国民の間に広がる反対を押し切って集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法制が成立した。来年3月までに施行される。抜け落ちていた議論は何だったのか。今後のかぎをにぎるのは「私たちの民主主義」だと指摘する国際政治の専門家、石田淳・東京大学教授に聞いた。


 ――新しい安保法制をどう考えていますか。

 「まず、集団的自衛権の行使は内閣法制局による従来の憲法解釈を外れるので反対です。安全保障の根幹は国家として大切だと考えるものを守り抜くことです。その対象には、国民の生命、財産、領土だけではなく、憲法上の価値や理念も含まれる。安全保障のためとして、憲法をないがしろにしたのは皮肉なことでした」

 「安保法制を推進する立場の議論は、脅威の存在を所与のものと考える抑止論に偏っており、安全保障論を都合良くつまみぐいしたものです。欠けていた論点を考えることで、今後、どうすれば日本の安全を損なわずにすむかが、見えてくるはずです」

 ――つまみぐいとは?

 「安全保障は、『抑止』と『安心供与』の二つから成り立っています。前者は、現状を守るためには断固として武力を行使するぞ、と威嚇して現状の変更を思いとどまらせることです。後者は、こちらに不信の目を向ける勢力に対して、現状を守るため以外には武力を用いるつもりはないと約束し、不用意に挑発しないことです。相手国の不安をかきたてることなく、自国の不安を減らす。これが、本来の安全保障政策です」

 ――安保法制では、抑止力の強化しか議論していない、と。

 「戦後の日本の安全は、日米安保による抑止力のみで確保されてきたわけではありません。憲法9条の制約なしに戦後日本が再軍備していたら、アジアは緊張に満ちた地域になっていたでしょう」

 「(新しい法制は)専守防衛に徹してきた戦後日本の安全保障政策を大きく転換しました。周辺国に安心ではなく、むしろ、不安を与えることになりました。従来の首相談話を引き継ぐとする安倍談話も、誤解と不信を打ち消すシグナルとしては不十分でした」

 「安心供与は、お花畑の空論ではありません。軍備にせよ、同盟にせよ、それが防衛目的であることが相手国から見ても明らかかどうか。そこに知恵を絞るという非常に現実的な戦略です。タカに見える抑止論、ハトに見える安心供与論。安心供与なき抑止では安全は守れない。両方備えてこそ安全保障のリアリズムです」

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 ――タカもハトも飼う。では、安心供与の手段はなんですか。

 「多面的です。まず、自衛権の行使を必要最小限にとどめる法律の拘束力があること。そして、外交に民主的な統制がきく国だと周囲から理解されることが大切です。歴史修正主義も自制すること。敗戦国が歴史を書き換えようとしては、関係国はサンフランシスコ講和条約や東京裁判で固定したはずの戦後の現状への挑戦と受け止めますからね」

 ――自衛権行使へのしばりは安保法制で弱まった?

 「集団的自衛権による武力行使の範囲は、日本が支援する同盟国が自衛権をどう行使するかに左右されます。日本の場合、米国です。歴史を振り返ると、米国がベトナム戦争に本格的に介入するきっかけとなった1964年のトンキン湾事件から、2001年の同時多発テロ後のアフガニスタン攻撃などテロに対する武力行使まで、米国は自衛権を拡大解釈する傾向があります」

 「日本はどうかと言えば、安倍晋三首相は『日本は米国の武力行使に国際法上違法な武力行使として反対したことはありません』と国会で答弁しています。米国が自衛を掲げて乗り込む戦争に巻き込まれるリスクは高まりました」

 ――ただ、この法制の狙いはむしろ、米国を巻き込むことで、日本の安全を守りたいのでは。中国の軍拡こそ不安を与えるシグナルとなり、日本の安全保障環境の悪化が強調されました。

 「同盟の枠組みを日本に都合よく使えると考えるのは楽観的すぎます。日本は東アジアの危機への備えとして、米国は世界規模に展開する活動の補完として、それぞれ互いを期待しています。安保法制に対する双方の期待がそもそも食い違っていることは自覚しておく必要があります。同床異夢こそ、同盟の現実です」

 「また、日米が中国への不信から同盟を強化すれば、中国の側にも不安と不信が増す。相手の不安をかきたてずに自国の不安をぬぐいさることができない。安全保障のジレンマの典型です。中国の軍拡に根拠を与えるような行動をとっては緊張が高まるばかりです。日米同盟を強化するのであれば、非軍事では米国に同調せずとも何がやれるかを考えるべきです」

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 ――しかし、日本が安心感を与えようとしたら、日本は弱腰だぞ、御しやすい、と中国が受け止める恐れはありませんか。

 「中国との間では、維持したい状態が一致していないことが最大の問題です。中国はアヘン戦争から170年余、列強に半植民地化される前の原状を回復しているつもりでいます。領土紛争も彼らにとって、国権回収の文脈にあります。現状を不当と考える相手に、現状の変更を威嚇によって思いとどまらせる抑止政策は、容易には成功しません。互いの不信を増幅させないためには不断の努力が必要で、終わりはありません」

 ――それに、一党独裁の中国に、民主的統制は期待できないのではないですか。

 「中国の体制や内部の人々の意識を固定的に考えず、民主的な社会に変わるように促す努力も必要です。また、日本を見ているのは中国だけではない。例えば、韓国や北朝鮮が日本の『自制』をどう評価するかも重要です」

 「中国への不安は国連では対処できません。彼らが安全保障理事会の常任理事国として拒否権を持つからです。それだけに、東アジアでこそ多国間の協議の場が必要なのに、進まないのは残念です。特に韓国との協調が必須で、韓国との関係改善なしに中国や北朝鮮の脅威に備えようとするのは現実的ではない」

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 ――一方、日本は民主主義国家として、制度としての統制がきくのでは。

 「民主主義は政府と国会の中だけにあるものではありません。日々の人々の政治的な発言も含むものです。その意味で国会前の抗議デモも一部分といえる。国民が納得できる議論を必要とする国であることが、海外からみれば、日本は簡単に武力行使には踏み出さないという安心感につながります。情報公開や事後検証を厳しく求める国民を前にしては、軽々に戦争に踏み出したら政権すら失いかねず、そんなことはしないだろう、と思われるからです」

 「戦争は、非戦闘員も含む双方の国民の生命を奪い、人権を侵すものです。戦時のみならず平時においても、人間の権利を簡単に侵害できない国であることが、関係国の安心感につながります」

 「ただし、安全保障のコストを国民が感じなければ、政府の裁量の幅が膨張してしまう。たとえば、米軍基地が沖縄に集中し、負担と犠牲が局地化しています。原子力発電所の問題にも共通していますが、政策の負担が特定の地域の有権者に限られる場合には、監視や批判が広がりにくい」

 ――米国との関係で、自立した判断ができるかも心配です。

 「過去を振り返ると、日本が安全保障の分野で、米国を離れて独自に判断できたとは思えない。例えば、核兵器の日本への持ち込みについて、時の首相は『非核三原則』に基づき、米国との事前協議を通じて拒否権を確保しているので持ち込みはない、と断言していましたが、黙認する密約があった。イラク戦争についても、日本政府は仏独と異なり、米国に対して批判的な立場は取らなかった。イラク攻撃の根拠とされた大量破壊兵器が存在していなかったことが明らかになった後も、英国のような事後検証もしていません」

 「将来、国会が存立危機事態を認定して、集団的自衛権の行使を事前承認しようとするとき、政府は十分な情報を提供するでしょうか。仮に政府が情報を隠したり、うそをついたりして、国会の判断を誤らせた場合、政権与党は責任を問われ、野党に転落するのでしょうか。政府与党が権力を過信できない社会であることを示すことが、周辺国の不信を和らげる安心のメッセージとなるのです」

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 いしだあつし 1962年生まれ。東大教授。リアリズムを踏まえた理想主義的な国際政治の論客として知られる故坂本義和東大名誉教授に学ぶ。

 

 ■取材を終えて

 「タカ」を飼うだけでは安全は守れない。「ハト」の知恵と声は十全だろうか。安全保障環境の悪化にせよ、米国追従の外交にせよ、所与のものとせず、そうならない条件をどうつくるか。安保法制が成立したあとも、いや、成立したからこそ考えるべきことは多いと思った。「民主」の国のひとりとして。(編集委員・吉岡桂子)