日中韓の歴史問題、今年が正念場―第2次大戦終結70年
       2015年1月3日 ウォール・ストリート・ジャーナル マイケル・オースリンのオピニオン
 

 今年は第2次世界大戦の終結から70年の節目の年となる。世界の大半では、記憶から薄れゆく戦争を振り返る好機となることだろう。ところがアジアでは、戦争の歴史は今も生きている。それゆえに、2015年は困難な年になるかもしれない。

 戦後70周年を迎えるタイミングは、アジア地域の大国同士――中国、日本、韓国――の関係がここ数年間で最も険悪な時期と重なってしまった。アジア地域ではめったに見られないような政治的手腕が発揮されないと、暴動や意図せぬ衝突が起こる可能性も否定できない。

 そうした不幸な出来事が起きるとすれば、それは3カ国それぞれにまかれた積年の反感、不信感、恨みの種の結実と言えるだろう。この3国間にはまだ解決できていない領土問題があることから、国家主義的な感情の高まりは大惨事の原因になり得る。特に中国と韓国の両国と反目している日本国民には懸念すべき理由がある。

 まずは歴史問題でアジアと欧州を比べてみよう。欧州では主な戦争記念日にかつての兵士たちが一同に会し、戦死者たちを追悼している。ところがアジアの人々は、いまだに互いの戦争責任を追及し合っている。70周年は許しと和解のチャンスにもなり得るが、激しい批判や反日感情の爆発につながる可能性の方が高い。

 中国の習近平国家主席は昨年12月、初となった南京事件国家追悼式典に参加することで、2015年の基本姿勢を示した。中国はこの日を含め、日中戦争に関連して新たに3つの国民の休日を制定した。中国の政府高官たちは対立の歴史を乗り越えようとせず、それを国家主義的な誇りの中心に据え、自国民に今日の日本を事実上の敵国と思わせようとしている。

 日本からの挑発的な発言は中国の国家主義的な指導部の追い風になった。一例が、物議を醸した2013年の安倍首相の「侵略という定義は学界的にも、国際的にも定まっていない」という発言である。南京大虐殺その他の虐殺が起きたこと自体を否定する日本の国家主義者たち、戦争犯罪に関する過去の日本政府の謝罪が訂正されるかもしれないという同国政府当局者の曖昧な発言は火に油を注いだ。

 特に冷え込んでいるのが日韓関係で、戦時中の「従軍慰安婦」問題は、最も基本的な水準を除く両国政府高官による協力の主な障害となっている。

 戦後70年が経過しようとしている今も東アジアという地域は歴史に捕らわれており、永続的な憎悪のようなものに陥りかけている。そうした状況は中国と韓国で実施された世論調査でも裏付けられた。両国の国民は民主国家である日本を最大の脅威と位置付けている。

 こうした冷え込んだ関係だけでも懸念に値するが、国家主義的な感情がこの地域の海にまで流出する恐れもある。東シナ海では、日本による尖閣諸島の実効支配に中国が積極的に反論している。日本海の竹島については、日本政府と韓国政府のあいだで領有権をめぐる見解が食い違ったままだ。両国の船舶の衝突といった小さな事件でさえ、あっという間に手に負えない事態に発展しかねない。

 戦後70周年となる今年に必要なのは、東アジアにこれまでなかったような政治的手腕である。3カ国のリーダーは、感情を落ち着かせ、将来に目を向ける上で、それぞれが重要な役割を果たすことができる。

 米国政府の腹を探ってきた安倍政権は、戦争に対してこれまでで最も包括的な謝罪を行うことを検討すべきである。安倍首相はすべての関係国が知る具体的な事実を挙げ、日本の戦争犯罪をはっきりと認めることで、新たな時代を切り開くことができる。そのあとで、アジアにおける協力関係と市民社会を強化するための大胆な計画に軸足を移せばいいのだ。

 習主席は、中国政府の外部の世界に対する疑念を脇に追いやり、リベラルで民主的な日本はアジアの平和の脅威ではないということを認めて、ニクソンの電撃訪中のような方針転換を図ることができる。そのあとで協力の新たな時代を約束すれば、日本政府も即座にこれに報いるはずだ。

 一方、韓国の朴槿恵大統領は、リベラルな価値観を共有できる日本をアジアにおける最も緊密なパートナーとして受け入れ、北朝鮮への対応から日米韓3カ国同盟の活動まで、さまざまな問題における実質的な協力を確約すべきだろう。

 こうしたことすべてが必要だが、いずれも実現する可能性は低い。必要とされているリーダーシップが発揮されなければ、反日暴動が勃発したり、海洋事故が地域の危機に発展したりしたとしても全くおかしくない状況にある。憎悪という感情の種は、長くかかったとしてもいずれは苦い果実を実らせてしまうものだ。

 その一方で、東アジアの主要国が今年をうまく乗り切ることができれば、より協力的で安定的な未来が待っているという合図になりそうだ。

(筆者のマイケル・オースリン氏はアメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長で、ウォール・ストリート・ジャーナルのコラムニストでもある)