労働時間の規制外す 残業代ゼロ、法案化へ報告書案 厚労省

朝日新聞デジタル 20151170500

 厚生労働省は16日、労働時間と賃金を切り離し、「残業代ゼロ」となる新しい制度などを盛り込んだ報告書の骨子案をまとめた。年収1075万円以上で高い職業能力を持つ人を対象とするが、対象となる業務については今後詰める。上級管理職以外の働き手を対象に労働時間の規制を外す初の制度となる。

 厚労省は近く報告書をまとめ、26日に始まる通常国会労働基準法改正案を提出する見通しだ。労組側は「長時間労働を助長する」と反発している。

 骨子案は16日の労働政策審議会で示された。この制度は安倍政権が進める成長戦略の目玉の一つで、「時間で縛られない働き方を希望する働き手のニーズに応える」と位置づける。

 新制度は「高度プロフェッショナル労働制」。厚労省が高い専門知識を持つ労働者として定義する年収1075万円以上の労働者を対象とする。国税庁の2013年の統計では、年収1千万円を超える給与所得者は管理職を含め、全体の3・9%にあたる。

 骨子案では、対象となる業務として、金融商品の開発や為替ディーラー、アナリストなどが挙げられているが、具体的には法案成立後に省令で定める。労働時間の規制がなくなると働き過ぎが心配されるため、新制度を導入した企業に対し、終業から始業までの間に一定の休息時間を設けるインターバル規制や年104日以上の休日取得など、働き過ぎを防ぐ仕組みの導入も求めている。

 骨子案ではまた、あらかじめ労使で想定した労働時間に応じ賃金を払う裁量労働制の対象を、一部の営業職に広げることなども盛り込んだ。

「残業代ゼロ」骨子案、働き方にどう影響 年収の条件、労使で応酬

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 厚生労働省が16日に示した「残業代ゼロ」となる新しい制度は、働いた時間にかかわらず賃金が決まる新しい働き方だ。安倍政権成長戦略の目玉とし、市場へのアピールをねらうものだが、今後の働き方を左右しかねないだけに、働き手には不安も出ている。

 労働政策のあり方について、経営、労働組合の代表と有識者が話し合う厚労省の労働政策審議会。16日は「残業代ゼロ制度」の年収条件をめぐって、労使双方の応酬があった。

 「年収1千万円でも十分に(経営側との)交渉力はある」。厚労省が骨子案で示した1075万円という年収条件に関連し、出席した経営側はこう発言した。

 自分の労働条件などについて経営側と交渉力のある高度な人材が対象だからと、年収の条件を少しでも引き下げようとする経営側の姿勢に労組側は反発した。「値切り交渉か。1千万円あれば交渉力があるという根拠が分からない」

 残業代を企業に負担させることは長時間労働を防ぐ歯止めだ。労組には、働いた時間にかかわらず賃金が決まる新制度では歯止めがなくなり、「働き過ぎ」を助長するとの懸念が強い。対象者の拡大には敏感だ。

 その新制度の対象になりそうな人たちの受け止め方は、様々だ。中には、年収条件の引き下げに不安を持つ人もいる。

 東京都内の金融機関で働く30代の男性アナリストは年収が1075万円を超え、対象になる可能性がある。「ホワイトカラーは机に座る時間と成果が比例しない。対象職種はもっと広くて良い」と歓迎する。

 ただ、心配もある。「今出ている残業代はなくなるが、会社が賞与などで、公正に評価してくれないと単なる賃下げになる」からだ。

 一方、都内のコンサルティング会社で働く30代女性は不安を隠せない。年収は約800万円。「もし年収条件が引き下げられて制度の対象になったら、過重労働になりかねない」

 残業や休日手当が支払われる今の制度でも、仕事量が多くて残業は月100時間を超える。「新制度になったら、経営側に残業させるデメリットがなくなる。さらに仕事を任せられるのは明らかだ」と話す。

 ■「岩盤規制破る」市場を意識

 労働時間法制の改革は、安倍政権による成長戦略第2弾の目玉施策だ。背後には、経済産業省と経済界の強力な働きかけがあった。

 第1弾の成長戦略を発表した直後の2013年夏。株価の急落を招いた第1弾の後を受け、第2弾では株式市場にインパクトのある内容が必要だった。改革姿勢のアピールを狙って、労働分野の規制をなかなか手のつけられない「岩盤規制」と位置づけ、そこへの切り込みに注力した。

 労働分野の改革候補は、解雇しやすくする規制緩和と労働時間の規制緩和の二つ。経産省は「解雇の規制緩和を求めるのは倒産しそうな企業が多い。政権として応援しにくい」(幹部)。解雇規制の緩和には、安易なリストラにつながるなどと世論の反発も強い。経産省は労働時間の規制緩和をめざすことに決め、昨春から「残業代ゼロ」制度の必要性を訴えて官邸や経済団体などへの根回しに走り回った。政府関係者の一人は「経産省幹部の説明は『岩盤規制』を打ち破ったという金融市場へのメッセージになる、の一点張りだった」と振り返る。

 産業界の要望も強まった。企画や営業に携わる人たちは「成果と労働時間の長さが必ずしも合致しない」(経団連)。時間にかかわらず賃金が決まる選択肢があった方が効率よく働けるとの主張だ。経産省が動いた直後、産業界の代表らでつくる政府の産業競争力会議は「残業代ゼロ」の必要性を強く打ち出した。

 今回の制度は、第1次安倍政権時代の07年に法案提出を断念した制度に近い。「過労死促進法」という世論の批判の高まりに、当時の脆弱(ぜいじゃく)な政権基盤では耐えられなかったが、現在の政権の基盤は盤石だ。働く人の健康を守る立場の厚労省は、働き過ぎを防ぐ労働時間の上限規制などを盛り込むのが精いっぱい。年収条件は今後引き下げられるのではとの質問に、塩崎恭久厚労相は16日の会見で「どういう法文上の工夫があるのか議論していただき、懸念をもたれないようにしたい」と答えるにとどまった。

 ■<考論>働きすぎ防止につながる

 八代尚宏・国際基督教大客員教授(労働経済学)の話 新制度は評価できる。今は短時間で成果を上げるより、長く働いた方が残業代の割り増しがつく。新制度なら長く働いても給料は増えないので、働きすぎの防止につながる。時間あたりの生産性も上がる。

 研究職などは働く時間の長さや時間帯が成果に直結するわけではない。

 職種によっては、年収800万円ぐらいでも対象にするのがのぞましい。もちろん働き手に必ず休日を取らせたり、終業から始業の間に一定の休息時間を設けたりして規制することが条件だ。

 ■<考論>無制限の労働強いられる

 森岡孝二・関西大名誉教授(企業社会論)の話 新制度は「1日8時間労働」という長時間労働防止のための大切な原則をなくすものだ。いまも働きすぎの人たちが、さらに成果を競わされ、無制限の労働を強いられることになる。

 制度導入の条件にかかげる健康確保の措置は実効性が疑問だ。1カ月の働く時間の上限を何時間に設定するかも示されていない。

 対象を高度な専門職に限定しているが、いったん制度が導入されれば、年収要件や職種が拡大される恐れがある。「過労死ゼロ」を目指す流れに逆行する。

以上