた。後戻りはない。今月上旬、日本記者クラブ欧州取材団に加わり、ベルリンでエネルギー政策転換の専門家を集中的に取材する機会を得た。

 左派系紙「ターゲスツァイトゥング」の経済環境部長に「日本でドイツのエネルギー転換はどう受け止められているか」と聞かれる場面があった。

 私は、カバンに忍ばせていた日本の雑誌記事のコピーを見せた。「ドイツ『脱原発』は大失敗」という見出しの月刊誌と週刊誌。たちまち反問された。「なぜ大失敗だと?」??電気代が上がり、エネルギー転換は進まないと書いてあるのです。「再生可能エネルギーが増えて大企業の電気代は前より安くなっている。一般家庭の支出で電気代の比重は小さい。電気代が上がる上がるというのは、エネルギー転換反対の立場の人の決まり文句ですよ」??自然エネルギー用の設備を買える金持ちはいいが、貧乏人には過酷な政策とも書いています。「貧困はエネルギー転換のせいではない。バス代の値上げで、公共輸送機関の仕組みが悪いという議論にはならんでしょう」彼はこう続けた。「エネルギー転換に携わる者には『誰もやったことがないけど、必要なことはやらねば』という理解がある。ドイツは豊かな国で技術力もあります。だからこそ他国に先んじて変わらなければならぬという義務感がある。電気代を論じる前に、そういうコンセンサスがあることを理解する必要があると思います」

連邦経済エネルギー省次官、産業連盟や電力大手の専門家も取材したが、「実は原発に戻りたい」の気配はどこにもなかった。保守系紙が「原発回帰」を鼓吹することもない。原点はチェルノブイリ原発事故(1986年)。以後、反原発運動が高揚。2000年、中道左派連立政権が「脱原発」を決めたものの、10年暮れ、メルケル首相の保守中道連立政権が原発延命へ転換。その直後、福島の事故が起き、メルケル主導で「脱原発」へ戻った。それを、物理学者でもあるメルケルの英断と考えるか、政権維持を優先した権力者の本能と見るかは評者の価値観による。欧州は一部を除き、互いに送電線で電力を融通し合っている。現在、ドイツを含む北大西洋条約機構(NATO)諸国は核戦争を意識してはいない。

 他方、日本は島国で、周囲の核保有国との間に緊張がある。「原発を守り、潜在的核保有能力を」という主張は現実に根ざしているが、新興諸国の勃興を見渡し、「原子力からも化石燃料からも離れねば地球がもたぬ」と読む歴史観、世界性を欠いている。ドイツは孤立していないか。高官が答えた。「欧州の半分は原発をもっておらず、フランスはドイツより速いペースで原発を半減しようとしている」フランスの原発半減も政権が代わればアテにならない。曲折はどの国にもあるが、ドイツの「脱原発」は不動と見える。ドイツは風力、バイオマス発電が伸びているが、送電線拡充、バックアップの火力発電に課題を残し、議論が続く。その挑戦を美化する必要はないが、日本国内の、原発推進派の思惑が生む冷笑に惑わされるべきでもない。(敬称略)=毎週月曜日に掲載