東京新聞社説
 週のはじめに考える 安保法を問う 治に居て乱を求めず
 安保法を問う 条約なき盟約の危うさ

              

 
週のはじめに考える 安保法を問う 治に居て乱を求めず
                             東京新聞 2015年11月29日

安全保障関連法の運用で、自衛隊と米軍の一体化に前のめりの安倍晋三首相。戦後ただ二人、再登板首相の大先輩に学ぶべき自衛隊創設の哲学とは。

 今にして思えば、今年の春先にはとっくに固まっていたのでしょう。今月の日米首脳会談で安倍首相が「検討」を公言した、南シナ海への自衛隊派遣の筋書きです。

 春先は三月下旬、神奈川県横須賀市にある防衛大の卒業式。三年連続となる訓示で安倍首相は、例年通り、卒業する海外留学生にも激励の言葉をかけました。その表現が今年一変したのです。

 インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナムなど、南シナ海周辺国の出身が多い留学生に過去二年は「諸君には母国と日本との『友情の架け橋』になってほしい」。それが今年は「日本との『防衛協力』をさらに発展させる活躍を期待する」と。この時、首相の脳裏にはすでに、南シナ海で人工島を築く中国への軍事的な対抗戦略がよぎっていたはずです。

 ほどなく日米防衛協力指針(ガイドライン)の再改定で、自衛隊派遣の筋書きを確定させた日本政府は、具体化に向けて内々に検討を進めます。夏の安保国会を経て秋となり、自衛隊の活動範囲拡大の根拠となる安保法が成立。そして米軍艦による「航行の自由」作戦と、米国の出方を待ち受けたように突いて出た首相発言でした。

 しかし、国会でも国民にまともな説明がない筋書きを、根拠法の施行前から自衛隊の最高指揮官が先走って対米公約する。これほど前のめりになる必要がどこにあったのかと、甚だ疑問です。

◆日陰者として耐える備え

 そもそも、自衛隊による「平和の守り」とは何か。私たちは何度でも問い直します。

 再び先の卒業式です。首相は訓示で「平和国家」論にも触れ、自衛隊、防衛大創設の「父」吉田茂元首相が、防衛大一期生に託した言葉を引用しました。「治(ち)に居て乱を忘れず」。太平の世にあっても乱世になった場合の準備を忘れない−と辞書にはあります。

 大学の同窓会報などによれば、一九五七年二月、卒業を控えた一期生三人が、アルバム作成の相談で神奈川県大磯町の吉田邸を訪ねました。彼らへ贈る色紙に元首相がしたためた「居於治不忘乱」がこれです。色紙の揮毫(きごう)を銘板に写した石碑がいま、防衛大本館前に据わります。

 吉田氏は一期生たちと別れ際、こんな話をしました。「自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされるのは、災害や武力攻撃を受けて国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけだ。君たちが日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい」

 これをなぞれば、吉田氏にとっての「治に居て乱を忘れず」は、日陰者として耐えながら有事に備える鍛錬を怠るな、と文字通り自衛隊員の矜持(きょうじ)でしょうか。

 しかし、安倍首相の受け止め方は、少し違ったようです。

 訓示で首相は「戦後、平和国家の実現は自衛隊の創設、日米安保条約の改定、国連平和維持活動への参加と、国際社会の変化に向き合い果敢に『行動』してきた成果だ」と持論を畳みかけました。

 要するに首相にとっての「乱を忘れず」は「行動」による備え。続けて、自身が目指す「行動」とは「グレーゾーンから集団的自衛権まで切れ目のない対応を可能とする法整備だ」と。つまり安保法そのものでした。

 安保法は突き詰めれば、日米同盟の強化で備える「平和の守り」ですが、問題は運用です。自衛隊の南シナ海派遣が果たして平和への備えになるか。むしろ不測の事態を招きかねず、言うなれば、治に居てわざわざ「乱を求める」ことにならないでしょうか。

 ここはやはり、入念な国民的議論が必要です。そこで忘れてならないのは、これら首相の前のめりが、もとは一内閣の解釈改憲に端を発していることです。

 占領下に米国の圧力を受けつつも、日米安保体制に日本復興の道を見いだした吉田茂元首相は、自衛隊と平和憲法との整合性維持に腐心しました。吉田氏の自著『回想十年・下巻』(中公文庫)に残る改憲論が、今に響きます。

◆一内閣の問題ではない

 「憲法改正のごとき重大事は一内閣や一政党の問題ではないのであり、相当の年月をかけて検討審議を重ねた上、国民の総意を体しあくまで民主的な手続きを踏んでこれに当たらねばならない」

 何かと前のめりな安倍首相の安保法運用を見定めるに当たって、私たちが常に立ち返るべき原点もここにあります。


安保法を問う 条約なき盟約の危うさ

                       東京新聞 2015年11月28日
 オーストラリアは日本にとって重要な友好国である。しかし、日米のような安全保障条約を結ばないまま、防衛協力を強化して「準同盟国」と位置付ける手法には、危うさを感じざるを得ない。

 日本とオーストラリアとの外務・防衛閣僚会議、いわゆる2プラス2が二十二日、シドニーで開かれた。日豪2プラス2は第一次安倍内閣の二〇〇七年に始まり、今回で六回目。九月に豪首相が、安倍晋三首相と個人的な信頼関係を築いたアボット氏からターンブル氏に交代した後、初めてだ。

 会議後に発表した共同コミュニケには、両国の「特別な戦略的パートナーシップ」や「二国間の安全保障・防衛協力を新たな段階に引き上げる」などの言葉が並ぶ。

 また、自衛隊と豪軍が共同運用や訓練を円滑に行うための「訪問部隊地位協定」の締結を急ぐことや、豪州の次期潜水艦共同開発に日本が参加する用意のあることを表明したことも明記された。

 憲法違反と指摘される安全保障関連法の成立を強行し、集団的自衛権を行使する対象国として、米国に加えてオーストラリアをも想定している安倍政権としては、自衛隊と豪軍の防衛協力をさらに進める腹づもりなのだろう。

 日豪は、日米や米豪に次ぐ、準同盟国という位置付けだ。

 日豪両国は自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配、市場経済という「共通の価値」で結ばれた友好国である。経済的関係も深い。アジア・太平洋地域を中心に国際社会の平和と安全にともに責任を有することに異論はない。

 しかし、中国の海洋進出という国際情勢の変化はあるにせよ、日豪間で軍事的関係を強化することに性急すぎないか。そもそも、安全保障における日豪の関係は日米とは決定的に違う。

 日米間の防衛協力は、その是非は別にして、国権の最高機関である国会が承認した安保条約を根拠とするが、日豪にはそれがない。

 安保関連法により、自衛隊は豪軍を含む外国軍を守るために集団的自衛権を行使できるようになったが、安保条約を結ぶに至っていない国を守るための自衛権発動が妥当なのだろうか。

 二国間の防衛協力の根幹をなす安保条約を結ばず、国会での論議を回避する一方、国会の承認を必要としない外交約束を根拠に自衛隊と他国軍との軍事協力を既成事実化してしまう。そうした政府の手法自体の是非が問われている。